目撃者なき衝撃。グランアレグリアのスプリンターズS

中山競馬場に通うようになり、四半世紀以上が経った。自宅からもっとも近いJRAの競馬場だったので、もっぱら中央の競馬観戦は中山。東京は今もちょっとした遠征気分だ。馬主エリアにも潜入した。といっても、知り合いの馬主に頼んで、連れていってもらったわけで、決して潜りこんだわけではない。当然、普段ウロウロする2階との空間感の違いに負け、馬券は惨敗。やっぱり、2階でいいと以後、馬主エリアには入っていない。指定席エリアでは銀座ライオンのカツカレーにはまった。コロナ禍で指定席が独り占めできた頃は抽選を突破し、A指定に座ることもあったが、どうにも一面の窓ガラスが競馬場にいる気分を削ぐ。東京競馬場と違い、中山は冬の開催が多く、下総台地を滑ってくる北風にさらされる。1コーナー方向からやってくる冷たい風に身震いが止まらない。指定席の窓ガラスはいわば観客への思いやりなんだろう。だが、どうしたって、あれは世界を隔てる。スタンドを建て替える際は、東京のフジビュースタンドのような窓がない形がいいと密かに思うも、指定席派は反対かもしれない。それほど冬の風はしんどい。

で、色々とめぐって、最終的には2階が安住の地となった。地下1階だった時期もあったが、フードコートに通いすぎたか、食べる興味も薄れた最近は2階がいい。人の流れとは面白い。1階と同じくパドックも馬場も不便なく見渡せる2階はそこまで混雑しない。フードコートから少し遠く、指定席がある3階への途中という半端な場所だからだろうか。パドックを周回する馬たちを大きなカメラで撮影する人にとっては不便かもしれない。パドックフォトには不向きだが、馬場を疾走する馬たちを撮影するにはちょうどいい。だからスマートシート2階は抽選倍率が高く、人気だ。そう、スマートシートなるものが誕生したため、座席を予約していないと、2階からゴール前に出られなくなった。これも2階が混雑しない原因だろう。スタンド2階の住民にとって、ちょっとばかり行きにくい場所になったのは辛い。

スマートシートなるものが誕生する前、いや、誕生のきっかけといっていいコロナ禍における無観客競馬だった頃のこと。2020年スプリンターズSは当然、スタンド2階ではなく、当時の主戦場ウインズ自宅で観戦した。中山競馬場に長いこと通っていると、この競馬場がいかに追い込みが決まらないかが身に染みている。急こう配の坂があるため、差し馬の逆転はそこそこある。ダートなら1200mでオーバーペースになれば、後方からの追い込みもたまに決まる。1800mでは、昔、リアルヴィジョンが離れた後方からとんでもない追い込みをみせたが、あれもオーバーペースが大きい。スタンドから数えきれないほどレースを観戦したからこそ、自信があった。安田記念を勝ったばかりのグランアレグリアは届かないと。

実際、スプリンターズSはGⅠになった1990年以降、4コーナーで後方2番手より後ろから追い込んだのは、2003年デュランダルしかいない。ま、前例があるので、決めつけてはいけないわけだが、中山の住人としては「そんな簡単じゃないぜ」と、いきりたくなる。まして、繰り上がりだが、高松宮記念で逃げたモズスーパーフレアがいる。敗れはしたが、前走北九州記念も前半600m32.4を叩き出した。快足牝馬に絡むだろうビアンフェもラブカンプーも速い。スタンドからもっとも遠い外回り向正面から崖をくだるように滑ってくる序盤は超がつくハイペース想定。スプリンターズSらしい激流のなか、マイルでも後ろから差すグランアレグリアが耐えられるかどうか。よしんば流れに乗ることを拒否し、直線一本にかけたとして、中山の直線は310mしかない。中山得意のダノンスマッシュも止まるとは思えず、決して楽観視できない。

予想通り、モズスーパーフレアが内から飛び出し、外からビアンフェが押して先手を主張した。背後のラブカンプーも含め、3頭が後ろを一気に引き離していく。前半600m32.8は明らかなハイペース。後方2番手を進むグランアレグリアのルメール騎手は手綱を動かし、促している。やはりグランアレグリアはいつもと違うペースに戸惑っている。ビアンフェを引き連れ先頭を進むモズスーパーフレアは4コーナー出口で後ろを大きく離し、直線コースに入る。グランアレグリアは後方2番手のまま、外に出した。このロスも正直、中山では致命的に近い。急角度の4コーナーで外へいけば、前との差はさらに開く。モズスーパーフレアとの差は14、5馬身。おまけに好位から外へいったダノンスマッシュは抜群の手応えで追撃態勢を整える。

ゴールまで200m地点でのこと。ルメール騎手はグランアレグリアに強烈なステッキを一発入れる。反撃の合図だ。いや、それでも200mしかない。いくらなんでも届くまい。そんな中山の住人の声は次の瞬間、かき消されていった。スイッチが入ったグランアレグリアは序盤の戸惑いを京成東中山駅へ投げ捨て、とてつもない瞬発力を発揮した。こんなにサラブレッドは四肢を速く動かせるのか。その動きは明らかにライバルたちを凌駕した異次元のものだった。ただ追い込みを決めたのではない。2着ダノンスマッシュに2馬身というスプリント戦では決定的な差をつけて勝ったのだ。上がり600mは33.6。いちばん後ろから追い込んだ3着アウィルアウェイは33.7。本来、中山ではこれが精一杯のはずだ。とんでもない末脚を繰り出すも、結果は3着。これが中山の常識というもの。いかにグランアレグリアが規格外なのか。レース映像を見返してほしい。確かにデュランダルの極上の切れ味も酔いしれるほど鮮やかだったが、グランアレグリアのそれは恐ろしさすら感じるほどだ。美しくも逞しい。牝馬の枠にとらわれない走りにサラブレッドの進化をみた。

今日も私は中山競馬場のスタンド2階にあるスマートシートからレースを観戦する。倍率が高く、座席を確保できない日が増え、石畳に降りる回数も増えたが、中山競馬場はJRAにおける私の居場所であることに変わりはない。こうしてレースを眺めていると、ふと思う。あのグランアレグリアの瞬発力をスタンドから目撃できなかったのは残念という言葉では片づけられないものがある。この中山競馬場であれを凌駕する衝撃を目にする日はくるだろうか。人生ももう後半戦に入った昨今、そんな想いに駆られる回数が増えてきた。もう見られないかもしれないと思うと、今しか見られないものを見逃したくないという気持ちが強くなる。年齢を重ねたからこそ、外へ出よう。億劫になっている場合ではない。

写真:Horse Memorys

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