伝説の新馬戦という、競馬ファンの間での語り草となっているレースがある。

のちの皐月賞馬・アンライバルド、ダービー2着馬・リーチザクラウン──その年の牡馬クラシックで「3強」と称されたうちの2頭。
さらにはG1を6勝することになる名牝・ブエナビスタ。

そうした馬たちがデビュー戦で運命的な出会いを果たしたのは、2008年10月26日の事だった。
場所は京都競馬場。菊花賞の開催日とあって、場内は非常に賑わいをみせていた。


伝説のデビュー戦に「参加していた」伏兵。

そうした賑わいのなか、もう1頭、ひっそりとデビューを果たした馬がいた。
前述した3頭と同じレースにてデビューし8番人気という低評価のなか、4着となった密かな実力馬。当時はまだ、ほとんど誰も注目していない若駒が。

──その名は、スリーロールス。

重賞で3着経験のある母を持ちながらも、姉たちは全て未勝利。近親での活躍馬を見渡してもダート地方G1のジャパンダートダービーで2着のオペラハットくらいであろう。

前述したアンライバルドは、イギリスオークス等を勝利した祖母・サンプリンセスから繋がる一流の血統馬。兄にはダービー馬のフサイチコンコルドや重賞馬ボーンキングが──さらには、甥や姪に皐月賞馬であるヴィクトリーをはじめ重賞馬リンカーン・アンブロワーズといった実績馬がいる、生まれながらにしての注目馬であった。

ブエナビスタにしても、G1馬の母ビワハイジを持ち、兄であるアドマイヤジャパン・アドマイヤオーラは重賞馬という、アンライバルドに劣らぬ素晴らしい血統馬である。

そうした馬たちの横に立つとき、スリーロールスが少し物足りない血統に映ったとしても、それは仕方のない事だった。単勝オッズは49.7倍。多くの人からは、あくまで「伏兵」であって、4着という結果もむしろ健闘を褒め讃えるべき内容だった。何故なら、この日の新馬戦でデビューした馬は、その後11頭中10頭が中央勝利を収めたという好メンバー。5着には、その6年後(2014年)に重賞馬となるエーシンビートロンもいた。

そしてその冬から春にかけて、スリーロールスとは全く関係なく、その新馬戦は「伝説の新馬戦」として注目を集めていった。

春。ライバルたちの台頭。

2009年、春。

アンライバルドは、ディープインパクトなどを出した出世レース若駒Sを勝利。さらにはG2スプリングSも快勝して、良血馬としての期待に応えるかたちでクラシックの舞台へと歩みを進めていた。こと岩田康誠騎手とのコンビでは3戦全勝と、早くも名コンビ誕生の雰囲気を漂わせていた。

対するリーチザクラウンも、きさらぎ賞を勝利して重賞馬となり、これから長くコンビを組む事になる武豊騎手とも、既に絆を深め始めているように見えた。

ブエナビスタは、ベテランの安藤勝己騎手に導かれ、「伝説の新馬戦」での敗戦を除けば3戦3勝。2歳末には阪神JFで早くも1つ目のG1タイトルを手にし、2歳女王の座についていた。

スリーロールスはというと、3戦目で未勝利を脱出。6戦目では毎日杯に挑戦して初の重賞出走を果たした。そこまでの5戦の間、コンビを組んだ騎手は横山騎手→岩田騎手→福永騎手→太宰騎手→福永騎手の順で変わっていて、上記の実績馬とは違い、まだまだ騎手の固定化は難しいように思えた。

そんな中、毎日杯の鞍上に選ばれたのはデビュー3年目の若手、浜中俊騎手であった。
結果は、11番人気8着。

ようやく重賞戦線に参加できたものの、決して良い滑り出しとは言えなかった。しかしここで、スリーロールスはようやく、引退まで長くコンビを組む「主戦」の騎手と出会った。

一方、同日デビューした3頭の精鋭たちは、桜花賞(ブエナビスタ)・皐月賞(アンライバルド)・オークス(ブエナビスタ)と、春クラシック4戦で3勝をあげていた。さらに唯一取りこぼしたダービーでも、リートザクラウンが2着と好走。まさに「伝説の新馬戦」だったことをファンに印象付けた。

スリーロールスは3歳500万下を浜中騎手とのコンビで勝利し通算成績を8戦2勝とすると、本格化を待つように休養に入った。

競馬界では、牝馬二冠を勝利したブエナビスタが牝馬三冠を狙うのか、凱旋門賞へと挑戦するのか、その動向に注目が集まっていた。スリーロールスの秘めたる才能に、世間はまだ気が付いていなかった。

成長、挑戦──そして。

休養が明け、陣営の努力の甲斐もあり、スリーロールスは大きな成長を遂げて帰ってきた。復帰初戦こそ落としたものの、2戦目の野分特別は2着馬ジャミールに4馬身差をつけての圧勝。その野分特別は1000万下のレースながら、2002年菊花賞馬ヒシミラクルなど多くの実力馬を輩出してきたレースである。
成長を確信した陣営が次走に選んだのは、クラシック三冠目「菊花賞」であった。

スリーロールスが野分特別を勝利したほの翌日、予てから菊花賞を目標としていたアンライバルド・リーチザクラウンも、王道路線である菊花賞ステップレースである神戸新聞杯に出走。それぞれ2着、4着と、順調な仕上がりを見せていた。

スリーロールスがリーチザクラウン・アンライバルドと走るのは新馬戦以来の事だった。

決戦の日は、2009年10月25日。

あの新馬戦から1年。同じ競馬場での再会であった。

1番人気はリーチザクラウン。アンライバルドは3番人気。そして、スリーロールスはあの「伝説の新馬戦」と同じく8番人気であった。
しかし、伝説とはいえあくまで「新馬戦」の8番人気であり、今回は伝統のG1競走で推された8番人気である。スリーロールスの成長と、その歩んできた道のりに対してのファンの評価だった。
菊花賞はさすがの豪華メンバーが揃い、どの馬も最後の世代タイトルを虎視眈々と狙っていた。のちに凱旋門賞で2着となるナカヤマフェスタ、2歳チャンプで近走復調傾向にあったセイウンワンダー、名牝エアグルーヴの息子で超良血馬のフォゲッタブル、前哨戦勝利で一気に注目を集めたイコピコ……そんな強豪たちと、スリーロールスは堂々と肩を並べた。

うまれついた環境は違えども、歩んできた道は違えども、同じ日同じ場所で──同じタイトルを目指して。
18頭の精鋭たちが、スタートを切った。

レースではリーチザクラウンが大逃げをはかり、スリーロールスは3番手を、その後ろにアンライバルドがつける形でレースは進んだ。
浜中騎手は道中しっかりと折り合いをつけ、コンビを組んで5戦目の間で築き上げた絆を示す。長距離戦に必要な、馬と人との「対話」は、問題なさそうだ。

最終直線、失速したリーチザクラウンとヤマニンウイスカーの隙間をすり抜けるように、スリーロールスが加速した。アンライバルドは後方にさがっていく。このまま突き放すか……と思われた瞬間、スリーロールスはターフビジョンの映像に驚いたのか、大きく左によれた。
後ろからはフォゲッタブル達が栄光へ向けて怒涛の追い上げを見せる。これ以上の斜行は、目の前の勝利を奪われる事に繋がる。その時、浜中騎手は右手のムチを左手に持ちかえ、冷静に軌道を戻した。

結果は、ハナ差での勝利。
重賞初制覇が、G1タイトルであった。
鞍上の浜中騎手にとっても、これが初めてのG1勝利だった。
歓喜のガッツポーズが光った。

晴れて菊花賞馬となったスリーロールスは、次走を有馬記念に定める。古馬たちとの初対決という高い壁への挑戦だったが、そこにいたのはブエナビスタ・リーチザクラウン・アンライバルドの3頭。同じ新馬戦で勝負の世界への第一歩目を踏み出した4頭が、日本最高峰のレースの1つである有馬記念で再会を果たす──まさに伝説の真骨頂を感じさせた。

しかし結果は、あの頃のようにはいかなかった。
ブエナビスタが2着を確保しつつも、リーチザクラウンは15着、アンライバルドは17着と、ベテラン勢の力量を見せつけられる結果となった。
そしてスリーロールスは──そのゴールすら、駆け抜ける事が叶わなかった。

左前浅屈腱不全断裂。

異変に気がついた浜中騎手は第3コーナーの手前で競走を中止したが、診断は残酷なものだった。競走能力を喪失したと判断されたスリーロールスは、そのまま引退。2つ目のタイトルを手にする事はなかった。
まさに菊花賞勝利に向けて逆算していったかのような現役生活だった。


時が経ち、彼らの子供たちがデビューするようになった。
アンライバルドは初年度からファルコンS勝ち馬や大井・東京ダービー馬などを輩出。リーチザクラウンは産駒のデキの良さから社台SSへの移籍を果たしている。ブエナビスタの初仔・コロナシオンはデビュー戦を圧勝した。

スリーロールスは今、種牡馬を引退し功労馬として余生を送っている。
種牡馬生活中に残してきた数少ない産駒たちの中から、自身を超えるスターが現れることを信じて。
そしてあの伝説の新馬戦から歩み始め、秋にG1戴冠という大きな仕事をした名馬は、クラシックを制した馬として、記録にも記憶にも残り続けてゆく。

──菊花賞が、伝説の新馬戦が、今年もまたやってくる。

あなたにおすすめの記事