2020年12月19日、中山競馬場、GⅢターコイズステークス。
振り返ってみると、それは一つの「最後」となったレースになった。
誰もが足早になる、師走の暮れ。
感染症禍で社会が激変した年であったが、年の暮れはいつもの年と同じようにやってくる。
師走の中山を舞台に争われる牝馬のマイル重賞に、16頭の牝馬が揃った。
1コーナーポケットからのスタート、ゲートが開いて2コーナーまでの短い距離での先行争い。
大外枠から積極的に出して行ったのは斎藤新騎手のトロワゼトワル。
番手に控えたのが、1番人気を背負った3歳牝馬のスマイルカナ。
主戦の柴田大知騎手が、今日もその鞍上にあった。
2コーナーに差し掛かったあたりで、クリスティが外からかわして、スマイルカナは単独3番手での追走となった。
折り合いは効いて、芦毛の馬体が師走の風に躍っていた。
スマイルカナは、その約1年前、同じ中山で2歳オープンのひいらぎ賞で勝利を挙げると、年明けのGⅢフェアリーステークスも先手を取って逃げ切り、連勝を飾った。
クラシック本番、桜花賞では逃げ粘ってデアリングタクトの3着に入線し、オークスでも果敢に逃げたが、距離の壁もあったか16着と大敗。
そこから陣営はマイル路線に照準を定めると、古馬の牡馬に混じってリステッド・米子ステークスを勝ち、GⅢ京成杯オータムハンデキャップでも2着に入るなど、高いマイル適性を見せていた。
出足の速さから好位を取り、豊かなスピードを持続するその姿は、同じ毛色の叔父・エイシンヒカリを想起もさせた。
前の2頭が4、5馬身離して、スマイルカナは単独の3番手。
人気のランブリングアレー、アンドラステはそれを見るように、中団やや前目からの追走。
3コーナーを回って、徐々に馬群が縮まっていくものの、隊列は変わらずに直線へ。
残り200m、馬場の3分どころからスマイルカナが伸びる。
トロワゼトワルとクリスティの2頭をかわして、先頭へ。
内からアンドラステが脚を伸ばし、スマイルカナに並びかける。
大外からはフェアリーポルカが伸びるが、前の2頭には届きそうにない。
中山の急坂を登り切って、アンドラステがスマイルカナに馬体を併せる。
際どい首の上げ下げとなったが、スマイルカナがハナ差でそれを凌ぎ切って重賞2勝目を挙げた。
暮れの中山の直線、芦毛の馬体に赤・緑ダイヤモンド・緑袖の勝負服が映えていた。
岡田繫幸オーナーの、勝負服だった。
その岡田氏の訃報があったのは、翌2021年の3月のことだった。
振り返ってみれば、2020年のターコイズステークスが、岡田氏の個人馬主としての「最後」の勝利となった。
岡田氏は、サラブレッドクラブ・ラフィアンを創設し、牡馬に「マイネル」、牝馬には「マイネ」の冠名を持つマイネル軍団の「総帥」として、長年競馬界隈に尽力されてきた大御所だった。
ドイツ語で「私の」を意味する「マイネル」、「マイネ」を冠名に授けたのは、ラフィアンの会員一人一人の夢を乗せた愛馬であることを表しているように思える。
何より、サラブレッドの生産界におけるカリスマとして、「日本一の相馬眼」と称され知られてきた。
デビュー前後の2歳馬をして、「この馬はイギリスダービーに連れて行きたい」と夢を語るその姿は、多くの競馬ファンに愛された。
大きな夢を語れば「現実を見ろ」と叩かれ、それが叶わなければ「ホラ吹き」だと後ろ指をさされるのが、この世の常である。
そんな中で、誰にも真似できないような、でっかい夢を語る岡田氏の姿は、多くの人に夢と希望を見せてくれた。
そして、縁のあった柴田大知騎手、丹内祐次騎手を一貫して重用し続ける、情の人でもあった。
2006年から3年間、勝利数ゼロのどん底にいた柴田大知騎手は、岡田氏をはじめとした人の縁により、徐々に騎乗機会と勝利を重ねていった。
2013年には、マイネルホウオウとともにNHKマイルカップで初めてGⅠを制した。
勝利騎手インタビューで、人目をはばからずに大粒の涙を流した。
赤・緑袖赤一本輪の「ラフィアン」の勝負服が、その涙に映えていた。
2020年のターコイズステークスのスマイルカナは、そんな岡田氏の個人馬主としての「最後の勝利」になった。
自分の死の瞬間を知ることができないように、多くのものごとはその最後をあらかじめ知ることは難しい。
「今日が、最後」
そう思って最後を迎えられることなんて、実は少ない。
そうは思っていなかった、あの日が実は最後だった。
そんな想いをすることは、歳を重ねるごとに積み重なっていくばかりだ。
それが「最後」だと知らずに、
行けなかった場所、
会えなかった人、
伝えられなかった言葉、
言えなかった気持ち、あるいは愛。
そんなものたちを重ねて、私たちは今日を生きる。
日本競馬に多大な功績を残した、岡田繫幸氏。
その最後の勝利を飾ったサラブレッドの名が、「スマイルカナ」だったことは、忘れないでいたいと思う。
幼くして亡くなった、岡田氏のご子息の娘の名が、その由来だと聞く。
芦毛の馬体が走るたび、周りのたくさんの人を笑顔にしてきたのだろう。
それが最後だと、あらかじめ知ることはできないけれど。
そして、伝えられなかった言葉は、積み重なっていくばかりだけれども。
せめて、忘れないでいようと思う。
ひたむきに先頭を駆けた、その走りを。
赤・緑ダイヤモンド・緑袖の、勝負服を。
どん底から這い上がってきた、鞍上の手綱を。
その走りが咲かせた、多くの笑顔を。
そして、その名の由来を。
せめて、忘れないでいようと思う。
そしていつか、スマイルカナの仔が、ターフを駆けるのを見つけたら。
一生懸命に、応援しようと思う。
写真:かぼす