「よし、勝った!」
中山競馬場の4コーナー付近で、私はそう大声をあげようとした。
私が応援していた武豊騎手とメイショウナルトが、先頭に立つ勢いだったからだ。その日、私は彼らの応援が目当てで競馬場を訪れていた。
先頭を行くのは1番人気のダノンバラードだが、その脚色は急坂を上がったところで明らかに鈍っている。ゴール板を過ぎるまでには差し切れそうだった。
しかし大外から1頭、凄い勢いで追い込んできた馬がいた。
──明らかに脚色が違う。
そう思ったのも束の間、メイショウナルトは一瞬たりとも先頭に立つことなく、その馬にあっさり交わされてしまった。
勝ったのは9番人気の伏兵、ヴェルデグリーン。
自身が積み上げた全7勝のうち、この2013年のオールカマーなど重賞2勝を含む5勝を中山競馬場であげた「中山巧者」だった。
当時、高校2年生だった私は携帯のカメラを起動させてこのレースを見守っていた。
ネコパンチが主張して後続を引き離して気分良く単騎逃げ、2番手にコスモラピュタ、3番手にメイショウサミットと人気薄の各馬が続き、4番手に1番人気ダノンバラード。その真後ろに2番人気で私の目当てだったメイショウナルトと武豊騎手が続く展開だった。
先行勢が淀みないペースで流したため、馬群は終始縦に長い隊列をなして進む。その中でヴェルデグリーンはマイペースに後方2番手を追走していた。
3コーナーにかかるところで先頭を行くネコパンチの脚が上がり始めた。コスモラピュタ、メイショウサミット、ダノンバラードら先行勢の動きが慌ただしくなる。
4コーナーを回る時にはネコパンチは後続に飲み込まれ、代わってダノンバラードが早めに先頭に立って直線を向いた。真後ろで虎視眈々と時を待っていたメイショウナルトがそれを追い、最内をハナズゴール、間を割ってサトノアポロなどが差を詰める。
それらを右手に見て、後方2番手にいたはずのヴェルデグリーンが大外から急坂を駆け上がった。ネコパンチがバテてラップが緩んだ隙を突いて先行勢の直後まで取り付いていたのだ。
脚色の差は歴然だった。
終わってみるとヴェルデグリーンの上がり3ハロンのタイムとメイショウナルトのそれとでは1秒も差があったのだから、その感覚も頷ける。メンバー中、唯一の上がり33秒台を記録してメイショウナルトをクビ差だけきっちり差し切った彼は、重賞挑戦2戦目にして重賞初勝利を成し遂げたのだった。
晴れて重賞勝ち馬となったヴェルデグリーンは、天皇賞・秋と有馬記念のGⅠ2戦に挑み、オルフェーヴルやジェンティルドンナ、ゴールドシップ、ジャスタウェイなど歴史に名を刻む名馬たちの前に敗れた。
一方で、年明けのAJCCは2番人気に応えて重賞2勝目、続く中山記念でも5着と中山では存分にその巧者ぶりを見せつけ実力が確かなものであることを証明してみせた。
続くは春の大一番、宝塚記念。重賞タイトルを積んで再び挑んだGⅠの舞台で最後方を追走から直線で追い込みを図ったものの、あるはずのギアが入らない。結果は12頭立ての12着、陣営も首を傾げるシンガリ負けだった。
そんな中、担当する厩務員の方は、若干の違和感を覚えたという。特段、体調が悪いようには見えないが筋肉が戻らない。それまでは馬体重が減っても間隔を開けて調整すればまた増やして競馬に臨めていたが、有馬記念からは全く馬体重が増えてこなかった。それでいて伸びてくるはずのところから失速し、ブービーからも大きく離されての敗戦。ここまで負ける馬ではないはずなのに、何かがおかしい。
8月3日、その時は突然やってきた。
ヴェルデグリーンがこの世を去った。
宝塚記念からわずか1ヶ月ほどの出来事だった。
前日、放牧先で疝痛を発症し、開腹手術を行ったところその身体が病魔に蝕まれていることがわかった。
癌だった。
もう既に手の施しようがないほどに転移が進んでいた。
その日のうちに安楽死の処置が施され、ヴェルデグリーンは23戦7勝うち重賞2勝の成績をもって現役のままその生涯を終えた。
馬体重が戻らなかったことも、宝塚記念での不可解な敗戦も、全身を蝕む癌に耐えながら走り続けていたと考えれば筋が通る。
生まれつき爪が薄かったヴェルデグリーンは新馬戦こそ勝ったものの、その後の軌道に乗ることはできずクラシック戦線に名を連ねることはできなかった。4歳の年明け初戦で2勝目を記録したが、その後は降級を挟んでも勝利をあげることはできず、常に上位人気に支持されながらも期待に応えきれない競馬が続いた。5歳になって爪の不安が解消されるとようやく本格化を迎え、わずか3ヶ月の間に3連勝で一気にオープン入りを果たす。
本格化までの持てる力を上手く発揮できない我慢の期間を根気よく育て上げたのが、管理した相沢郁調教師だった。
ヴェルデグリーンの母レディーダービー、祖母ウメノファイバーも相沢厩舎の管理馬。特にウメノファイバーは厩舎に初めてGⅠタイトルをもたらした所縁の血統だ。母としてなかなか活躍馬を送り出せずにいたウメノファイバー、そしてレディーダービーも初仔は未勝利のまま厩舎を去っていた。
厩舎としてウメノファイバーの血を預かり続ける以上、活躍馬を育て上げることが恩返しになるはずだ。それだけにこの血統にあって重賞を勝ったヴェルデグリーンへの想いは大きかったことだろう。
競走馬として生をうけた以上、急な別れが待ち構えていることは十分承知しているとしても、それはあまりに残念な別れだった。
ヴェルデはフランス語で、グリーンは英語でそれぞれ「緑」を意味する。
緑色の勝負服を身にまとい、6枠の緑帽を被った田辺裕信に緑面のターフを導かれたヴェルデグリーン。
オールカマーの季節の風が吹くと、緑に染まったあの日の中山競馬場のことをふと思い出す。
写真:Horse Memorys