
1.「松柏之寿」
「松柏之寿」という四字熟語がある。長命であること、節度を守って変わらないことを言う。松や柏といった樹齢が長い常緑樹に、変わらない若々しさを見る語である。この四字熟語の出典は唐の詩人・白楽天の漢詩なので「柏」というのは中国の「コノテガシワ」という品種を指し、日本の落葉樹の「カシワ」とは異なるようだ。
ところで競馬ファンにとって「柏」と言えば、5月頭に船橋競馬場で行われるJpnⅠ競走・かしわ記念だろう。この「かしわ記念」という名称は船橋競馬場の前身である柏競馬場に由来する。この「柏」という地名は「河岸場」が訛ったものとのことで、植物の「柏」とは関係ないようだが、かしわ記念では「松柏之寿」を表すような活躍馬が多い。競走馬としてはベテランとなる6歳以降でこのレースを制する馬が多数現れているのだ。例えば7歳でこのレースを勝った馬としてはブルーコンコルド・フリオーソ・エスポワールシチー・コパノリッキー・シャマルがいる。しかし彼らもこのレースの最年長制覇者ではない。9歳でこのレースを制したワンダーアキュートがいるからである。
ワンダーアキュートが制したのは2015年のかしわ記念。この前年の勝ち馬はコパノリッキー、前々年の勝ち馬はホッコータルマエで、いずれも4歳での戴冠だった。2頭の王者の登場でダート界に世代交代の波がやってこようとする中、「松柏之寿」を見せつけるような勝利を飾ったのがワンダーアキュートだった。
ワンダーアキュートと言えばベテランになってからの活躍がクローズアップされることが多い。しかしどのような馬にも若手だった時期はある。本稿ではあえて、GⅠ制覇を果たす前のワンダーアキュートに注目してみたい。そこに「松柏之寿」の秘訣があるように思えるからだ。

2.3歳にして重賞馬に
ワンダーアキュートは晩成型の馬というイメージがあるが、実は早くから活躍している。
2009年1月の3歳新馬戦でデビュー勝ちをおさめると、3月には2勝目を挙げる。日本ダービートライアル・青葉賞こそ10着と大敗するが、ジャパンダートダービーとレパードステークスで5着に入るなどダートでは世代のトップレベルで活躍。10月のGⅢシリウスステークスで古馬重賞初挑戦ながら1着となって重賞馬の仲間入りを果たした。次走のGⅢ武蔵野ステークスはGⅠ馬サクセスブロッケンや同世代の強豪トランセンドらメンバーが揃った一戦だったが見事勝利。早くも重賞2勝馬となった。
こうなると狙うはGⅠのタイトルだが、3番人気で臨んだジャパンカップダートは6着に終わる。翌2010年は骨折で春シーズンを棒に振り、古馬初戦は11月のGⅢみやこステークスまでずれこんだ。ここで6着した後に出走したオープン競走のベテルギウスステークスで1年以上ぶりとなる勝利こそ挙げるものの、年末の大一番・東京大賞典では上位争いに絡めず10着と大敗。同世代のトランセンドやスーニがGⅠ級競走で結果を残す中、波に乗り切れない走りが続いた。

3.会心のレコード勝利
5歳となった2011年はコンスタントにレースを使われ、春シーズンはオープン競走で2着→1着した後JpnⅢ名古屋大賞典でエスポワールシチーの2着。当時のダート最強馬の一角に2馬身差まで迫ったのだから、ワンダーアキュートも力をつけていることがうかがえた。しかしこの実績を買われて1番人気に推されたGⅢアンタレスステークスでは4歳馬ゴルトブリッツの2着に敗れる。当時5月開催のGⅡとして行われていた東海ステークスは、この馬の実力を改めて測る一戦となった。
この年の東海Sは混戦模様であったが、その中でも単勝オッズ2.1倍とやや抜けた人気になったのがゴルトブリッツ。アンタレスSで重賞初制覇を果たした新鋭はこの年未だ土付かずだった。ワンダーアキュートは単勝4.8倍の2番人気。東京大賞典・フェブラリーステークスで3着の実績を持つ4歳馬バーディバーディが5.9倍の3番人気、前走マーチステークスを快勝した5歳馬テスタマッタが6.5倍、前年覇者の5歳馬シルクメビウスが8.9倍と続いた。実績ある「トランセンド世代」の5歳馬と、力をつけてきた4歳馬のどちらに軍配があがるかが注目されたレースと言えた。
レースはランフォルセがハナを切る展開となったがそれほど離した逃げではなく、人気馬も先団から中団に固まる形。ワンダーアキュートは内の3番手をキープし、直線でランフォルセを交わす。上がり最速の末脚でまとめられては後続各馬は為す術がなかった。勝ちタイム1分53秒7はレコードで、この馬の強さを示す結果と言えた。
4.ダート王たちとの激闘
夏休みを経たワンダーアキュートはみやこSを4着した後、JCダートに再び挑戦。だがこの一戦は2頭のダート王による一騎打ちと見られていた。単勝2.0倍の1番人気はトランセンド。前年のJCダート覇者にして、この年のドバイワールドカップではヴィクトワールピサとの日本馬ワンツーという歴史的偉業を達成。前走のJBCクラシックこそスマートファルコンに敗れているが、スマートファルコン不在のこのレースに必勝を期していた。単勝2.8倍の2番人気はエスポワールシチー。前々年のジャパンカップダート勝ち馬で、この年も名古屋大賞典とみやこSを勝って重賞2勝。6歳ながら健在ぶりを見せつけていた。一方GⅠでの実績に乏しいワンダーアキュートは単勝19.0倍の5番人気と伏兵評価に留まった。
パドックからテンションが高かったワンダーアキュートはスタートで大きく躓き、後方からの競馬になってしまった。しかし直線で凄まじい追い上げを見せ、上がり最速の末脚を発揮。逃げたトランセンドには2馬身及ばなかったものの、エスポワールシチーにはハナ差先着する2着と大健闘を見せる。出遅れながらも2頭のダート王に割って入ったワンダーアキュートの実力が改めて見直された一戦だった。
2011年の最終戦に選ばれたのは東京大賞典。前走で評価を上げたワンダーアキュートは2番人気ヤマニンキングリーとほぼ差の無い3番人気とまずまずの支持を受けたが、そのオッズは単勝10.4倍。それもそのはず、このレースには単勝1.0倍の「絶対王者」スマートファルコンが出走していたからである。2010年のJBCクラシックから破竹の7連勝。2011年の帝王賞ではエスポワールシチーを、JBCクラシックではトランセンドを退けており、国内に敵無しの状況であった。前年の東京大賞典では2分0秒4という驚異のレコードタイムを叩き出しており、もはや「勝つか否か」ではなく「どのような勝ちっぷりを見せるか」が関心事になっていた。
スマートファルコンが好スタートからハナを切る展開はいつも通り。ワンダーアキュートは今回は出遅れず、スマートファルコンを見る2番手の位置を確保できた。最後の直線で後続を突き放すのがスマートファルコンのいつものパターンだが、ワンダーアキュートは離されない。ジリジリと差を詰め、ハナ差まで届いた所がゴールだった。ドバイWCで2着の実績を誇るトランセンドでもJBCクラシックではスマートファルコンに1馬身差をつけられている。2011年を年間無敗で完走した「絶対王者」に最も近づいたのはワンダーアキュートだったのである。

5.挑戦が馬を強くする
ワンダーアキュートの2012年以降の活躍はご存知の読者も多いだろう。2012年のJBCクラシックで念願のJpnⅠ勝利。2013年にはJpnⅡ日本テレビ盃を制し、川崎記念・JBCクラシック・JCダート・東京大賞典とGⅠ級4戦で2着。2014年には8歳にしてJpnⅠ帝王賞を制覇すると、2015年のかしわ記念勝利でGⅠ級最高齢制覇の日本記録を打ち立てた。ホッコータルマエやコパノリッキーといった新世代のダート王が台頭してくる中でも、互角に渡り合ったのである。
ベテランになってからの活躍を見ると、「松柏之寿」とはこの馬のためにあるような言葉だと改めて感じるのだが、その土台はGⅠ馬になる前、2011年の走りにあるように思われる。
競馬評論家・古谷剛彦氏は「挑戦なくして強い馬は出現しない」という言葉でハイレベルなレースへの挑戦を提言している(古谷剛彦「挑戦なくして強い馬は出現しない 新ダート体系はさらなる進化を」『ダート競馬、新時代へ ~新競走体系が与える効果を様々な角度から紐解く~』2024年、https://www.keiba.go.jp/dirtgraderace/newroad/specialcolumns/column_15.html)。これは地方馬のレベルアップを念頭に置いた言葉だが、中央馬同士の戦いにも言えるだろう。
2011年はワンダーアキュートにとってゴルトブリッツ・エスポワールシチー・トランセンド・スマートファルコンといった猛者たちと激闘を繰り広げた1年だった。結果的に重賞勝ちは東海Sのみ。しかし強敵たちと競り合った経験はワンダーアキュートの強さを一段階引き上げたのではないか。
ワンダーアキュートを担当した並床恵二調教助手は、2011年のJCダートでのワンダーアキュートの変化について次のように語っている。
JCダートはワンダーアキュートが、その前走で負けたことを悔しがったんだと思います。前走を終えて、勝つために何をしたらいいのか?
──「打倒スマートを胸にワンダーアキュート!」(『競馬ラボ』2011年12月25日、https://smart.keibalab.jp/column/interview/447/)より引用
「朝からずっとイレ込んでいたらしんどいから、パドックまでは大人しくしておこう」と。だから、普段のパドックよりも3倍くらいはうるさかったですね。蛇口を捻るかのように汗を流して……。僕はずっと担当しているから、わかりますが「今、体を絞っているんだろうな」と思いましたよ(笑)
ワンダーアキュートは敗戦を糧にして対策を考えることができる賢い馬だった。その馬がダート王たちと戦ったことで「勝ち」に貪欲になったことは想像に難くない。
「松柏之寿」は数多の激闘を経てきた先に辿り着いた境地と言えるのではないだろうか。

Photo by I.Natsume