その馬は、スピードが違い過ぎた。
それだけでなく、強靭なスタミナも兼ね備えてた。

まるで自分のレースタイムがどれほどのものか、理解しているかのような走り方をしていた。後続から来る、今もなお名を残している強力なライバル達を、子供扱いしていた。

ある者は、欲望・羨望を。
ある者は、絶望を。
そしてある者は、日本競馬史上最強馬という賞賛を。

たった4戦しか戦ってないために過大評価に聞こえるかもしれないが、光輝く栗毛の馬体はその可能性を感じさせた。
その真価を見せる事は突如として叶わぬまま、血を残す事に専念せざるを得なかった。

そして自らが取れなかった世代の頂点の称号を息子が叶えてくれた、数少ないダービー馬の父になった音速の粒子。

アグネスタキオン。
第61回皐月賞馬。

父は現代の日本競馬界の歴史的名種牡馬、サンデーサイレンス。
母は無敗で桜花賞を勝ったアグネスフローラ。
アグネスフローラは、タキオンの前の年にアグネスフライトを産んでいて、既にダービー馬の母となっていた。

ダービー馬の弟という、日本競馬ではある意味「よくありがち」な注目を受けつつデビューしたアグネスタキオンは、早くもその異次元の強さを見せつける。

スタート後は後方に構えるも、3コーナーから進出を開始。

直線で2番人気のリプロードキャストを持ったままで交わすと、そのまま突き抜けて独走し、メンバー唯一の上がり三ハロン33秒8という鮮烈なデビューを飾った。

アグネスタキオンのその強さに自信を強めたのか、或いは怪我のリスクを避ける為だったのか──陣営は、当時における中距離2歳路線の大一番・ラジオたんぱ杯3歳Sへ格上挑戦することを選択した。

少頭数ではあったが、そのメンバーは今振り返ると、一筋縄では行かなかった相手だったと言える。

まず1頭目は、クロフネ。
後にNHKマイルCを勝ち、そしてダービーでも2番人気に推される、アメリカから来た「マル外開放元年」の外国産馬。
ダート路線へ転向すると、武蔵野S・ジャパンカップダートで圧巻のパフォーマンスを披露した。

2頭目はジャングルポケット。
こちらは、ダービーを快勝する実力馬。一部では「タキオンが居なかったからダービーを勝てた、最も運の良い馬」と揶揄されたこともあったが、その雑音は同年のジャパンカップでテイエムオペラオーを見事に差し切ったことで払拭した。ジャパンカップの走りで、自身だけでなく世代の実力をも証明した、タキオンの好敵手である。

ラジオたんぱ杯3歳Sまでに、クロフネはエリカ賞を快勝し、そのタイムも当時としては好タイムであった2分1秒2でもあった為、断然の一番人気に支持されていた。
2番人気はアグネスタキオン。
3番人気は札幌3歳Sをテイエムオーシャン相手に見事勝利し、休養明けで挑んだジャングルポケット。
レースはこの3頭の争いに絞られていたといっていいだろう。さあ、誰が抜け出すか?という注目が集まった。

クロフネか?
タキオンか?
ジャングルか?

タキオンの鞍上が追い出したのは、残り200mを切ってからだった。そこから信じられない光景が繰り広げられることになる。

──いや、この当時はよくありがちな2歳馬の光景だったと片付けられているのかもしれない。

しかし、今を生きる競馬ファンなら、余りにも恐ろしく、戦慄が走る光景に映るのだ。

あのクロフネが?
あのジャングルポケットが?
いとも簡単に突き放されるなんて……

何という馬だ、そんな強い馬は。

ああ、アグネスタキオンか……。

この時点で、「音速の粒子」という異名を持ってもおかしくないような走りであった。

アグネスタキオンのレースタイムは、2分0秒8。
2着のクロフネは、2分1秒2。
コンマ4秒の差。この差は永遠に縮まらない差なのではないか……そう感じさせるほどに見事な、アグネスタキオンの初重賞制覇だった。

年が明けて2001年、タキオンは皐月賞のリハーサルとして弥生賞を使う事になった。この情報を聞き、有力馬はこぞって弥生賞を回避する事に。

結果、8頭立てのレースになり、ここも楽に勝利を収めたのだが、実はこのメンバーの中に、秋冬には新時代の到来を告げる勝利をあげる、漆黒の名馬がいた事をご存知だろうか。

クラシック最後の一冠・菊花賞と、年末の大一番・有馬記念を勝利し、さらには翌年天皇賞春を制したマンハッタンカフェだ。
弥生賞当時はまだ成長途上ということもありタキオンに突き放されてしまったが、夏場からメキメキと頭角を表しグランプリホースの座を射止めることになる。

アグネスタキオンはこの時点で既に、後のG1ホース3頭に完勝しているのだ。
もはや一冠目に死角なしという雰囲気の中迎えた皐月賞。
多くのファンが、アグネスタキオンがどのような勝ち方をするのかを楽しみにしていたことだろう。それに対抗するジャングルポケットが中山でどのようなレース振りをするのかも、注目を集めた。

レースではアグネスタキオンが好スタートを切って5番手を確保。対するジャングルポケットは出遅れて後方からの競馬となった。

シュアハピネスが先手を主張し、シャワーパーティーが2番手でぴったりとマークする。

1000m通過タイムは59秒9。
ここまで11秒台後半のラップが続いていた為、地力勝負が求められる展開になっていた。

アグネスタキオンはいつものようにしっかりと折り合っていたが、3コーナーを過ぎた辺りから何かに気付いたかのようにスパートをかける。

その「何か」の正体は、ジャングルポケット。大外から勢いよく捲ってきていた。
しかしアグネスタキオンはそれを物ともせず、まるで「ジャングル、待っていたぞ」と言わんばかりに最終コーナーをカーブしていった。

そこからは、タキオンの独壇場だった。
迫るジャングルポケットの末脚もどこ吹く風と、タキオンはまるで精密機械のように加速を続けた。
ジャングルポケットを終始マークしていたダンツフレームがラストで間を割って食い込むが、最後の急坂で勝負有り。むしろダンツフレームをさらに突き放しそうな勢いのままで、「一冠目」のゴールインを果たした。

テイエムオペラオーに次ぐ、栗毛の名馬が誕生した。
可能性を秘めたその姿を見せつけて、ダービーへと弾みをつける快勝──のはずだった。

皐月賞から数週間後の事である。
アグネスタキオンは左前浅屈腱炎を発症し、ダービーを断念した。
復帰ヘ向けての調整も続いたが、8月29日に引退発表となった。

その類稀なる強さ──粒子(タキオン)は、三冠達成も十分にあり得る程のものだった。いや、それ以上だったかもしれない。皐月賞後のライバル達の活躍を見ていけば、そのレベルの高さは、一目瞭然だった。

クロフネ、ジャングルポケット、マンハッタンカフェ……引退後にもますますアグネスタキオンの評価が高まるようなライバル達の活躍により、その産駒にも注目が集まった。

そしてアグネスタキオン産駒は、初年度から快挙を達成する。
ロジックがNHKマイルカップを勝利したのだ。
他にもランザローテ、ショウナンタキオンが重賞勝ちをするなど、上々の滑り出しだった。

そして続く2年目産駒からは、歴史的名牝が登場した。

ダイワスカーレットだ。

父と同じく三冠を狙える逸材だったが、桜花賞を制覇したもののオークスを熱発で回避。その後復活するとエリザベス女王杯も勝ち、有馬記念は2着と1着、天皇賞秋のウオッカとの激戦は近年でも稀に見る内容で、今も語り草になっている。

この他にも、アドマイヤオーラ、ショウナンタレント、マイネカンナなどの重賞勝ちを輩出した。
そして3年目の産駒は、まさに「タキオンの時代」の到来を感じさせる活躍を収めた。
まずは、この世代の皐月賞で鮮やかな逃げ切りを決め、川田将雅騎手に初のG1タイトルをもたらしたキャプテントゥーレ。

良血エアトゥーレとの交配という時点で話題の血統馬だったが、その期待に応える結果を残した。しかしその後奇しくも父と同じく怪我に見舞われ、ダービーを断念。
復帰して朝日チャレンジカップを制したのが1年5ヵ月ぶりの白星になるなど、父とはまた違った波乱の競走馬生だったが、無事に引退して種牡馬となった。短い種牡馬で南関重賞・黒潮盃を制覇するクロスケを輩出した。

続く、日本ダービー。

NHKマイルCを勝ち変則二冠を目論んだディープスカイ。父であるアグネスタキオンがダービーの舞台で本当にやりたかったレースぶりを示すかのように、大外一気で突き抜け世代の頂点に立って見せた。
その瞬間、タキオンは遂にダービー馬の父となったのだ。その時ディープスカイの鞍上だった四位洋文騎手は武豊騎手以来となる日本ダービー連覇という偉業も達成した。

後にディープスカイは種牡馬としても優秀な成績を残している。
2016年JDDにてキョウエイギアが制し、初のG1制覇。
そして2017年菊花賞で2着、2018年京都記念を勝ったクリンチャーを輩出している。

最後に、エリザベス女王杯。
それまで追い込み一辺倒だったが、鞍上のエスコートにより先行してカワカミプリンセスとベッラレイアの追撃を振り切った名牝・リトルアマポーラが戴冠した。

その後2011年にはレーヴディソールが阪神JFを制する。その末脚は鮮烈なものであり、怪我に苦しまなければ牝馬三冠もあり得たほどの素質を秘めていた。

2012年にはグランデッツァが後にダービー馬となるディープブリランテを差し切ってスプリングSを制し、皐月賞では一番人気に推される程の期待を受けていた。その後怪我に悩まされて復帰した2014年では、都大路Sで芝1800mの日本レコードを樹立した。

だかその頃には既に、アグネスタキオンの生涯は閉じていた。リーディングサイアーを獲得した翌年の2009年、種付けシーズン終盤で急性心不全により亡くなったのだ。

彼はその種牡馬人生もまた、音速のように駆け抜けていった。しかし遺してくれたものはどれも、宝物であったように思う。

この世に怪我というものがなければ……。

「幻の無敗の三冠馬」と思わせる、惜しい名馬であった。

しかしその血脈は、確実に日本競馬界に根付いている。

写真:かず、Horse Memorys

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