のっけから意味深なタイトルで恐縮ですが、いま有線放送を中心に「花は誰のもの?」という楽曲がロングヒットを続けています。もしかしたら、年末に向けての歌番組などで皆様も耳にする機会があるかも知れません。
この歌自体は平和への願いをモチーフにしたものです。本稿で詳しくとりあげるつもりはありませんが、この歌および歌っているグループが広く世に知られるきっかけとなった出来事は、いかにもネット時代の出来事だなと思える面と、ネットの時代でも人々に受け入れられるものは普遍的な面もあるのだなということで、現代における効果的なマーケティングの一例として考えさせられるものがあります。
本当に価値のあるものは、知られるきっかけさえあれば広く世に受け入れられる一方で、それではどのように「知らしめる」ことができるのか、音楽業界に限らずどの業界でも頭を悩ませていることではないでしょうか。
当プロジェクトも、今春のガレットデロワ陣営からの『種付けオファー⇒無事受胎』という千載一遇の機会を得て、活動の方向性が大きく変わろうとしています。
今までは、種牡馬クワイトファインの維持のための「最低限の維持費用の調達」、「繁殖牝馬の調達」が活動の主眼でした。正直なところ、「馬主、生産者への働きかけ」は、言葉は悪いですが運頼みというか、ウマフリのコラムやTwitterでの発信を、誰かが見てくれていればいいな、そして趣旨に共鳴していただける人が現れればいいなというスタンスで、有効な広報戦略は本音ベースではまったく描けていませんでした。
しかし、今回、全く面識もなかったトラストスリーファーム岡崎代表や西本オーナー、篁オーナーに「見つけて」いただき、ビジネス戦略の一環としてフラットな立場で、クワイトファインのことを選んでいただいたのです。
ビジネス戦略という面で言えば、先般のサマーセールにおいて、現役時代に重賞・特別勝ちがない種牡馬の産駒でも幅広く売却されていました。血統背景がニーズにマッチしていれば競争成績が伴わなくても市場は評価しています。例えばヘンリーバローズ(競走成績2戦1勝)は4頭上場し完売しています。同馬はシルバーステートの全弟で種付け料がシルバーステートの10分の1以下なのですから人気が出るのももっともですし、生産者にとってはローコストで良血馬を生産できるのですから有難い存在でしょう。
馬が売れる、価格水準も上がるというのは生産者にとっては有難い状況でしょうが、地方の馬主、調教師にとっては頭の痛い面もあるかも知れません。全体的に賞金は上がっているとはいえ、1,000万円の新馬を購入しても南関、園田、高知以外では重賞級の活躍をしないと元は取れませんからなかなか手が出せないという状況もあったようです。
クワイトファインに話を戻しますと、「見つけて」いただいた効果は、私の想像を超えるものでした。先日の岡崎代表のインタビュー記事は、競馬以外のメディア関係者の方々にも広く読まれていたようで、とある大手メディアから早速取材のオファーが入りました(近日記事公開予定)。
このように、良い意味でクワイトファインが競馬サークルに認知され始めたわけですが、そうしますと、私のなすべき役割も大きく変化していきます。もちろん資金調達の努力は続けなければならないのですが、種牡馬クワイトファインという「話題性」、「多くのファンの支え」、「配合しやすい血統的優位性」を最大限いかして、生産者からみれば「相応の値段で売れる馬」、かつ、ファンの皆様から見れば「直接応援できる馬」を送り出すための活動をしていかなければなりません。そして、それは厩舎関係者の皆様にとって「ファンを呼べる馬」であれば三方良しです。ファンが集まり馬券が売れれば賞金も上がり、馬の値段も高くなります。そうして経済を回すことで競馬は発展します。
冒頭のタイトル、件のヒット曲を拝借して「競馬は誰のもの?」という意味深なタイトルをつけましたが、日本に関して言えば、馬券売り上げが賞金の源泉となっていること、そしていわゆる「一口馬主(金融商品)」という制度が定着してそれも軽種馬流通を下支えしていることからも、ファンの比重が欧米に比べると相当に高いのが、今日の日本競馬ではないでしょうか。
そう──血統を除いては。
血統だけは、それを残すも絶やすも、馬主と生産者の手に委ねられ、ファンの意思が入ることなど到底叶いませんでした。メジロアサマからメジロマックイーンまでの内国産3代のサイヤーラインが続いたことは、馬主の北野さんのいい意味での「究極の道楽」でしかありませんでした。とは言え、北野オーナーがメジロアサマ、メジロティターンのサイヤーラインを繋いでメジロマックイーンという稀代の名馬を世に送り出さなければ、オルフェーヴルもゴールドシップも誕生しなかったわけです。
そこで、敢えて問います。「血統は誰のもの?」と。
……その答えは、まだ出ていません。少なくとも私は北野オーナーには遠く遠く及びません。正直、私では役者不足なのです。それは自虐でもなんでもなく皆様もそう思っていることでしょう。
しかし、多くのファンの皆様の支えていただく意思を、今の制度に上手く乗せていくことができれば、もしかしたら、歴史の転換点をつかみ取ることができるかも知れません。
役者不足は役者不足なりに、最後まで足掻いてみます。皆様も、どうか支えてください。