[連載・片目のサラブレッド福ちゃんのPERFECT DAYS]ノミと曲芸師(シーズン1-12)

生産者から見る血統の世界と、競馬ファンから見るそれは、分けて考えるべきだと僕は思います。生産者にとっての血統は、受胎から産駒の誕生、幼少期までを形づくるため、競馬ファンにとっての血統は、それ以降の競走馬としての活躍を占うためのそれです。同じサラブレッドの血統ではあり、地続きではありつつも、競走馬「以前」と「以後」では血統の意味や意義において明確な違いがあるのです。どちらの見方が正しいということではなく、血統を用いる目的が全く異なるということです。近親交配(インクロス)について語るとき、両者の考え方や意見が平行線をたどってしまうのは当然です。

僕が近親交配(インクロス)の弊害に気づいたのは、不受胎から流産、奇形の問題をひと通り経験してからです。N(母数)イコール1とか2の話じゃないかと言われそうですが、Nイコール1とか2だからこそ見えてくる問題もあるのです。Nが大きくなってしまうと目につかなくなったり、そもそもNに入れられていないなんてことも起こるからです。たとえば、毎年どれほどの馬が不受胎によって生まれてこなかったり、流産してしまったり、奇形で生まれてきたことで生後直死として扱われているのかの数字(頭数)は正確には把握できません。馬産の闇とかそういう話ではなく、単に表に出てこないからです。僕たちが今まで目にしてきた馬たち、また僕たちがNだと思っている数字は、近親交配(インクロス)の弊害が生じなかった馬たちなのです。

もう一度、生物学的なおさらいをしておくと、近親交配とは父方と母方から同一の遺伝子をもらうことで、普段は顕性遺伝子に作用の発現を抑えられている潜性遺伝子がホモとなり、この潜性遺伝子が導く形質を隠さないことを期待すること。それによって良い効果もあるかもしれませんが、有害な遺伝子が発現して悪い効果(弊害)が生じてしまう可能性もある(確率が高まる)ということです。

なぜ競走馬「以前」と「以後」に分かれるかというと、近親交配(インクロス)の弊害が生じるのは主に受胎から出産(誕生)、そして幼少期までであり、競走馬になれたということは、近親交配の弊害が生じなかった(幸運にも有害な遺伝子が隠されたままでいられた)ということだからです。極端に言うと、無事に受胎して、流産することなく生まれて、健康に育った馬たちの血統を見て、近親交配の弊害を論じることに基本的には意味がないのです。つまり、近親交配(インクロス)の弊害は競馬ファンにはほとんど関係がなく、生産者だけが知っておけば良い話なのです。

「ノミと曲芸師」というたとえがあります。綱渡りをしている曲芸師にとって、綱渡りのロープは一次元に見えます。ロープの上を歩いて、なんとか終着点までたどり着こうとするのです。一方で、ロープの太さよりも圧倒的に身体が小さいノミにとっては、同じロープであってもその表面は二次元に感じられるはずです。ロープの上を這うこともできますし、横や下を歩くこともできます。そもそも上や下、横といった感覚すらないかもしれません。競馬ファンが表の世界を生きる曲芸師だとすると、生産者は裏の世界を歩くノミです。同じサラブレッドの血統であっても、立場によって見え方や見かたは全く異なり、2つの世界は互いに交わることのないパラレルワールドなのです。

生産者にとって、近親交配(インクロス)の弊害は、主に歩留まりや収率が悪くなってしまうことです(もちろん、ライトコントロールや排卵促進剤等の使用などの他の要因も複雑に絡み合っているのだと思いますが)。近親交配(インクロス)が強いとそもそも受胎率が悪くなり、受胎したとしても胎児が消えてしまったり、生まれるまでの途中で流れてしまったりします。無事に誕生したとしても、脚が曲がっていたり、福ちゃんのように小眼球症を患っていたりと奇形で生まれてくることもあります。五体満足で生まれたように見えても、成長するにつれて体質が弱かったり、脚元に不安があって怪我をしやすかったり、精神的な問題(疾患)を抱えていたりするのです。つまり、競走馬登録に至るのが難しいということですね。

年間で数頭しか生産しない規模の生産者にとって、歩留まりや収率の悪さは死活問題です。まずは受胎してくれないと何も始まらず、無事に産まれて、健康に育ってくれないと世の中に出すことができません。強い馬づくりはそのあとの話です。ここで大きな疑問が生じます。それではなぜ弊害が大きいのに、これほどまでに近親交配(インクロス)のきつい配合の馬たちが生産され続けているのでしょうか?

それは走った牝馬に走った牡馬(種牡馬)を配合すると、気がつくと近親交配(インクロス)のきつい配合になってしまうからです。その時代やその国の競馬で走った馬同士を配合すると、自然と同じような血になってしまうものです。たとえばサンデーサイレンスの仔は日本の競馬を席巻しましたが、さすがにサンデーサイレンスの産駒同士(牡馬と牝馬)は2×2になってしまうので配合しないにしても、走った孫同士やひ孫と孫はありえます。あえてサンデーサイレンスの3×3や3×4のインクロスを作ろうと意図しているわけではなく、走った馬同士を配合しようとすると、自然と勢いのある血のインクロスが生じてしまうということです。

なぜサンデーサイレンスの3×4のクロスを持っている馬の方が走るかというと、サンデーサイレンスの3×4を持っている馬の方が、持っていない馬よりも、強い個体を有して活躍した両親の間に生まれている可能性が高く、それゆえに前者の方が走る確率が高いということです。有害遺伝子が発現することなく、幸運にも競走馬になれたサンデーサイレンスの3×4を持つ馬たちと、持たない馬たちを比べるとそうなります。

幸運にもと書いたのは、これだけインクロスの強い馬たちが競走馬としてレースを走れているのは、僕にとっては幸運にしか見えないからです。この世に生まれてくることができなかった馬たちや、福ちゃんを含めた奇形の馬たちが不運というよりも、近親交配(インクロス)の弊害をすり抜けて表舞台に出てきた馬たちがラッキーなのはないでしょうか。競馬ファンの僕たちが見ているのは幸運な馬たちなのです。

(次回へ続く→)

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