[連載・片目のサラブレッド福ちゃんのPERFECT DAYS]生きられなかった馬たちの分も走る(シーズン1-48)

スパツィアーレの23が昨日、疝痛を起こし、今日になっても良くならないので開腹手術をしたところ、大腸に先天性の病気が見つかったそうです。その病気が原因で痛がっているようで、このまま亡くなる可能性が高いため、安楽死の手続きを取ろうと考えていますとのこと。

詳しく聞いてみると、大腸が細かったり太かったりするらしく、細い大腸が詰まって苦しんでいるそう。獣医師によると、極めて稀な症例らしく、手の施しようがないとのこと。治郎丸さんにも報告すべきだと思って連絡してくださったのです。

話を聞きながら、母のスパツィアーレ自身も今年、腸閉塞からかボロ(糞)が出なくなってしまい、2週間ほど生死の境をさまよったことを思い出しました。スパツィアーレは開腹手術をすることなく、飼い葉を食べさせずに、ひたすら点滴を打ちながら、良くなるのを待ったのですが、もしかすると腸の細さに問題があるのかもしれません。

実はスパツィアーレは社台ファームにいた頃、一度、開腹手術をしています。それは繁殖セールの時点で公表されていますし、その後、2頭の産駒が誕生しているので、問題ないと考えて購入しました。ところが、碧雲牧場に来てから一昨年も軽い腸閉塞、そして今年は重い腸閉塞になり、しかもスパツィアーレの23までがこのような形で苦しんでいることを知ると、つながりがあるように思えて仕方ありません。

その旨をモリケンさんにも伝えつつも、スパツィアーレの23は生まれてから大きな病気や怪我もなく、至って健康にここまで育ってきたのでまさかこんなことに…、その先は言葉に詰まってしまいました。「申し訳ないです」と謝ってみましたが、それも違う気がしました。モリケンさんも「それは治郎丸さんがどうすることもできないことですから気になさらずに」と言ってくれましたが、せっかく買ってもらったのに、2カ月しか経たないうちにこれでは…。

あの元気で雄大な馬格を誇っていたスパツィアーレの23が安楽死?と信じられない気持ちで一杯です。つい先日、小国ステーブルを見学に行った知り合いから、「スパツィアーレの23は他の馬よりもひと回り大きくて、目立っていましたよ」と褒めてもらったばかりでした。しかも碧雲牧場のスタッフの青木さんが撮影してくれた、幼いころからセリまでのスパツィアーレの23の写真をモリケンさんに送ろうと思っていた矢先のできごとです。

モリケンさんの経済的負担や心理的ダメージを考えると驚いてばかりはいられず、保険の話にも触れてみました。何と言っても、580万円+消費税で購入してもらい、育成費を合わせると、モリケンさんには700万円近い出費があるはず。「お守り程度にしか保険はかけていないので、馬代金の8割ぐらいしか戻ってこないかもしれない」とのこと。そこで思いついたのは、僕もスパツィアーレの23には令和6年5月から令和7年5月までの競走馬保険を掛けていて、まだ解約していなかったので、それは使えないのかということです。

生産者は馬がセリで売れると、1年契約で結んでいた競走馬保険を解約し、そうすることで掛け金の残りが戻ってきます。セリの後は購入した馬主さんが今度は競走馬保険に入りますので、生産者と馬主の両者が同じ馬に同時に保険をかけている期間はほとんどありません。ところが今回は、僕が無精であることも手伝って、サマーセールから2か月が過ぎた時点でも競走馬保険を解約していませんでした。馬の所有名義はモリケンさんに移っていますが、競走馬保険は有効なのであれば、僕にも保険金が戻ってきて、それをモリケンさんにお渡しすることでお金の面では救われるのではないかと考えました。「保険を扱っているジェイエスの担当者に聞いてみます」とモリケンさんは言い、まだスパツィアーレの23に奇跡が起こることをお互いに願いつつ、電話を切りました。

僕はどうしても息子の誕生日ケーキを買う気にならず、そのまま手ぶらで帰りました。帰りがてら、碧雲牧場の慈さんにも報告しておかなければと思い、電話でおおよその状況を伝えました。信じられないという想いには共感してくれつつも、「こんなことが立て続けに起こるなんて、生産は向いていないのかもしれません」と僕が弱音を吐くと、「生産を続けていくと、良くあることですよ。僕たちは生業として生産をやっていますので、その晩は悲しみに暮れても、次の日の朝になると馬たちが待っていて、世話をしなければいけません。どんなことがあっても、生産をやめるという選択肢はなく、前に進んでいかなければならないのです」と諭してくれました。

そう、本物の生産者と僕との大きな違いは、彼らには逃げ道がないということです。自分が生産した馬が苦しんで亡くなってしまったとしても、生産者はどうすることもできませんし、今、目の前にいる馬たちから逃げも隠れもできないのです。僕とは覚悟が違うのです。

恐ろしい世界に足を踏み入れてしまったと感じました。初めて購入した繁殖牝馬(ダートムーア)はすぐに流産してしまい、翌々年に生まれた待望の牝馬はセリ前に右前肢の種子骨に骨片が見つかり、手術をしましたが、誰も買い手がつきませんでした。今年(2024年)生まれた福ちゃんは小眼球症で左目が見えず、競走馬にはなれますが、セリでは買い手はいないでしょう。スパツィアーレの子どもはすくすくと育って、サマーセールで売れて、中央競馬の舞台での活躍を期待していた矢先に腸の病気が見つかり、安楽死になろうとしています。3分の3。これまで僕の生産したすべての馬が健康体ではなかったということになります。

スパツィアーレの23の死に対して感傷的になり、「生産は向いていない」と言ったのではありません。もちろん、生まれたときから見守ってきたスパツィアーレの23がこんなことになるなんて、あっけなく、悲しい気持ちはあります。ただ、僕も生産をやる以上は死とは向き合うつもりでしたから、今さらそれをどうこう言って悲嘆に暮れるわけではありません。僕が向いていないのではと思ったのは、その不運の確率の高さです。僕が生産した馬が不幸になるのであれば、それは良くないという意味の「向いていない」です。ダートムーアにもスパツィアーレにも何の罪もありませんし、その子どもたちも然りです。

僕が趣味の延長線上で、邪な気持ちを持って、生産の世界に片足を突っ込んだことが、生産の神さまの逆鱗に触れたのではないでしょうか。僕の胸につっかえているのは、馬の福祉についてです。自分のエゴによって生産する(子どもを産ませる)ことで不幸になる人馬がいるのであれば、それはどうなのかということ。生産を本業としている生産牧場の人たちと違い、僕には生産する必要性や大義名分もないのです。そんな僕が余計なことを始めなければ、誰も傷つかなかったのかもしれない。サラブレッドの生産を否定しているわけではなく、僕は必要以上に生産したのではないかと懸念しているのです。そのことで、ダートムーアに流産させてしまい、ダートムーアの23は右前肢を手術することになり、福ちゃんは左目が見えず、スパツィアーレは不妊が続き、スパツィアーレの23は生まれつきの腸の奇病で苦しんで死ぬのです。これから先、ダートムーアとスパツィアーレから生まれてくる子どもたちにも不安が募ります。

慈さんと話しながらもそんなことを考えていると、それでも前を向いて行くしかないという気持ちが少しずつ出てきました。僕が生産していなくても、誰かがダートムーアやスパツィアーレを繁殖牝馬として仔馬を産ませていたはずです。たまたま僕の元に、最初に集中的に不運が続いただけで、それらは誰かが味わう体験であった。今の状況で僕にできる精一杯のことは、ダートムーアの23を木村さんと共に何とかデビューさせ、活躍させること。そのためには適切な競馬場と厩舎を選ぶ必要があります。さらに福ちゃんの次のステップを見つけてあげること。碧雲牧場から心身ともに健康な状態で送り出し、育成にスムーズに入れること。また、ダートムーアとスパツィアーレの無事の出産を祈り、その仔たちの健康を願うこと。今、目の前にいる馬たちに注目して注力することしか僕にはできないのです。ダートムーアの23や福ちゃんを何とかして活躍させよう、彼女たちと共に走ろうという情熱がふつふつと湧いてきました。

ダートムーアの23や福ちゃんには、生まれたくても生まれてこれなかった全兄(ダートムーアの22)の分も、1年半しか生きることができなかった碧雲牧場の同期(スパツィアーレの23)の分も、しっかりと走ってもらわなければならないのです。誰々の分まで走ろうなんて、馬たちはそんなこと思ってもいないでしょうが、携わる僕たちは他の馬たちに対する想いも乗せて、今いる馬たちに期待するのです。NO,9ホーストレーニングメソドの木村さんがおっしゃっていたように、馬は人間の気を背負って走る、人間の気持ちは馬に伝わります。ダートムーアの23も福ちゃんも、生きられなかった他の馬たちへの人間の想いを全て背負って走るのです。

(次回へ続く→)

あなたにおすすめの記事