[追悼]萩原清調教師を偲んで - 静かな情熱が遺したもの
■エピカリスの記憶とともに訪れた、思いがけない訃報の夕暮れ

2026年5月20日、水曜日の午後。仕事を少し早めに切り上げ、浜松町からモノレールに乗り込んだ。車内には出張帰りのビジネスマン、巨大なスーツケースを抱えた外国人旅行者たち。そんな中で、スポーツ新聞を片手に手ぶらで大井競馬場へ向かうのは、私だけのようにも思えた。大井競馬場前駅で足早に降りる私を、彼らはどんな目で見ていたのか。そんなことを思いながら、蒸し暑さの残る初夏の大井競馬場へと向かった。

陽はまだ高く、真夏を思わせる湿気がまとわりつく。スタンド上段に席を確保し、新聞を広げる。メイン11レース・大井記念(JpnⅡ)の馬柱には16頭の名が並び、大外16番には断然の主役ドゥラエレーデ。そのひとつ内、15番にサントノーレの名があった。印はそこそこ。だが私の視線は、サントノーレの父名——エピカリス——に吸い寄せられていた。

エピカリス。かつて私が一口出資し、萩原厩舎で世界を目指した馬。アメリカ遠征を夢見たあの日々、北海道2歳優駿(JpnⅢ、現JBC2歳優駿)で見せた大差逃げ切り。引退後は種牡馬となり、送り出した代表産駒がサントノーレである。既に重賞4勝、交流重賞の京浜盃(JpnⅢ)を制し、2025年のJBCクラシック(JpnⅠ)では3着に食い込んだ実力馬だ。

新聞の馬柱を眺めながら、私は自然とエピカリスの若き日の姿を思い返していた。そのときだった。スマートフォンにYahooニュースの速報が走る。

「JRA所属の萩原調教師死去」

目を疑った。「嘘やろ…」「ドリームコア、今週やん…」。つい先日、パドックで穏やかに馬を見つめる姿を見た気がするのに。訃報を前に、どう反応すべきか分からず、私はただサントノーレの馬柱右上に記された「エピカリス」の文字を見つめ続けた。

20時10分、大井記念のゲートが開く。サントノーレは大外から勢いよく飛び出し、1周目のゴール板を過ぎる頃には先頭へ。バックストレッチを軽やかに駆けるその姿は、まるで父エピカリスが北海道2歳優駿で見せた、あの圧倒的な逃げ脚を再現しているかのようだった。

直線に入っても脚色は衰えず、6馬身差の圧勝。サントノーレに、全盛期のエピカリスが乗り移ったかのような走りだった。旅立つ萩原調教師へ、エピカリスが「はなむけの逃げ脚」を見せたかったのかもしれない——そんな錯覚すら覚えた。

■静かなる名伯楽の戦績と哲学

派手さを好まず、言葉少なに、しかし確かな手腕で名馬たちを導いてきた萩原清調教師。その歩みを振り返ると、静かでありながら力強い「職人の軌跡」が浮かび上がる。萩原厩舎は、常に「馬の個性と状態を尊重する」という姿勢を貫いてきた。調教スタイルは緻密で、無理をさせず、しかし芯の強さを引き出す。時には慎重すぎるとさえ思える出走レースの選択も、最後の最後まで馬の状態を見極めて出走に踏み切る姿勢も…。その積み重ねが重賞勝ち馬を次々と送り出し、通算勝利数が700勝を超える名門厩舎となっていった。

数字以上に印象的なのは、どの馬も「萩原厩舎らしい落ち着きと完成度」をまとっていたことだ。萩原調教師のコメントはいつも控えめで、受け取り方によっては弱気なコメントに見える時もあった。しかし派手な言動はなくとも、パドックで馬を見つめる萩原調教師の眼差しは鋭く、そして温かさが伝わってくる。その静かな情熱こそ、萩原調教師の真骨頂だった。

多くの名馬を育てた萩原調教師だったが、「萩原厩舎が育てた名馬」といえば、私は3頭の馬を思い浮かべる——。

●ロジユニヴァース - 雨中のダービーを制した「復元力」

2009年、日本ダービー。午後からの豪雨、バックストレッチが霞むほどの雨を切り裂くように、横山典弘騎手とロジユニヴァースは圧巻の逃げ切りを見せた。

デビューから4連勝で臨んだ皐月賞で、14着大敗。そこから巻き返した萩原厩舎の調整。

「状態さえ戻れば、必ず走る」

萩原調教師は静かに、しかし確信を持ってそう語っていた。

あの日の勝利は、馬を信じ丁寧に立て直す、「萩原流の復元力」が生んだ奇跡だった。

●ルヴァンスレーヴ - 怪物を怪物のまま送り出した「手腕」

ダート界に衝撃を与えたルヴァンスレーヴ。2歳時から完成度が高く、M.デムーロ騎手を鞍上に迎え、デビューから3連勝で全日本2歳優駿(JpnⅠ)を制覇する。その強さは更に磨きがかかり、3歳になると、ユニコーンSから4連勝で中京のチャンピオンズC(GⅠ)制覇、古馬たちを一蹴した。

萩原調教師は「世代最強」ではなく「世代を超えた最強」と呼ばれる存在にルヴァンスレーヴを育て上げた。ルヴァンスレーヴは、繊細な馬体を抱えながら競走生活を過ごした。萩原調教師は、それを常に念頭に置いて、無理をさせず、一歩ずつ成長させていった。その調整力は、まさに名伯楽の証だった。

●エピカリス - 海の向こうへ託した夢と、深い悔しさと

そして、萩原調教師の「挑戦者としての顔」を象徴するのがエピカリスの海外挑戦だ。

UAEダービーでのサンダースノーとの激闘。アタマ差2着に敗れたものの、デビューから無傷の4連勝で挑んだ実力は証明された。

そしてケンタッキーダービーを目指し、アメリカへ渡った2017年春。日本調教馬として前例の少ない挑戦に、萩原調教師は静かに、覚悟を持って臨んでいた。ケンタッキーダービーには間に合わず、ベルモントSに向けて調整を始めた。しかし、あと一歩のところで脚部不安が発生し、出走断念——。

あの時の悔しさは、誰よりも萩原調教師自身が噛み締めていたはずだ。

「馬のために最善を尽くす」

その信念があったからこそ、萩原調教師は手にしていた夢を、一度そっと手放した。

挑戦は叶わなかったが、エピカリスが海の向こうで見せた走りは、萩原厩舎の「世界を見据える視線」を示していた。

ちょうどエピカリスが萩原厩舎に在籍していた頃、縁あって萩原調教師と名刺を交換し、お話を伺う機会があった。エピカリスのことを知りたがる私に対し、ベルモントS断念に至る経緯を、調教師は丁寧に、そして誠実に説明してくださった。わずか1/400口の出資者にすぎない私にも、まるで馬主に向き合うかのように、やさしく、真摯に語ってくださった姿が忘れられない。そのとき強く感じたのは、「この厩舎だったからこそ、エピカリスは無事に競走生活を全うできたのだ」という確信だった。萩原調教師の馬に対する「接し方の信念」が、言葉の端々から伝わってきたことを思い出す。

■そして今週 - オークスのターフに立つドリームコアへ

突然の別れに、厩舎の馬たちは戸惑いの中にいるだろう。しかし、萩原調教師が積み重ねてきた「馬を信じる哲学」は、厩舎の中にも馬たちの中に息づいているはずだ。

その象徴が、今週のオークスに挑むドリームコアである。

前走の桜花賞では9着に敗れたが、得意の左回り、距離が延びるオークスでこそ真価を問われる存在だと思う。間違いなく上位人気に推されるだろうが、それは、これまでの走りが示してきた実績と、萩原厩舎が丁寧に積み上げてきた「仕上げ力」が評価されているからである。

そして何より——。

もしドリームコアがオークスを制することができたなら、それは萩原調教師への最高のはなむけとなる。

ドリームコアよ、どうか胸を張って走ってほしい。

ゴールを目指す一歩一歩が、萩原調教師の遺した情熱の証になる。

勝ち負けだけではない。

馬が力を出し切り、堂々とゴールへ向かう姿こそ、萩原調教師が最も望んでいることである。

萩原清調教師が遺したものは、勝利の数だけではない。馬と向き合う誠実さ、情熱、そして「挑戦する勇気」。その精神は、これからも馬たちの走りの中で生き続ける。

オークスの舞台に立つドリームコアの走りが、萩原調教師への大きな、大きな花束となることを願っている。

Photo by I.Natsume

あなたにおすすめの記事