
ゆっくりと自らの航路へ
アルバートドックという馬名を聞いて、すぐに小倉大賞典や七夕賞の勝ち馬だと答えられる人は、決して多くないかもしれない。
ディープインパクト産駒。松田博資厩舎の期待馬。クラシックを目指した素質馬。そして、サマー2000シリーズの王者。
だが彼の物語は、日本での現役生活だけでは終わらなかった。馬名の由来となった港のように、アルバートドックは時を経て、遠く異国の地で新たな役割を見つけることになる。
2010年代の前半は、まさにディープインパクト産駒が猛威を奮っていた時代だった。2012年ディープブリランテ、2013年キズナと2年連続でディープインパクト産駒が日本ダービーを制し、現役最強馬としては貴婦人ジェンティルドンナが君臨、当然リーディングサイアーの座も揺るがないものとなっていた。
2012年に社台コーポレーション白老ファームで産まれたアルバートドックは父がそのディープインパクト、母が米国GⅠのラスヴィルヘネスS勝ち馬であるゴールデンドックエー、そして入厩先は名門・松田博資厩舎ということで当然大きな期待を背負った存在だった。
その由来はイギリスのリヴァプールにある「アルバート・ドック」から。もともとは港湾都市として栄えた地区であったが、現在では観光都市として有名で、かつて港湾施設として栄えた一角が、現在では商業施設や美術館、博物館を備えた観光地へと姿を変えている。
2014年、アルバートドックは秋の阪神芝2000mで藤岡康太騎手を背にデビュー戦を迎える。ところが今振り返ってみると奥手なタイプだったのか、2番人気に支持されながらも6着に敗れてしまう。2戦目は京都の芝2000mを使われ、後のGⅠ馬シュヴァルグランに敗れ2着、引き続き京都芝2000mの3戦目でようやく初勝利を迎えた。

500万クラスにおいては年末のシクラメン賞で4着に敗れるも、年が明けて3月のゆきやなぎ賞へ歩を進める。舞台は3歳春の若馬にとってはタフな阪神芝2400m。8頭立ての少頭数の中、5番手でじっくりレースを進め直線に入り、外に出すと見事な末脚を発揮。のちの京都新聞杯勝ち馬でダービー2着馬となるサトノラーゼン(3着)や目黒記念を制するクリプトグラム(2着)を外からなで斬り、見事に1着でゴールした。
このレースぶりから、前走と同じく阪神芝外回りの毎日杯へと進むが、やや距離が短かったのか、4着惜敗。この結果を受けて、皐月賞はパスし日本ダービーを目指すことに。そのステップレースとして京都新聞杯が選ばれた。
記憶の限りでは、このあたりで私もアルバートドックの存在を認識したと記憶している。いかにも遅咲きの中・長距離馬が毎年このようなローテを組んでいわゆる「裏街道」からダービーを目指す馬がいるが、アルバートドックもまさにこのタイプの馬にみえた。次走は京都新聞杯。その先のダービー、もっと言えば秋の菊花賞の舞台も望めるこのローテーション、これこそがアルバートドックが最初に選んだ航路だった。このときから、アルバートドックは自身が活躍できる航路を選ぶ運命にあったのかもしれない。
その航路は険しかった
距離を2200mに延ばすことで、ゆきやなぎ賞の再現を期待されたアルバートドックだったが、この年の京都新聞杯は強豪揃いだった。エアグルーヴの血を引く超良血ディープインパクト産駒でアルバートドックをシクラメン賞で下していたポルトドートウィユ、ゆきやなぎ賞ではアルバートドックが負かしていたがその次走のはなみずき賞で快勝していたこちらもディープインパクト産駒のサトノラーゼン等、ここに来るまでの実績も血統的魅力も十分なメンバーが集結し、アルバートドックも決して見劣らない実績と血統的魅力を持っていたものの6番人気に甘んじていた。レースでは直線の半ばでサトノラーゼンが抜け出すと、大外からダービー出走を果たさんとポルトドートウィユ、トーセンバジル、そしてアルバートドックが突っ込んできたが、アルバートドックは1/2馬身+ハナ差の3着。ダービー出走の切符を惜しくもハナ差で逃したのだった。
その次走はダービーの前日の京都でおこなわれた白百合Sに出走。強豪がダービーに進んだことでここでは1番人気に支持され見事に1着。オープン馬入りを果たし、秋の大舞台を見据えて休養に入った。
夏をしっかり休み、休養明け初戦は神戸新聞杯から菊花賞を目指すローテを組んだ。
ドゥラメンテが故障で戦線離脱したことから、やや混戦ムードが漂っていた3歳クラシック路線だったが、神戸新聞杯ではリアファル、リアルスティールらから離れた7着。力の差を見せつけられてしまった。
さらに菊花賞にも進んだが、勝利したキタサンブラックから遠く離れた12着で、アルバートドックの3歳トップへの挑戦は厳しい結果に終わった。

しかし秋はそのまま終わらず、舞台をオープン戦に移し、距離も2000mに戻したアンドロメダSでは川田将雅騎手を背に古馬たちに混じって1番人気に支持されるも3着惜敗。さらに年末は距離を縮めて1600mのリゲルSで賞金を重ねようとするも、またしても3着惜敗。悔しい結果で3歳の下半期を終えることになった。
名伯楽の船出を彩る勝利
2016年2月、「障害の松田」として障害競走で通算150勝(当時の新記録)をあげ、騎手引退後はアドマイヤムーンやブエナビスタ、ベガなどの名馬を何頭も育て上げ名伯楽とも呼ばれた松田博資調教師が定年を迎えようとしていた。
その松田博師の最後の重賞出走の役目を担ったのが小倉大賞典に出走したアルバートドック(川田将雅騎手)だった。
1枠2番からのスタートとなったアルバートドックは中団からやや後方の最内からレースを進めた。じっくりと構える形になったアルバートドックだが、3コーナーあたりから他馬の動きが激しくなると最後方に下がった、というよりはじっくりと構えたままだった。4コーナーに入ると経済コースを回り物理的な優位さで順位を上げる。
最後の直線に入っても外に出すことなく、内目を抜け出していたケイティープライドのさらに最内のラチ沿いから抜け出すと、最後は外から脚を伸ばしていたダコールとネオリアリズムの末脚を抑えてアタマ差で勝利をもぎ取った。
念願の重賞初勝利は引退を迎える松田博師の引退に花を添える形となった。
川田騎手のレース後のコメントによると、レースプランは松田博師が描いていた内容だったようで、アルバートドックはそれをしっかりと成功させたまさに師匠孝行な馬と言えよう。そして表彰台に上った川田騎手の目には涙が浮かんでいたという。
夏の王者に
ゴールドシップやジャスタウェイで大ブレイクの真っ只中にあった須貝尚介厩舎に転厩となったアルバートドックだったが、転厩後初戦となった中日新聞杯では道中の不利もありシンガリ負けを喫してしまう。その次走マイラーズCで5着、エプソムCで7着ともう一歩の競馬が続いていたが、アルバートドックはそのままサマー2000路線へ歩を進める。
その1戦目となったのが七夕賞だった。コンビを組んだのは前年、そしてその年も後にリーディングジョッキーとなる戸崎圭太騎手で、これ以上ないパートナーを背に乗せることになる。
真ん中の8番枠からスタートしたアルバートドックは無理せず中団待機。メイショウナルトが先手を取ると、他馬を置き去りにハイペースで逃げる展開に。離れた2番手にヤマニンボワラクテ、クリールカイザー、1番人気のシャイニープリンスらの先行馬を見るような形でアルバートドックは内側でじっくりと脚を溜めていた。その後ろには小倉大賞典で接戦を演じたダコールが控えていた。
1000m通過は57.9秒のハイペースとなり、各馬は向こう正面から3コーナーに。
アルバートドックは早くもスパートを開始し、ハイペースで苦しくなり手応えが怪しくなってきた先行馬たちを早くも捕らえに行き、まくり気味にポジションを上げていく。
最後の直線に入ると、先頭に立ち粘りこみを図ろうとしていたクリールカイザーをアルバートドックの末脚が一気に捕らえる。しかしさらに外からはダコールが同じ脚色で伸びてきて、小倉大賞典の再戦の様相となった。
早めに動いた分、ダコールの末脚がさらにアルバートドックを上回ろうかというところで、戸崎騎手の激しいアクションに応えるようにアルバートドックが再加速。ダコールはなんとかアルバートドックを射程圏内に捉えたところで脚色が同じになり、勝負あり。1/2馬身差でアルバートドックが再び勝利する結果となった。
調子を取り戻したアルバートドックは、リーディングジョッキーとコンビ継続でそのままサマー2000シリーズの新潟記念へ。
ライバルのダコールとともにトップハンデを背負いながらも、アルバートドックは1番人気に支持された。
開催後半のタフな馬場となった長い直線の新潟競馬場の芝を見越してか、スタート後各馬は脚を極力溜めようとゆっくりと進めた。1頭を除いて…。
メイショウナルト1頭だけが大逃げとなり、他の17頭が馬群を形成する極端な展開に。アルバートドックはその中でも後方の13番手の外目に位置を取った。
最後の直線に入っても、1対17の構図は崩れず、メイショウナルトの大逃げが続いていたが、直線半ばで力尽きると17頭が一気に押し寄せる。その中からひと際目立つ末脚で大外から突っ込んできたのは、上がり馬のアデイインザライフだった。
残り200mのあたりで先頭に立ったアデイインザライフだったが、その内から負けじと馬群の中から抜け出してきたのがアルバートドックだった。
しかし、ハンデ差(アデイインザライフは55キロなので3キロ差)が響いたのか、最後は3/4馬身差を詰めることができずアルバートドックは2着に敗れてしまった。
悔しい結果に終わったが、サマー2000シリーズで見事1位に浮上し、夏の王者となった。
辿り着いた港
アルバートドックはサマー2000シリーズの王者となり、そのまま天皇賞(秋)を目指していたが故障が発覚し、その後レースに戻ることはなく、2018年に引退。イタリアで種牡馬となることが発表された。
ディープインパクトの血を引くアルバートドックはGⅠ勝利がないとは言え、引き継がれる潜在能力の可能性は十分なものであるが、時代はディープインパクト産駒の最盛期。競合多数のその血統は、逆に日本での種牡馬の活躍を難しいものとしていた。
そこでアルバートドックの次のステージとして用意されていたのが、「アルバート・ドック」が存在する競馬の母国イギリス…ではなくイタリアだった。
イタリアの競馬といえば、M.デムーロ騎手が思い浮かぶが、筆者は正直イタリア現地の競馬の知識に疎く、知っているのは競馬が衰退しているということくらいで、格付けがパートⅡに降格したというニュースは記憶している。
少し詳しく調べてみると、GⅠ競走の消滅、財政難による賞金の遅滞、競馬場の閉鎖、競走馬の生産頭数の激減など、現在の日本では考えられない状況にあるそうだ。
そんなイタリアでアルバートドックの種牡馬としての活躍はどうなのか、と心配になってしまうが、どうやら活躍しているらしい。
2018年からベスナーテ牧場で繋養されているアルバートドックだが、2019年に初年度産駒が誕生。その初年度世代のブラックタイプ馬(日本でいうと重賞・リステッド級)率が18.75%という高レートを記録し、これはドバウィやフランケルに次ぐ第3位と現地のホームページが発信している。
また、代表産駒としてテンペスティがフェデリコテシオ賞を勝利、イタリアダービー2着(ともにGⅡ、かつてGⅠ競走)と活躍し、2022年にはリーディングサイアーに輝いた。2026年現在も種牡馬として繋養されているようだ。(アルバートドック紹介ページ)
ディープインパクト産駒全盛期の競合が非常に多い時代に産まれたアルバートドックだったが、名伯楽への最後の重賞勝利プレゼント、サマー2000シリーズの王者と自分ができる独自の航路を進み、イタリアの地でリーディングサイアーの座に就いた。
イタリアの馬産は衰退しているというが、それでも途絶えたわけではない。
もしかしたら、遠くイタリアの地から今度はアルバートドックの仔が日本に辿り着き、何かを成し遂げるのではないか。そんな夢を抱きたくなるアルバートドックの歩んだ航路である。

写真:はねひろ(@hanehiro_deep)
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