故郷に”綱”取り帰る日まで。ヤマニンウルスの11戦を振り返る。

 今年の東海Sに、ヤマニンウルスの姿はなかった。

 2026年7月17日、JRAからヤマニンウルスの競走馬登録抹消が発表された。そして7月24日朝、北海道新ひだか町のレックススタッドに到着し、競走馬としての歩みを終えて種牡馬入りを果たした。 

 父ジャスタウェイの後継種牡馬としては、米国三冠競走に挑んだマスターフェンサー、ホープフルSを勝った芝GⅠホースのダノンザキッドに続く存在となる。錦岡牧場が送り出した、600kgに迫る熊のような巨体。馬名にフランス語で「熊」を意味する言葉を宿すヤマニンウルスは、ダートGⅠ制覇を期待された大器だった。

 母ヤマニンパピオネの子どもたちは、デビューしたきょうだい6頭すべてが勝ち上がり、ヤマニンサンパは芝中距離のオープン馬に、ヤマニンアンフィルは北九州記念4着、ヤマニンウルスはダート重賞2勝、ヤマニンアルリフラは北九州記念制覇と、4頭がオープンクラスまで出世した。

 2歳新馬戦から6歳での引退までに走ったレースは、地方交流重賞を含めて11戦。恵まれた馬格を持ちながら、体質があまり強くないゆえに1戦1戦が常に勝負だった。力強く地を蹴り出し、いつか錦に綱を飾る日を夢見させた11走を振り返りたい。

大きな馬体に大きな期待を背負って~新馬戦から4連勝でオープンへ~

 ヤマニンウルスがデビューしたのは、2022年8月20日の小倉競馬場ダート1700mの新馬戦であった。この時点ですでに馬体重536kg。初めて競馬場に姿を見せた日から、ウルスは大きかった。鞍上は、この年にデビューした今村聖奈騎手。7月にはテイエムスパーダとのコンビで重賞初騎乗初制覇を飾った、注目の騎手だった。

 ゲートを出たヤマニンウルスは、逃げを選んだダイメイセブンの外に並び、2番手で向こう正面を目指す。3コーナーを過ぎたところで先頭に立つと、早くも手が動く後続を置き去りにして、新馬戦を1分44秒3の2歳JRAレコードで走破。2着に4秒3の大差をつけ、勝利を手にした。

 鞍上の今村騎手にとっても、この勝利が通算31勝目。GⅠへの騎乗が可能となる節目の1勝であった。

 2戦目は2歳11月のカトレアSが予定されていたが、実戦復帰は年明けまでずれ込み、3歳春の京都競馬場で迎えた。鞍上には武豊騎手を迎え、久々の出走にもかかわらず単勝オッズ1.2倍。新馬戦で2着に下したゴライコウがJBC2歳優駿を制したことで、ヤマニンウルスへの期待も高まっていた。

 馬体重は休養の間に24kg増えて560kg。このレースで逃げたサンライズパスカルも524kgの大型馬だったが、ウルスはさらに大きな馬体で2番手を追走する。道中ではイエスウィズキャンが後方から進出してきたが、武豊騎手は持ったままコーナーへ。直線でゴーサインを出されると、大きな馬体が一完歩進むたびに後続との差は開いていった。結果、2着以下に6馬身差をつけて2勝目をあげた。

3戦目は秋の京都開催まで約半年の休養。すでに2勝を挙げており、世代重賞へ挑む選択肢もあったが、陣営は無理をしなかった。この間、10月29日の東京競馬場で武豊騎手が負傷し、鞍上はC.ルメール騎手へ替わる。

 休養の間に馬体はさらに大きくなり、576kg。それでもウルスは、3走目も単勝オッズ1.2倍に支持された。レースはこれまでと同じ2番手追走。内からテーオーサンドニが押してハナに立つ一方で、ウルスは滞空時間の長い、ゆったりとしたストライドで位置を上げていく。後続がコーナーで仕掛け、鞭も入る中、ルメール騎手は押して前進を促すのみ。直線でテーオーサンドニを射程圏に入れると、数完歩で並びかけ、そして交わした。これまでと同じ勝ちパターンである。

 逃げ馬も先行馬も懸命に追われる中、ウルスだけはノーステッキで後続を突き放す。最後は後方からシャンバラが2番手まで上がったが、時すでに遅し。着差は3馬身半に詰まったものの、前にいればスピードが続く走りで3連勝。3歳シーズンはこの2走で終え、4歳年明けの京都開催、1月14日の雅Sへ武豊騎手とのコンビ復帰で挑むことになった。

 4歳初戦の雅Sへは中2か月。これまでで最も間隔を詰めての出走が叶った。やることは変わらない。逃げると目されたミラクルティアラは出遅れて後方からとなったが、ウルスは前に行ったレガーメペスカの2番手へ。武豊騎手の手綱は短めに構えられ、ハナへ行かないよう抑えているようにも映った。4コーナーで先頭に立って直線へ向き、軽くアクションが入ると、そこから後続を離していく。最後は後方からバハルダールに迫られるも、武豊騎手の手綱は持ったまま。1馬身1/4差をつけ、4連勝でオープン入りを果たした。

 2歳デビューから4歳年明けまでで4戦。すべて逃げ馬の後を追いかけ、コーナーで先頭に立ち、直線で後続を振り切るレースを続けてきた。雅Sでは武豊騎手が歩様の硬さを気にしながらも、やはり同じ走り方で勝ち切ってしまう強さ。底知れない走りを見せてオープン入りを果たしたウルスは、デビューから馬体を増やし、582kgまで成長しながら重賞を目指した。

 次走は平安Sを予定していたが、馬体の大きさゆえに蹄へ負担が掛かり、裂蹄などもあって回避。初の重賞挑戦は、デビューの地である小倉競馬場で開催されたプロキオンSに決まった。

重賞で見た勝利の景色と最強への課題~プロキオンS、名古屋大賞典~

 デビューから4連勝を飾ったヤマニンウルスは、夏の小倉に戻ってきた。迎えた初の重賞挑戦、プロキオンSでの単勝オッズは1.7倍。阪神競馬場のスタンドリフレッシュ工事に伴う開催日割の変更により、この年のレースは小倉競馬場ダート1700mで行われることになり、新馬戦と同じ舞台での出走が叶った。

 しかし、ここは重賞の舞台である。雲取賞を勝った3歳馬ブルーサンや、芝ダート双方で実績のあるバスラットレオンらが積極的に前を目指し、雅S以来の再戦となったレガーメペスカも先行集団にいる。

 1コーナーの入り口までに馬群の外へ誘導されたヤマニンウルスは、向こう正面で3番手へ位置を上げ、前の2頭を射程に入れる。いつも通り先行馬群を引っ張る位置から、少しずつ前との差を詰めていき、残り600mで2番手のバスラットレオンに並びかける。追い出しに応えたヤマニンウルスは、コーナーで一気に先頭へ躍り出た。先行ポジションにいたスレイマンや、末脚を伸ばしてきたハピ、マリオロードらが迫る。それでも左鞭に応えたヤマニンウルスは、大きなストライドでさらに伸び、スレイマンに3馬身差をつけてゴールへ駆け抜けた。

 次も間隔を空け、6戦目は冬のビッグタイトルを目指すことになる。チャンピオンズCへの優先出走権が懸かるみやこSに出走できていれば、という思いも当時はあった。もっとも、体質と向き合いながら歩んできた馬である。陣営が無理を避けてきたからこそ、この無敗の重賞制覇もあった。

 結果的にチャンピオンズCは賞金面で出走が叶わず、名古屋大賞典で初の地方交流重賞に挑戦することになった。

 しかし、名古屋大賞典のメンバーは、これまでとは段違いに強かった。3歳馬ミッキーファイトは前走のジャパンダートクラシックで2着に好走し、2022年のジャパンダートダービー勝ち馬ノットゥルノも、この年は佐賀記念と名古屋グランプリを制して交流重賞2勝。さらに、浦和記念を勝ってこのレースに挑んだアウトレンジ、ホッカイドウ競馬の三冠馬ベルピット、西日本地区の雄シンメデージー、そして10歳のベテランながら門別で存在感を示していたアナザートゥルースも顔を揃えた。

 当時の実績だけでも十分に重い相手関係だった。だが、2026年、この馬たちがさらなる勲章を積み重ねてきた現時点から振り返れば、その印象はさらに強くなる。ミッキーファイトとアウトレンジは後に帝王賞で2度のワンツーを決め、ベルピットやシンメデージーも地方競馬を代表する存在として現役で走り続けている。無敗で重賞を制したヤマニンウルスにとっても、ここは初めて立ちはだかった本物の壁だった。

 スタートは3番枠から上手く出て、これまでと変わらない前でのレースを目指した。しかし外からノットゥルノがスタートダッシュを決めて先頭に立ち、その外にミッキーファイト、ベルピットが続く。最初のコーナーでアウトレンジとシンメデージーが外目を回る一方、ヤマニンウルスは内枠からの競馬となり、インコースを窮屈そうに回ることになった。それでもスタンド前ではミッキーファイトの外へ馬体を併せ、1コーナーへ向かう。さらに外にはベルピットもおり、3頭横並びで前のノットゥルノを追いかける形となった。

 しかし、残り400m付近でミッキーファイトがノットゥルノに並びかけていくのに対し、ヤマニンウルスは先行ポジションからいつものように前へ取りつくことができない。武豊騎手が鞭を入れ、懸命に脚を使わせるが、前との差は詰まらず6着に終わった。

 名古屋大賞典はハンデ戦で、ヤマニンウルスにとっては初めて58.5kgを背負う一戦だった。地方の力の要るダートコース、特に負荷の掛かるインコースを通ったこと、そして未経験の2000m戦であったことなど、敗因はいくつも考えられる。それでも、2着に粘ったノットゥルノはトップハンデ60kgを背負っていた。相手もまた、強かったのである。

 連勝は5でストップ。賞金加算も叶わず、この後のレース選択にも課題を残す結果となった。

新たな選択、そして復活へ~5歳シーズン~

 じっくりと成長を待ちながらレースを使われ、重賞制覇までたどり着いたヤマニンウルスも、5歳を迎えた。当初はオープン特別のアルデバランSを目指していたが、オープン競走出走のルールにより除外対象となってしまう。オープン競走の出走ルールは①「前走8節以内にオープンで3着以内に入っている馬」がまずは優先される。次に優先されるのは②「オープン馬のうち出走間隔の長い馬」だ。

 前走の名古屋大賞典は12月19日、このレースでの8節以内は12月14日から起算されたので、前走で3着以内であれば優先出走権で参戦できた。また、次に優先される出走間隔の長さでは、オープン初挑戦の馬は間隔を一番長いものとして、その他の馬は前走からの間隔が長い順に優先される。こちらでは出走間隔が最も短かったため、フルゲート16頭に対して出走順は17番目、補欠1番手に回ることになってしまった。

 言い換えれば、強い馬と戦いながらも、短期間で出走できるようになったことでかえって参戦出来るレースを減らしてしまったことになる。仮にリステッド競走であれば出走順は獲得賞金で決まっていたので、プロキオンSを勝っているヤマニンウルスは出走順1位で参戦出来たのである。

 そこで5歳初戦に選ばれたのは、小倉競馬場の芝重賞、小倉大賞典であった。武豊騎手がサウジCデーへの参戦により不在だったため、鞍上は藤懸貴志騎手にスイッチ。そして馬体重は、ついに600kgに達していた。

 走り慣れたダートコースよりも外にある芝コースのゲートを出る際、ヤマニンウルスは脚を滑らせたように見え、鞍上の藤懸騎手もバランスを崩してしまう。この一瞬で出遅れたが、人馬ともすぐに立て直し、芝コースでも前を目指した。
 幸い外枠で前が空いていたこともあり、逃げるセルバーグを前に見る2番手へ。先行馬群の先頭でレースを進める。セルバーグが刻んだ1000m通過は58秒5のハイペース。そこから数馬身離れた位置でヤマニンウルスが追いかけ、コーナーではダート戦で見せてきたように前との差を詰めていった。

 だが、前半のロスにハイペースも重なり、最後は後続の差しが決まる展開にのみ込まれて10着に終わった。着順こそふるわなかったが、ダート戦で見せてきた自分の競馬を芝でも見せ、5歳初戦を終えることになった。

 芝挑戦から中2週、ヤマニンウルスはコーラルSで仕切り直しを図った。舞台はダートに戻るが、阪神競馬場も1400mも、そして59kgの斤量も未経験。鞍上は、普段の稽古で背中を知る団野大成騎手が務めた。 

 レースはゲートで出負けし、11頭立ての4、5番手、中団寄りのポジションから進める形となった。直線でも脚を使ったが、最後は差し切るところまで届かず0.1秒差の3着。大きく崩れたわけではない。それでも、デビューから重ねてきた圧勝劇を思えば、ヤマニンウルスが本来の姿を取り戻すには、もうひとつ条件が整う必要があるようにも映った。一方で、前走から最も間隔が詰まった中でもしっかり脚を使えたことは、体調が上向いている証にも見えた。

 そして再び武豊騎手とのコンビが復活し、GⅢ、アンタレスSに出走する。

 名古屋大賞典以来となるミッキーファイトとの再戦。さらに前年の勝ち馬ミッキーヌチバナ、重賞2着3回のオメガギネス、年明けのプロキオンSを逃げ切ったサンデーファンデー、こののちにシリウスSと浦和記念を連勝するホウオウルーレット、重賞3勝馬ハギノアレグリアスと、GⅢとしてはレベルの高いメンバーとの一戦になった。

 レースは逃げたいサンデーファンデーに対し、内のマーブルロック、外のミッキーファイトが単騎逃げを許さない展開。ヤマニンウルスもコーナーで前にいるミッキーファイトへ並びかけようとしたが、いつものようにコーナーで抜け出す脚は残っていなかった。ミッキーファイトはしぶとい脚を武器とするサンデーファンデーをも退け、後方から末脚を繰り出した馬たちに2馬身半差をつける完勝。ミッキーファイト以外の先行馬が残せない厳しい流れの中で、ヤマニンウルスは7着に敗れた。

 相手がここから現役では国内最強クラスへと上り詰めていったミッキーファイトだったとはいえ、再び重賞を勝つことは叶わないのか。そんな思いもよぎる敗戦だった。

 ひと休み入れて、その答えを示したのが、夏の東海Sだった。前年にプロキオンSを制した小倉1700mから、舞台は中京1400mへ。左右の回りも距離も変わり、斤量はアンタレスSから1kg軽い57kg。初めてブリンカーを装着して臨んだ一戦で、ヤマニンウルスは再び“いつもの形”を取り戻す。

 芝スタートを鋭く切ったリジルが逃げる中、ヤマニンウルスは外の4番手から馬群を見る位置へ。3コーナーでリジルが後続との差を広げようとするが、武豊騎手は慌てない。直線入口で“持ったまま”の手応えで並びかけると、そこから巨体を揺らして一気に抜け出した。インユアパレス、ビダーヤ、オメガギネスらが追いかけるも、先頭の背中は遠い。3馬身半差の完勝で、ヤマニンウルスは2つ目の重賞タイトルを手にした。

 小倉1700mのプロキオンSから、中京1400mの東海Sへ。距離も、コースも変わったが、番手から自ら動いて抜け出す勝ち方は変わらなかった。リズム良く運べば、これだけ強い。ヤマニンウルスは1年ぶりの勝利で、条件さえ噛み合えばダート重賞路線の中心に戻れることを、改めて証明してみせた。

 こうして振り返ると、東海Sは芝スタートのダート1400m重賞である。順調に使えなかった5歳春シーズンに、小倉大賞典で芝を経験し、コーラルSで芝スタートのダート1400m戦を経験して挑めたことは、決して無駄ではなかったのかもしれない。出遅れながらも最後に脚を使ったことで、この距離が守備範囲外ではないことも示した。そして、この数戦で決まらなかったスタートをしっかり決め、スムーズに流れへ乗ることもできた。

 遠回りだったかもしれない。それでもレースを使うごとに挑戦し、克服していく5歳前半だった。

引退の決断と、これからの活躍への期待

 しかしながら、更なる大舞台を目指した秋に疝痛を発症し、開腹手術を受けて回復に専念することになる。5歳シーズンは東海Sを最後に終わった。

 6歳初戦は、重賞2勝の実績を携えてフェブラリーSへの挑戦を目指していたが、体調が整わずに回避。4月のオープン戦、ポラリスSで復帰した。トップハンデ59.5kgを背負いながらも、果敢に2番手をキープして残り200mまで健闘したが、最後は後続の末脚勝負を見送り、12着でレースを終えた。この後、東海S連覇が目標となったが、体調は戻ることなく、今年の中京競馬場で勇姿を見ることは叶わなかった。

 ヤマニンウルスは、その雄大な馬格から繰り出されるリーチの広い完歩で先手を取り、コーナーで後続を突き放す先行競馬が持ち味だった。その一方で、自らのペースに応戦されるともろい面もあり、末脚勝負になる展開では分が悪かった。

 GⅢを2勝したのは、きょうだいの中でも立派な戦績である。それでも、コンディション調整の難しさによってGⅠのスタートラインに立てなかったことが悔やまれる戦績でもあった。もちろん、GⅠ級のメンバーには、2度対戦したミッキーファイトをはじめ、対戦が叶わなかったレモンポップ、ウィルソンテソーロ、コスタノヴァなど、ダート路線には強豪がひしめいていた。どこまで対抗できたかは、走ってみなければわからない。それでも、その結果を見届けたかったと思うのは、きっと私だけではないだろう。

 故郷に錦を飾る、という言葉がある。だが、ヤマニンウルスの雄大な馬格を見ると、彼には“綱取り”という言葉の方がふさわしいかもしれない。そんな思いで、この記事のタイトルを決めた。自身がGⅠ級の横綱になることは叶わなかった。それでも、横綱級の相手に挑み、大関、関脇と言える馬たちを前で受け止めながら、自分の形で勝負し続けた姿は見事だった。

 ヤマニンウルスは今年6歳。種牡馬としてはまだ若い。これから生まれる産駒がGⅠ級の活躍を見せ、いつか錦岡牧場の名に、彼自身が持ち帰れなかった綱を飾る日を期待して待ちたい。

写真:Stay、すずメ

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