次から次へ、と。〜金沢競馬フリーペーパー『遊駿+』ができるまで〜

ウマフリ読者の皆さま、はじめまして。

金沢競馬のフリーペーパー「遊駿+(ゆうしゅんプラス)」の編集長・ヨドノミチと申します。
「遊駿+」は『ファンが作る、金沢競馬をもっと楽しむ情報誌』として金沢競馬場内で不定期に配布を行っているフリーペーパーです。

創刊は2006年の白山大賞典号。2018年度の白山大賞典号で、創刊13年目となります。フリーペーパーとしてはかなり長い歴史を持つようになりました。

──正直なところ、ここまで長い付き合いになるとは、始めた頃には思ってもいませんでした。何しろ、創刊当時は「遊駿+」どころか金沢競馬自体がどうなるかわからない状況でしたから。
きっかけは2006年の春、まだ寒さの残る頃でした。当時SNSを通じて「金沢競馬の集まり」を主催していた私に、1通のメールが届いたのです。

「金沢競馬でフリーペーパーを作りたいので地元の人で協力してくれませんか」

差出人は、前年2005年を最後に廃止となった宇都宮競馬でフリーペーパー「U駿(ゆーしゅん)」を制作していた、スタッフの方でした。この時期、宇都宮競馬をはじめ中津、益田、上山、新潟公営、足利、高崎と言った地方競馬が累積赤字や経営不振を理由に、次々と廃止になっていました。それに伴い活躍の場を失った多くのホースマン達が、競馬から離れて別の道を選んでいく事になります。しかし中には、他の競馬場へ移籍をして、新天地で競馬に関わり続ける人達もいました。当時の金沢競馬は、そんなホースマン達が入って奮闘を続けていた時期でもありました。

しかし、この当時の金沢競馬も新聞やニュースに出る時は決まって「赤字」や「存廃問題」の言葉がついて回る状態。3年後にも赤字のままだったら廃止も……という話も出て、まさに危機的状況でした。
この状況を前に、金沢競馬に所属するホースマン達は、移籍も生え抜きも垣根なく「金沢競馬を盛り上げよう」と様々なイベントなどを企画し、奮闘していました。

その中の一つに「フリーペーパーを作って情報発信をしていく」というものがあったのです。
宇都宮競馬出身のとある調教師が、繋がりのある「U駿」のスタッフの方に話を持ちかけ、さらに企画をブラッシュアップするなかで「作るなら地元の人で」と、SNSを通じて私に話が来たのです。この話を頂いたとき、私は迷うことはありませんでした。二つ返事で了承し、話を進めていきます。そこには「地元の競馬に関われる!」という情熱や「俺が金沢競馬を救ってやる!」という意気込みよりも、もっと別な感情がありました。
当時は就職超氷河期で就職活動中と言う名の無職で時間が有り余っていた……と言うのもあります。私の心にあったのは

「自分の技術や経験で困ってる人を助けられるのなら」

という人助けの精神だった、と思います。
学生時代の趣味は小説を書く事で、大学時代は文芸部で部誌などを自主制作していましたから「文章を書く事は好きだし慣れている」「簡易な物だけど冊子も作れる」と、スキルは揃っていました。例えお金にならない程度の技術でも、それが誰かの役に立てるならやろうじゃないか──そう思った私はSNSで知り合った競馬好きの人たちと一緒に、白山大賞典前の発行を目指してフリーペーパー作成に着手しました。

フリーペーパーのコンセプトは「競馬を知らない人でも楽しめる読み物」。
予想は予想紙に、経営とかお堅い話は一般紙に。それらが取り上げないような事を面白おかしく、肩肘張らずに遊び心を持って記事づくりを目指そうと考えました。

競馬は面白い。騎手の人はこんな思いで馬に跨り、競馬に向き合っている。実は、こんな面白い馬がいるよ。予想紙では見ないけど、こんなおかしなデータもあるよ。

……そうしてデータを集め、インタビューを敢行し、飲み会に混ざって情報を集め、記事にしていきました。
コンセプトの次は、フリーペーパーのタイトルです。こちらは「U駿」から頂いたお話なのでそれにちなんだ名前にしようという思いに加え、肩肘張らずに競馬で遊ぼうという思いから、まずは「遊駿」が候補になりました。
しかし、音だけだと宇都宮のフリーペーパー「U駿」や中央の雑誌「優駿」との区別がつかないので、じゃあ「プラス」を足しちゃえという意見が出て……と、記事以上に緩い流れで「遊駿+」が誕生しました。

こうして「遊駿+」白山大賞典号は完成。無事、競馬場内で配布されました。
伝え聞くと競馬場の中の人たちにも読んでもらっていて好評だったとのこと。よかった、と安堵していた私に「遊駿+」を読んだ人から声がかかりました。

「次はいつ出すのですか?」

実は私、フリーペーパーは白山大賞典号1回きりの特別イベントだと思って作業していたのです。次はないはずが、次を求められた。じゃあ、それなら……と2号を出す準備を始めたのでした。
そのように、次が次を呼んで13年。よくもまあ、ここまで続いたものです。

肩肘張らず競馬で遊ぶ。この最初に決めたコンセプトの一つが、ここまで続けられた決め手なのかな、と思っています。先述の通り、始めたあの時は金沢競馬自体に「次」があるかないかがわからない状況でした。だからこそ、これからも「次」がなくならないように。ずっと「次」が続いていくように。

金沢競馬場の片隅で「次」がある限り続けて行こうと思っています。

写真:ヨドノミチ

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