[大狩部だより番外編] 運命の馬ゴルピーチ~大狩部の丘から見守る芦毛の物語~

サラブレッドは競走馬になる宿命を背負ってこの世に生を受ける。命を宿させたのは人間だ。生産者は手塩にかけ、アスリートを育てあげていく。しかし、その道をすべての馬が歩み進められるとは限らない。思いもよらぬ形で道を閉ざされるサラブレッドは必ずいる。そして、競走馬になれなかった馬に満足できる未来が待っていることは少ない。身勝手なことだが、生産現場では割り切りも必要だ。しかし、だからといってすべてそうしなければいけないわけではない。一方で、別の責任の果たし方を模索する人もいる。大狩部牧場の下村優樹氏はいつも「責任」という言葉を口にする。生産馬には責任がある。その責任をどう果たすのか。命を奪うという行為も生産者の責任の取り方であり、それを否定はしない。だが、責任の果たし方はほかにもある。自分なりの責任とはなにか。たとえ業界の常識に反することであっても、責任を果たす。その実直さに惹かれる人間は多い。

 生産した命に向き合い、その責任を果たしていく。下村さんが次々と打ち出す突拍子もないプランの数々は彼が真摯に考えた責任のあり方。変わったことをしているつもりはない。自分の経験と知見を礎に生産馬の可能性を探していっただけのことなのだ。「1歳年上のリードホース」これも下村さんの命への責任のひとつ。たとえアスリートになれなくても、仕事はほかにもある。人間も生きるうえで多様な道を探し、道を変えながら歩んでいく。ならば、サラブレッドも同じ。競走馬にならなくても生きる道は存在する。

 2025年5月27日。大狩部牧場で一頭の牡馬が誕生した。父ゴールドシップ、母シーイズアピーチ。彼は生まれる前から多くの人に見守られてきた。シーイズアピーチを所有するオーナーがYouTubeで配合相手を決めてほしいと下村さんに提案し、それを快諾。YouTubeの視聴者によって選ばれたのが芦毛の怪獣ゴールドシップ。YouTubeで交配相手を共有された稀有な馬だ。彼は生まれた当初、ゴールドシップから受け継いだ類稀なる柔軟性を表現した。これはとんでもない馬になるかもしれない。下村さんも専務もそんな感触を昨日のことのように覚えていると口にする。

 しかし、生後一か月で右後脚脛骨を骨折する大けがをした。尋常ではない柔軟性ゆえの事故だった。スクリュー11本とプレートを埋め込む大手術が行われ、約3カ月もの間、放牧地に出られず、馬房で母と一緒に過ごすことになる。さらにまもなく放牧地に戻れるというタイミングで、疝痛を発症。小腸重積だった。あと1時間、発見が遅れていたら助からなかったかもしれない。命の瀬戸際だった。こうして彼は2度、命を落としてもおかしくない状況に置かれ、そのたびに生還を果たした。彼の生命力の強さも当然だが、下村さんをはじめ職員全員が命の責任に向き合い、彼の生きる道を支えてきたからこその生還だった。

 彼が放牧地に戻ってきたのはその年の9月下旬。まもなく早生まれのグループが離乳を迎えるという時期だった。だから、彼は放牧地でママと一緒に走り回った記憶がさほどないままに離乳を経験した。当歳の春から秋という大切な時期を放牧地で過ごせなかった影響は大きく、同い年の馬たちと放牧地にいると、明らかに馬体は小さかった。だが、彼にはそれを補うにあまりある不思議な雰囲気があった。気づくと、放牧地にいる彼を探してしまう。それは競走馬を探す視線とはまるで違う。つまり、彼は競走馬という枠に収まりきらない存在になっていた。

 サラブレッドの名前は血統登録の時点ではつけられない。血統登録証明書が発行されると正式な馬名登録が可能になり、その後、競走馬として登録される。言いかえれば、競走馬にならないと名無しのままになる。一般的に競走馬登録がされる前の馬は母馬名+生まれ年で表記される。時が経つにつれ、競走馬の枠から出ていったシーイズアピーチ2025には名前がつかなかった。それは下村さんの決断だった。たとえ、馬体が小さくとも、生産者が販売して馬主が決まれば、競走馬になって、名前がつく。売ろうと思えば売れたはずだ。なにせ父はゴールドシップという人気の種牡馬だ。その先、競走馬になれない可能性があったにせよ、生産者はお金にしようと思えばできる。生産者は競走馬の売買によって生活している。それは自然のなりゆきだった。しかし、下村さんはシーイズアピーチを売らなかった。競走馬にしなかったのだ。血統を考えても、馬体の成長は見込めた。脛骨の骨折はスクリューもプレートも除去され、完治している。疝痛は心配ながら、競走能力に影を落とすことになるとは考えづらい。売れない理由はなかったはずだ。しかし、下村さんは彼のやさしさが競馬に向かないと考えた。大切な時期を人間に助けられて育ったせいか、競走馬として戦って勝ち抜く闘争心を欠き、その分、やさしさを身にまとった。競走馬としての枠からはみ出していったのは、彼の独特のやさしさのせいでもあった。

 2度にわたる命の危機を脱した奇跡の馬シーイズアピーチ2025は、まるで神の使いのような存在に育った。下村さんは彼には競走馬以外の道があると考えた。ゴールドシップ産駒特有の聡明さと周囲を落ち着かせ、幸せにする力。競馬ではなく、これを仕事にする道。それが一つ年上のリードホースだった。生産者として当たり前の選択と下村さんはいうが、この道を選ぶ生産者は多くなく、1歳上のリードホースなんて言葉は聞いたことがない。

 離乳したばかりの当歳馬たちは本能的に母を探し求める。そのストレス軽減と馬社会を生きる基礎を教えるという意味でリードホースを一緒に放牧することがある。大抵は繁殖生活を終えた高齢の牝馬が選ばれる。なかには種牡馬を引退した馬もいる。共通するのは年の離れた高齢馬。当歳の祖父母ほど年が離れている。人間の世界にも「おじいちゃんおばあちゃん子」という言葉がある。祖父母に養育された子どもはやさしく育つという。リードホースもそんな価値観の延長線にある。だが、今年、シーイズアピーチ2025はわずか1歳でリードホースになる。先輩後輩のような関係だ。いったい、どうなるのか。下村さんは2、3日ほどお互い、様子を見合って探り合うのではないかと予想していた。

 2026年10月13日。第1グループの離乳が行われた。リードホースデビューに際し、下村さんはゴルピーチという愛称をつけた。仮の名前にとどめたのは理由があるそうだ。かくしてゴルピーチは当歳馬が馬房で食事をとりつつも、離乳直後の落ち着かない時間を過ごしている間に1頭だけ放牧地に入れられた。ついこの間まで、同世代の牡馬たちと暮らした放牧地に1頭だけ戻ってきた。予期せぬ動きをしてはいけないので、念のため精神安定剤を投与されたゴルピーチは半分眠るようにして放牧地に佇む。そこに5頭の当歳馬がやってきた。ゴルピーチは嘶き声をあげ、新しい場所を確認するように走り回る5頭をぼんやりしながら眺め、やがてゆっくりと5頭に歩み寄っていった。誰も彼にリードホースとしての訓練などしていない。できるわけがない。だが、目の前にいる当歳馬たちの様子を察し、離乳直後で不安な心を理解しているかのようにゴルピーチはそっと近づき、5頭を落ち着かせていった。

 最初は戸惑っていた5頭も体の大きな先輩の存在を知り、次第に頼るようになっていった。ゴルピーチは周りを落ち着かせる力を発揮した。これが血気盛んな1歳牡馬であれば、威嚇して蹴散らしにいっていたはずだ。彼らは優秀な競走馬になれるかもしれないが、リードホースは務まらない。ゴルピーチはまるでその逆。競走馬にはできない仕事をしはじめた。その瞬間だった。

 その翌日、私は放牧地にいるゴルピーチと当歳馬たちに会いにいった。よくあるリードホース像のように先頭に立ち、群れを引っ張ったりはしないが、後ろから見守るようについてき、たまに横について一緒に移動していた。5頭はすっかり落ち着いており、私や下村さんの姿を見つけるや、近づいてきた。臭いを嗅ぎ、遊んでほしいとちょっかいを出す姿は離乳翌日とは思えなかった。その横でゴルピーチは柵の間から顔を出し、自慢の柔らかい脚を器用に使いながら、牧柵の外に生える草を食んでいた。まるで二人に任せたと語っているかのようだった。

 くどいようだが、だれもゴルピーチにリードホースとはなにをするかを教えていない。競走馬だってデビューにあたり、育成牧場で馴致され、様々な必要なことを人間から教わっていく。だが、ゴルピーチには馴致もない。彼自身が置かれた状況を把握し、なにを求められているかを理解し、それを行動に移した。わずか1歳でここまでできる馬はそうはいまい。

 しばらく放牧地を眺めていると、牧柵の外に鹿があらわれた。いま、生産牧場では鹿の侵入があとをたたない。馬より鹿の数がはるかに多いという放牧地の風景も珍しくはない。当歳馬たちは鹿の存在に気づくや、すぐさま警戒態勢をとる。彼らがこれまでママと一緒に生活していた分場は今いる場所から離れた国道沿いにある。牧柵もフェンス状になっており、鹿はまず現れない。つまり、彼らは生まれてはじめて間近で自分たちや人間とも違う小さな生き物を目撃したのだ。その存在に戸惑っていると、鹿が先んじて警戒して鳴き声をあげた。その声に驚いた5頭が一斉に逃げていく。この放牧地に約1年間いるゴルピーチにとって鹿は慣れたもの。逃げもしなければ、気にかけもしない。慌てて逃げる5頭を見るなり、ゆっくり後ろを追いかけ、落ち着かせる。そうして平静を取り戻した5頭が私たちに鹿がいたことを報告しにくる。横にはゴルピーチが付き添っていた。

 ゴルピーチの優秀さはやさしさだけではない。おやつの時間になると、飼桶を独占し、ひとりで食べる。当歳が近づこうとすれば、耳を絞って威厳を見せて、追い払う。私が放牧地で観察している間、ゴルピーチが威厳を見せたのはこの時だけだった。これも馬社会の教育だ。食事は生きるために欠かせず、集団生活のなかで競ってでも食べないといけない。未来のアスリートはいつか必ず競う日がやってくる。ゴルピーチの威厳は未来への礎。自分はなれなかった競走馬への道を教えているようだった。

 当歳馬たちが離乳してはじめて迎える夜、傷ひとつできずに朝を迎えられたのはゴルピーチのおかげだ。大ケガはせずとも、離乳直後は心の安定を欠き、お互いちょっかいを出して蹴りあうことや牧柵で引っかくなど小さな傷をつくることも珍しいことではない。だが、それもないほど落ち着いて一晩過ごせたのはゴルピーチの存在なしには語れない。

 第1グループの5頭はその後の離乳に与える影響は大きく、この世代のグループ形成において大事な役割を担っている。その5頭をわずか1日で落ち着かせたゴルピーチの手腕は見事といっていい。彼にしかできない仕事は競馬場で勝利するに等しい。

 サラブレッドには競走以外の才能もある。つまり、生きる道はひとつではない。ゴルピーチはその馬生を通じてそれを証明していくことになる。リードホースはその最初の一歩だ。大狩部の丘から後輩たちを見守る心やさしい純粋な瞳にはどんな未来が見えているのだろうか。今は愛称にすぎないゴルピーチという名を改める日はやがて訪れる。人を乗せることだってできる。その可能性は無限に等しい。そして、その限りなく広がる未来を歩めるのも、下村さんと職員たちの支えがあったからにほかならない。そう考えると、ゴールドシップを交配されたことも、大狩部牧場で生を受けたこともなにかの必然であり、運命だったように思えてならない。彼の馬生も追いかけたい。またひとつ、仕事が増えた。私も彼から幸せを受けとった。そんな気がした。

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