──強かった。
この一言に、尽きる。
アーモンドアイは、あまりにも強かった。
逃げるキセキを2番手から追いかけ、直線で差し切る。3歳牝馬ながら、歴戦の古馬のような横綱相撲。文句なしの完勝だった。
そして何より人々の度肝を抜いたのが、そのタイムである。
「2.2 0.6」という記録は、芝2400mの世界レコード。従来の日本レコードを1.5秒も塗り替える大記録だった。
ここでジャパンCの歴史について、少し振り返ってみようと思う。
福井謙一氏がノーベル化学賞を受賞し、黒柳徹子氏の著書「窓際のトットち ゃん」が大ヒットした1981年、第1回ジャパンCは11月22日に開催された。
予備登録の段階では牝馬で前年のケンタッキーダービーを制したジェニュインリスク、この年のアメリカ二冠馬プレザントコロニー、世界最多賞 金獲得馬(当時)のジョンヘンリーといった錚々たる名馬の名前があったが、ジェニュインリスクは怪我のため現役を退き、他の2頭も結局本登録はせず。
蓋を開けてみれば、出走した国際G1馬はザベリワンだけというメンバー構成だった。
カナダのクラシックホースが2頭来たものの、カナダのクラシックは現在に至るまで国際G1ではない。その他の招待馬もG2勝ちがある程度だった。
当時、多くの日本競馬ファンは「これなら日本馬にも勝利の目がある」と考えたようである。
単勝の1番人気こそザベリワンだったが、2番人気はモンテプリンス、その下にホウヨウボーイ、ゴールドスペン サーと日本馬が続いていた。
ところが、だ。
勝ったのはザベリワンでも、対抗の日本馬たちでもなかった。
サクラシンゲキが逃げて作り出すハイペースの中、後方から追い込んだ5番人気メアジードーツが1着。2着にカナダのフロストキング、そのあとにザベリワンが続いた。
海外調教馬による上位独占。
勝ちタイム2.25.3は、78年にエリモジョージが記録したタイムを0.5秒上回る芝2400mの日本レコードだった。
こうして、世界との差を否応なく感じさせられる結果となったジャパンC。
それ以降も芝2400mの日本レコードは、このレースで更新され続けてきた。
86年第6回、イギリスのジュピターアイランドが更新。タイムは2.25. 0。
87年第7回、フランスのルグロリューが更新。2.24.9。
89年の第9回はホーリックスが勝利。タイム2.22.2は当時の世界レコードであった。
クビ差届かなかったが、オグリキャップが同タイムで走ったレースとして覚えている方も多いであろう。
その16年後、2005年の第25回でこの日本レコードは更新された。
勝ったのはイギリスのアルカセット。タイムは2.22.1。
ここまで読んで、お気付きになられたであろうか?
ジャパンCが始まって以来、その施行コースである芝2400mの日本レコードは、ずっと海外調教馬によって更新されてきたのである。
もちろん競馬は、走破タイムが全てではない。レコードタイムを1度も出さなかった名馬の名を挙げれば、枚挙にいとまがない。その一方で、何年も更新されないレコードタイムでレースを勝ちながら、特別な功績を他に残せず競馬場から消えてゆく馬も多い。
だがしかし競馬とは、速さを競う競技だ。だからやっぱり、レコードタイムには価値があると考えている。記録が更新されれば皆が話題にするのである。「世界に通用する馬づくり」を理念に掲げて開催が始まったジャパンCだが、そのレースで数々の海外馬が記録した記録に追いつけ、追い越せと、多くのホースマンたちも日々努力を重ねてきたはずだ。
それが2018年、初めて日本調教馬によって、レコードが更新された。
しかも幾多の日本馬が夢敗れたジャパンCというレースで、ワールドレコードというおまけの勲章まで引っ提げて。
エリモジョージの記録が塗り替えられて以来37年ぶりに、芝2400mのレコードタイムが日本馬によるものとなったのである。
しかもタイムは、その時から5.2秒も縮まった。
アーモンドアイは、日本競馬の歴史的瞬間を作った。
しかもまだ3歳という若さで、だ。
翌年の海外遠征に向けて、その時彼女の目にはいったいどんな未来が映っていたのだろうか。
写真:Horse Memorys