2006年5月28日、日本ダービー当日。
1頭の3歳馬が東京競馬場のゴールを先頭で駈け抜けた。
彼は、その素質に大きな期待をかけられた競走馬であった。

彼が勝ったのはダービーではなく、東京5Rの500万下だ。
しかし後に競馬ファンは知る事となる。
その素質馬が秘めた可能性を。2006年ダービーデーの、もう一つの物語を。

その競走馬の名はアポロキングダム。
太陽神アポロの冠名に相応しく、陽射しにきらめく栗毛の美しい牡馬である。

通算成績11戦2勝。

彼は500万下を勝ち、掲示板入りを繰り返す安定性を見せていたものの、脚部不安によって引退を余儀なくされた条件馬であった。
血統を残す仕事の競争率は高く、重賞などの大レースを勝っても種牡馬入りは困難を極める。
それでも彼の可能性を信じたオーナー始め関係者の手により、アポロキングダムは種牡馬となった。

そして同時に、キングダムの第二の戦いが始まった。

脚部不安で順調にレースを使えなかった現役時代。もしも脚元が丈夫であれば……そんな夢の続きを見せ、競走で発揮し切れなかった才能を産駒に伝えるために。
初年度の種付けは2009年生まれの19頭、11頭が競走馬として登録された。
そして、決して多いとは言えない産駒から吉報が聞こえ始める。

2012年2月25日、中山競馬場。

雨の中で行われた未勝利戦に、アポロキングダムの血を受け継ぐ産駒の姿があった。
鞍上に武豊騎手を迎えたアポロマーベリックである。
その前年の秋にアポロアリーナによって達成された、アポロキングダム産駒の中央初勝利。彼女に続く事ができるだろうか。
降り続く雨、ぬかるむ不良馬場。
ゲートが開くと、マーベリックは怯まずハナを切った。直線を向き、差し・追い込み勢が抜群の手応えでポジションを上げていく。しかしマーベリックの脚色は衰えず、後続を突き放す。
6馬身差の圧勝が、父に届いた2頭目の勝ち上がりの報せだった。

同年9月の中山開催。
そのマーベリックは逃げて二の脚を使うという強い内容での勝利をおさめ、500万下を勝ち「父に並んだ」初めての産駒となった。
その一戦を皮切りに、アポロモヒート、アポロオラクルと、アポロキングダム産駒は3週連続での勝利をおさめた。
芝・ダートを問わぬ活躍。
高い勝ち上がり率。

「アポロキングダムって、すごいんじゃないか?」

一部のファンからそんな声が聞こえ始めた頃、父が届かなかった重賞の舞台に立つ産駒の姿があった。
障害転向をしたアポロマーベリックが、J-G3・2013年東京ジャンプSに挑む事となったのだ。

障害転向時に
「障害の申し子」
とその才を絶賛されたマーベリックは、スナークスペインとの叩き合いを制し見事、重賞勝利をおさめた。

遂にアポロキングダムが、重賞馬の父になった。
平地障害を問わぬ適性の幅。
世代を問わぬ勝ち上がり率の高さ。

「アポロキングダムって、やっぱりすごいんじゃないか?」

父の注目度が次第に高まる中、2013年12月。
同じくアポロキングダムを父に持つアポロスターズがOPカンナSを快勝し、G1・朝日杯フューチュリティSに駒を進めた。
キングダムの産駒が、初めてG1の舞台に立ったのだ。重賞勝ちなどの華やかな戦績を持つ種牡馬たちの産駒と共に。
勢いそのままに翌週のJ-G1・中山大障害。
飛越の巧さとスタミナを発揮し、8馬身差の圧勝をおさめたのは、産駒初の重賞馬アポロマーベリックであった。

こうしてキングダムにとっての2013年は「G1馬の父になる」という結末で幕を閉じた。

種牡馬への評価は、産駒の成績により大きく左右される。
2013年までの活躍をうけてキングダムにシンジケートが組まれ、彼の注目度は更に高まる事となった。
そして2014年の種付け頭数は72頭にも及んだ。
初年度種付け19頭・無料からのスタート。20頭台で推移していた頭数が、「孝行息子・娘」たちによって急増したのだ。
今振り返ればアポロキングダムは「超」のつく良血馬であり、この活躍は「意外」とは言えないのかもしれない。

それでもこれほどまでのサクセスストーリーを、一体どれだけの人が予想した事だろう。彼が陽の目を見るまで支え続けたオーナーをはじめ関係者には頭が上がらない。

現役時代に叶わなかった夢を、産駒に託す。夢を託された産駒が父の名と才を知らしめる。
これぞ血統のロマンではないだろうか。
競馬ファンは、応援していた競走馬の父に、母に、想いを託す。
そんな中アポロキングダムは、日本の重賞でドラマを魅せた父母を持たぬ外国産馬であった。
自身が重賞のような大舞台に立つという夢さえ、脚部不安によって奪われた。
種牡馬になってからも、陽の目を見るまで耐え忍ぶ日々が続いた。

それでも今、アポロキングダムの名は競馬ファンに知れ渡り、彼の血統から夢を追いかけているファンも少なくない。

それは他ならぬ彼自身、彼の血を継ぐ産駒たち、関係者が一丸となって切り拓いた道である。
「脚元の関係で現役時代に無理をしなかった事が、種牡馬成績で吉と出ているような気がします」
と、種馬場の場長は振り返る。

志半ばで夢を絶たれたように思えた競走馬生活だが、関係者の決断は後世への希望を繋ぐものであったのだ。
陽射しにきらめく栗毛が美しいアポロキングダム。

「器が違うんじゃないか」

現役時代、そんな予感をファンに抱かせたという雄大な馬格と凜々しい顔立ちは、今なお健在だ。
そしてその眼前には、太陽神アポロの冠名に似合う青空のごとき未来が広がっている。
彼の血を、可能性を受け継いだ産駒たちの夢と共に。

写真:めるぼろニャン

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