
競走馬として生まれた以上、競馬場で走っている時が、馬たちにとって、最も幸せな時間では無いだろうか──個人的に、そう思うことがある。
たとえレース中に斃れたとしても「こんなはずじゃ無かった…」とは思っていないかもしれない、と思うのだ。もちろん悲しい場面を目の当たりにする私たちにとっては、辛く可哀想な出来事だ。しかし同時に、その事件・事故はいつまでも私たちの記憶に残り、語り継がれていく。現役を引退した馬たちで、亡くなった事を知ることができるのはほんのひと握りの馬。いつ、どこで亡くなったか、亡くなった事すら不明な馬たちが数多くいる。そう考えると命日が知られている馬は、ある意味幸せである…と、思ってしまうことがあるのだ。
2023年8月8日火曜日、前年の菊花賞馬アスクビクターモアが亡くなった。彼の死因はレース中や調教中の事故では無い。熱中症による多臓器不全を発症し、休養中の放牧先で世を去ったのである。競走馬として、まだまだ完成途上の4歳夏。無念さと悔しさ、そして未来への希望を残したまま去っていったアスクビクターモアは、生涯成績12戦4勝──2歳6月の新馬戦から4歳時の宝塚記念までの丸2年を、強力なライバルたちと共に切磋琢磨しながら駆け抜けた。

春のクラッシック戦線に向けたトライアルで賑わう3月。
黒いメンコを付け、笑顔の田辺騎手を背にパドックを周回するアスクビクターモアの姿を思い出す。
もう一度、中山競馬場のパドックで会いたかった…。
2022年クラッシック戦線
「あの年は黄金世代だった」と確証するのは、同世代の主力メンバーが現役引退し始める頃だ。上の世代、下の世代との混合戦で勝ち抜く力があるか、古馬のGIレース制覇を同世代で複数年独占するかなどで、黄金世代が形成される。
2022年のクラッシック戦線を戦ったメンバーは、イクイノックスとドウデュースを擁する「超・黄金世代」だった。それら黄金世代の主力メンバーの一角を形成したアスクビクターモアは、2歳時から主力メンバーとぶつかり、鎬を削る戦いを強いられている。
アスクビクターモアのデビュー戦となったのが6月府中の最終週に組まれた1800mの新馬戦。4コーナー手前で先頭を奪い、逃げ込みを図るものの外から差し切ったのが、後の皐月賞馬ジオグリフだった(アスクビクターモアは3着)。夏休みを挟み2戦目となった中山の未勝利戦で順当勝ちしたアスクビクターモアは、3戦目を10月府中のリスッテッド競走アイビーステークスに向かう。アイビーステークスと言えば、後のGⅠ馬がステップレースとする出世レース。歴代の優勝馬に、古くはグラスワンダー、2000年以降でもクロノジェネシス、ソウルスターリングの名前が記されている。
1番人気に支持されたアスクビクターモアにとって、負けられない戦いである。ここを勝って一気に同期の先頭集団に加わりたいところ。しかし、そこに立ちはだかったのが小倉で新馬勝ち後、ここに駒を進めてきたドウデュースである。レースは、アスクビクターモアとドウデュースが3番手で並走後、直線で抜け出したドウデュースに迫るものの、捕まえ切れず3着。結局2勝目を挙げることが出来ず、2歳シーズンを終了する。
この年の超・黄金世代主力馬たちの蹄跡を振り返った時、新馬戦もアイビーステークスも後のクラッシックホースが激突したレースだから、伝説級のレースであったことは間違いない。
因みに、翌月の東スポ杯2歳ステークスでは、イクイノックスが圧倒的な強さで各馬をねじ伏せ、2022年クラッシック戦線に先陣を切って名乗りを上げていた。
アスクビクターモアが一番輝いたレース、弥生賞
3歳になったアスクビクターモアは、金杯デーの平場戦1勝クラス(2000m)に登場し、順当に勝ち上がる。
クラッシック戦線に向けて、再始動したアスクビクターモアが次に選んだレースは弥生賞。3歳になって京成杯はオニャンコポン、共同通信杯はダノンベルーガ1着、ジオグリフ2着で、一足早く皐月賞への権利を得ていた。弥生賞には、GⅠ馬になった2歳チャンピオンのドウデュース、年始のジュニアカップを快勝したインダストリアが参戦、アスクビクターモアと三つ巴の様相を呈する。


池添騎手のリューベックが先導する形で始まったレースは、淡々とした流れで進む。ドウデュース、アスクビクターモアは好位追走、インダストリアは後方待機の形となったバックストレッチ。アスクビクターモアが早めに二番手につけて、逃げるリューベックを追いかける。4コーナー手前で先頭に並びかけたアスクビクターモアに対し、ドウデュースが内から、インダストリアが外から、追撃態勢に入っている。
直線は息の詰まる攻防。先頭に立ちセイフティリードを保ったかに見えたアスクビクターモアを目掛けて、馬群を縫うようにドウデュースが上がってくる。インダストリアは外から伸びようとするが、その差が縮まらない。直線の坂で、ドウデュースが内のアスクビクターモアを射程圏に捕らえ、一気に抜き去るようにも見えた。しかし、そこからの粘りが、2歳時のアスクビクターモアとは違った。田辺騎手の鞭に応え、粘り脚を見せる。坂を上り切ってもドウデュースに抜かせない。
ゴール前、馬体が合いクビ差までドウデュースが迫ってきたところが、ゴール板だった。

アスクビクターモアは2歳チャンピオンの追撃を凌ぎ切り、アイビーステークス惜敗の借りを返した。
古馬になってからのドウデュースが、「末脚を爆発させて差し切る」シーンは何度見ても痺れる。3歳時だったとはいえ、「あのドウデュースの末脚を凌いだ」ことは凄いこと。アスクビクターモアは、弥生賞制覇により同期のトップクラスたちと肩を並べたと言えるだろう。
2022年の弥生賞、アスクビクターモアが、生涯で一番輝いたレースだったように思う。
三冠皆勤賞のアスクビクターモア
2022年のクラッシック戦線、アスクビクターモアは三冠ロードを完走した。
皐月賞は、イクイノックス、ドウデュース、ダノンベルーガなど、人気上位馬に対して逃げの手を打ち、直線の坂の上まで粘っての5着。

日本ダービーは逃げ宣言していたデシエルトを先頭に行かせて、二番手ポジション。直線で先頭に立つと、200m手前まで粘り込む。最後は外から伸びて来たドウデュースとイクイノックスに交わされるが、内から強襲のダノンベルーガをクビ差抑えて、3着で入線した。

ドウデュースもイクイノックスもパスした菊花賞での優勝は、レベルがどうかという声もあった。しかし、何と言われようとも菊花賞に出走して先頭ゴールしたことは、競馬史に刻まれた記録である。ボルドグフーシュをハナ差抑え、後の天皇賞(春)優勝馬ジャスティンパレスを交わした先行策は、アスクビクターモアの勝ちパターンそのもの。83代菊花賞馬に相応しい、堂々のクラッシックホースである。
アスクビクターモアは、イクイノックスやドウデュースとは異なるステージで、頂点を極める馬になると信じていた。タイトルホルダーの後継者として、成長していくストーリーを楽しみにしていたのだが…。
古馬になってからの不振、そして…
4歳になったアスクビクターモアの初戦は日経賞。ここで、先輩の菊花賞馬であるタイトルホルダーとの初対戦が実現する。生憎の不良馬場、重馬場経験の少ないアスクビクターモアにとって不良馬場への不安はあったものの1番人気をキープ。土曜日の中山にしては超満員のパドックから、新旧「菊花賞馬」対決への注目度の高さが伺える。


しかしながら、結果はタイトルホルダーが圧勝し、アスクビクターモアは生涯初の着外、9着に敗れた。煽ってのスタートが響いたのか、道悪馬場の影響か。先行することもできず、後方追走のままレースが終わってしまう。
このレースを機に、彼の歯車は狂い始めたのだろうか…。
続く天皇賞(春)は、横山武騎手に乗り替わり得意の3000mで再起を目指すが、結局良いところは見られず11着に沈む。優勝したのは前年の菊花賞3着馬ジャスティンパレス。アスクビクターモアが頂点を目指したステージで、同期に先を越されてしまった。
宝塚記念はイクイノックス、ジオグリフの同期との対戦も、彼らに先着を許す11着でゴールした。
春シーズンは信じられない大敗を重ねて終えることになったアスクビクターモア。秋の復活を目指して休養に入ったものの、アスクビクターモアの競走生活は、ここでピリオドを打つことになってしまった。
菊花賞後、どこか体調を崩していたのだろうか。万全で無いままレースを重ねて更に調子悪くなり、悲しい事態になってしまったのだろうか。それは我々には、わからない。ただいずれにせよ、アスクビクターモアの小気味よい二番手追走シーンは、もう見ることが出来ない。
タイトルホルダーが2023年暮れに引退し、ジャスティンパレスと頂点争いするシーン。ドウデュースと再戦して、逃げ粘る府中の直線…。彼が演じる直線の攻防を盛り上げるシーンを、まだまだ見ていたかった。
2022年超・黄金世代の三冠皆勤馬として、その名を残した菊花賞馬アスクビクターモア。
ドウデュースの子供たちが競馬場に帰ってきた時、私は誰かに、アスクビクターモアのことを語っているだろう。
「ドウデュースの鬼脚を先行逃げ切りで封じた馬がいたんだぜ。彼はもうこの世にはいないけどね」と。
Photo by I.Natsume