それぞれの競馬愛 マルシュロレーヌがMarche Lorraineになった日 2021年11月8日 日本時間2021年11月7日午前7時55分。 日本の朝がラヴズオンリーユーと川田将雅騎手が成し遂げた壮挙の余韻に浸る中、私は一人焦っていた。 それまで快適に視聴できていたブリーダーズカップ公式サイト上のライブ動画が、急にカクつき始めたのだ。 マルシュロレーヌの勇気ある挑戦を、追いかけ続けたステイゴールドの血が見せてくれ... 枝林 応一
「名馬」を語る 愛しさと歯がゆさとここぞの強さと - フェノーメノ 2021年10月30日 2009年から2015年までの足掛け7年間は、種牡馬ステイゴールドのまさに「黄金時代」だったと言っても過言ではない。 平地障害のGⅠを7頭で19勝。宝塚、有馬の春秋グランプリ14戦9勝。凱旋門賞2着3回。2011年~2012年の牡馬三冠で6戦5勝2着1回。 そして2013年からの天皇賞(春)三連覇。 「愛さずにいられな... 枝林 応一
「名馬」を語る 妹よ。 - レクレドール 2021年7月31日 2006年8月20日、日曜日。市中に流行り始めた新語「アラサー」の域に達しつつあった私は札幌競馬場の喧騒の中に佇んでいた。恐らく生で見るのは最後になるであろう、彼女の走る姿を、この目に焼き付けるために。 メインレース、札幌記念。 7番ゲート、前走クイーンステークス3着からの連闘。9番人気、5歳、23戦目、牝馬。兄はステ... 枝林 応一
「名馬」を語る 幾たびも紡ぎなおされた絆の糸~ナリタセンチュリーと田島裕和騎手〜 2021年6月27日 2021年6月13日、東京競馬場第9レース。観客が、そしてネット上が大きなどよめきに包まれていた。 シンガリ人気、単勝333.5倍のリキサンダイオーが2番手から直線押し切って勝ち星を挙げたのだ。 いつも冷静なグリーンチャンネルの司会者が、いつもよりやや高揚した声で勝ち馬プロフィールを読み上げた。 「勝ちましたリキサンダ... 枝林 応一
「名馬」を語る 笑顔の行方、明日の行方 - スマイルトゥモロー 2021年5月23日 卒業アルバムの 最初の春のページ無邪気に笑う私がいる…──Dreams Come True 「笑顔の行方」より 競馬のレースが行われる「距離区分」を表す言葉として、「SMILE」というものがある。これは世界統一の競走馬の強さを表す指標(レーティング)を獲得したレースの距離を表したものである。 Sは「Sprint(スプリ... 枝林 応一
「名馬」を語る バウンシーチューン〜全身全霊を捧げ尽くした豪脚〜 2021年4月24日 2011年4月24日、日曜日。晴れ渡る東京競馬場で、1頭の栗毛馬による"伝説"が、始まった。2着に3馬身をつけてGⅠ皐月賞の栄冠を父ステイゴールドにもたらしたオルフェーヴル。 この勝利は、種牡馬ステイゴールドにとって初めての「土日連続重賞制覇」でもあったのだ。 ──そう、この前日、同じ府中の芝2000mで、同じステイゴ... 枝林 応一
ニュース・ブログ 中央競馬ニュース [フラワーC]ユーバーレーベン出走に寄せて マイネヌーヴェル、2003年の豪脚 2021年3月19日 2002年1月20日、私を競馬の虜にしてくれたステイゴールドが、京都競馬場で引退式を執り行った。ステイゴールドがターフを去ってからその産駒がデビューするまでの約3年半もの間、たくさんの名馬が私を競馬に繋ぎ止めてくれた。 私が夢中になるのはいつも、表舞台を彩るスターたちではなく、どこかもう一歩頂点に足りない──愛さずにい... 枝林 応一
「名勝負」を語る その旅程は砂上に刻まれた~シルクメビウス・2010年東海ステークス〜 2021年1月24日 2020年12月16日水曜日、川崎競馬場。父にヘニーヒューズを迎えた母父ステイゴールドの牡馬・アランバローズが、後続に5馬身もの大差をつけて、交流JpnⅠ全日本2歳優駿を逃げ切った。 ステイゴールドの仔が走り始めて16年目。その血が初めてダートの頂点に立った瞬間だった。そしてその瞬間、歓喜に沸くステイゴールドファンの脳... 枝林 応一
「名馬」を語る あの日、君が軽く飛んだから~ドリームジャーニー・2006年朝日杯FS〜 2020年12月19日 『蛯名、差せぇぇぇぇぇぇぇ!』筆者が競馬にはまる決定打となったステイゴールドの産駒、ドリームジャーニーが朝日杯フューチュリティSをなで斬った瞬間であった。 これは、第58回朝日杯フューチュリティステークス当日に私が記したブログの抜粋である。 今回、朝日FSに向けてドリームジャーニーの記事を書くことにしたとき、ふと、昔ブ... 枝林 応一