日本で一番速い君へ。光すらも置き去りにしたカルストンライトオ

サラブレッドは、生き物の極致の如きスピードで私たちの目の前を駆け抜ける。

愛らしい瞳を持ち、時に無防備な、時に哲学的とも思える振る舞いを見せる彼ら彼女らが、命を燃やし、闘志をむき出しにしてスピードを競う姿は、私の心を捉えて離さない。

レースを俯瞰するだけならテレビ画面が一番わかりやすい。それでも私が競馬場に足を運ぶのは、蹄音を響かせて、あっという間に目の前を駆け抜ける彼らの「疾風」をその目で、その耳で、その肌で感じたいからだ。

アスリートたる彼らの中でも短距離を生業とする馬たちは格別だ。

彼ら彼女らは頑健さを極めた屈強なダート馬とも、研ぎ澄まされた身体能力をクレバーに発揮するスレンダーな中長距離馬とも異なる。

小細工無用。後肢が生み出す巨大なトルクを前肢で捉え、ターフを蹴り、推力に変換しパワーを乗せていく。スピードに最適化し、走ることに特化した筋肉の芸術品に私はいつも見惚れてしまう。

サクラバクシンオー、タイキシャトル、ロードカナロア……歴史に名を残す名スプリンターたちは皆、速くて強かった。彼らは時に力強く、時に軽やかに、日本を、世界を、圧倒した。

では、そんな名うてのスプリンターたちすらも未踏の領域である、ハロンタイムの9秒6を叩き出した、文字通り「最速」の記録保持者をご存じだろうか。

答えはカルストンライトオ。

究極のスピード勝負、新潟の直線芝1000m戦において、20年以上の時を経てなお破られないスーパーレコード(※2023年時点)を記録し、日本競馬史上最速のハロンタイムを叩き出した彼は、勢いそのままにスプリンターズステークスに挑戦し、歴代屈指の末脚を誇ったデュランダル完封してG1タイトルを手にした。

大きくて真っ黒な馬体、力強く描かれた派手で大きな流星、右後肢の長いソックス。

ライトオーではなく、ライトオ。

その名を呼ぶ時間すら惜しむかのごとくちょっと寸足らずな名前の彼は、光すら置き去りするスピードを見せた個性派の韋駄天だった。


カルストンライトオがこの世に生を受けたのは1998年。

アグネスタキオン、ジャングルポケット、マンハッタンカフェ、クロフネら、煌びやかな同期のスターホースたちと交わることは無かったけれど、彼らとは全く異なる舞台で、デビュー時から天性のスピードを見せつけていた。

秋の京都で迎えたデビュー戦は逃げて4馬身、相手が強化された2戦目のかえで賞では更にリードを広げて6馬身。500キロ近い巨体を生かし、スプリント戦でデビュー2連勝を果たした。マイルに距離が伸びた朝日杯3歳ステークスでは息切れしてしまったけれど、翌春には葵ステークスでオープン初勝利を挙げ、夏には古馬を相手に北九州短距離ステークスを完勝。

同年、直線1000mコースを引っ提げてリニューアルオープンした新潟競馬場を彩る第1回アイビスサマーダッシュでは1番人気に支持された。初代女王に輝いたメジロダーリングに僅かに及ばずの3着で初重賞タイトルは逃したものの、レースを先導し、ゴール寸前まで粘りを見せ、立派に主役を勤め上げた。

全てのレースでハナを譲らず、弾丸のように逃げて逃げて、更に逃げる。早くから頭角を現した彼は、デビューから1年を待たず、その名の通り「光の王」として、スピードを見せつけていた。

前途は洋々。強い3歳世代の中で彼が頂点を極める日は遠くないかに思えた。


1年後の2002年。カルストンライトオは未だ無冠のまま、再び越後の地を踏んだ。

この1年の間、秋の淀、冬の尾張、初夏の福島……。タイトルを目指し東奔西走も重賞タイトルは手に入らなかった。降級したTUF杯では流石に格の違いを見せつけて勝利を収めたが、オープンに入ると、不器用なほどにスピードに特化した彼には1200mすらも少し長かったのだろうか。ゴール寸前、あと一歩及ばない競馬が続いた。将来を嘱望された1年前を思うと、彼は伸び悩んでいた。

迎えた第2回、アイビスサマーダッシュは、前年3着の雪辱を晴らし初タイトルを獲得する絶好機。そんなカルストンライトオの前には一つ年上の快速馬、ブレイクタイムが立ちはだかっていた。

ブレイクタイムは前年の安田記念で単勝15番人気の低評価ながらブラックホークの2着に入り、大波乱の立役者となった。半年以上の休み明けとなったNSTオープンでマグナーテンと共に芝1400mで1分19秒0の驚異的なレコードタイムで駆け抜けていたようにスピード勝負は大歓迎。初の直線競馬でのタイトル奪取に燃えていた。

このレースの後、中山芝1600mで1分31秒9の日本レコードを叩き出すスピード自慢のブレイクタイムと、カルストンライトオの一騎打ち。スピード自慢同士のマッチアップだった。

8枠12番からゲートを飛び出したカルストンライトオは、外枠を利してラチ沿いを確保し真一文字に加速する。馬場の7分処をマティーニ、5分処をブレイクタイムが追いかける。駆け引き不要。信じるのは己の速さのみ。究極のスピード勝負の幕が開いた。

初速となる最初の200mは12秒0。

カルストンライトオは競走馬としての本能のままに、自らの筋肉に燃料を投入する。彼の身体に蓄えられた糖分は次々に分解され、ATPが生成され、彼の筋肉を動かす。蒸気機関車に燃料を絶えず投入するように、激しく燃料を燃やし、燃やしたエネルギーで後肢を強く蹴り、推進力に変えていく。

次の200mは9秒8。

並の馬なら身体がバラバラになってしまうかもしれないスピードだが、頑健なカルストンライトオはものともしない。加速、加速、そして加速。アクセルベタ踏みのフルスロットル。驚異的なスピードの前に、最大のライバルであるブレイクタイムは競走前半で早くも鞭が飛ぶ。

競走中盤の200mは10秒2。

束の間の休息は、しかし休息にすらならない程の猛スピードで過ぎていく。カルストンライトオを追いかけていたマティーニは早くも後退し始める。後続各馬にも次々と鞭が飛ぶ。馬群が内外、前後に大きくばらける。

競走後半の200m。大西騎手のゴーサインに応え、カルストンライトオは残る燃料を全てを燃やし尽くし、再び加速して灼熱の越後を駆け抜ける。ブレイクタイム以下のライバル達は馬体を並べることすら能わない。誰も見たことが無いスピードの次元に到達する。

最後の200mは流石に鈍り、ブライクタイムがじわじわ差を縮める。だが築いたリードは既に決定的。先頭を一度も譲らずゴールテープを切り、カルストンライトオは初めての重賞タイトルを手にした。

入線直後、表示された勝ち時計に場内が大きく沸く。「レコード」の赤い文字と共に着順掲示板に記された走破時計は53秒7。誰も見たことが無い、日本で一番速い勝ち時計だった。

このレコードタイムを叩き出す中で、残り600m地点から刻んだ200mの走破タイムは9秒6。当時はもちろん、2023年を迎えた現在においても、未だ誰も到達していない1ハロン最速記録である。

時速換算で75km。日本最速の男として、カルストンライトオはこの日、越後の地でサラブレッドが到達できるスピードの究極系の一つに、確かに辿り着いていた。


更に2年の時が過ぎた。カルストンライトオは6歳になった。

彼は10戦以上のレースを重ねたが、アイビスサマーダッシュ後の4歳シーズンは未勝利。脚元の不安に苛まれた5歳シーズンはアンドロメダステークスで1勝を積み上げたが、スプリンターズステークスでは13着と大敗を喫していた。

6歳を迎え、バーデンバーデンカップと函館スプリントステークスを相次いで惜敗した。身体能力が衰え始めてもおかしくない年齢。「G1では実力不足」なんて口さがない競馬ファンの声も評価も定まり、若い世代が台頭する中で、彼のキャリアは緩やかにピークアウトしていくかに思えた。

……なんてことは、観ているファンの思い込みに過ぎなかった。エネルギッシュなカルストンライトオはここから再び上昇を果たした。

夏、カルストンライトオはアイビスサマーダッシュで2年ぶりの重賞制覇を果たす。53秒7を記録した前々年には僅かに及ばなかったが、53秒9は変わらず驚異的な勝ち時計。スピードに一片の衰えが無いことを改めて証明し、前年のリベンジを果たさんと再びG1スプリンターズステークスへの駒を進める。

立ちはだかるのは現役屈指のスプリンター達。中でもデュランダルは、前年の同レースで女王として君臨してきたビリーヴを下し、その名の通りの返す刀で群雄割拠のマイル路線を一刀両断。二つの頂きを制していた。同年の高松宮記念はサニングデールに不覚を取ったものの、最後方から繰り出される至極の末脚はまさに聖剣の切れ味。他馬とは一線を画す異色の爆発力にファンは魅了されていた。

そんなデュランダルを相手にカルストンライトオは問答無用、小細工無しのスピード勝負を挑む。逃げを貫くカルストンライトオと最後方から全てを呑み込むデュランダル。全く異なる2つの個性が中山で激突した。

雨で渋った不良馬場、秋風が吹く中山芝1200m。ゲートを飛び出すと、カルストンライトオは迷いなく、大きな馬体を揺らしてハナを奪う。3歳にしてオープン3勝のナムラビッグタイム、夏のスプリント重賞で結果を残してきたシーイズトウショウ、ゴールデンキャストを置き去りにして、一心不乱にどんどん逃げる。

ゲートをゆっくり出たデュランダルは定位置の最後方。ゲートから僅か数十メートルで両馬の距離は5馬身、10馬身、15馬身…と、大きく大きく離れていく。

重い馬場、これじゃ止まってしまう…そんなファンの声は、どんどん加速するカルストンライトオには届かない。

4角でゴールデンキャストやシーイズトウショウが背後に迫る。デュランダルが大外から進出を開始しする。残り400m、待つのは中山の急坂。大西騎手は他馬に先んじてカルストンライトオにゴーサインを送る。

直線入り口。先に脚が上がったのは後続勢だった、カルストンライトオを深追いしたナムラビッグタイムが、ゴールデンキャストが、シーイズトウショウが次々と力を失い脱落し、後続とのリードが拡がる。変わって後方に控えていた香港のケープオブグッドホープや重賞馬ウインラディウスが脚を伸ばす。

大外に持ち出したデュランダルはいつもの切れ味で馬群をまとめて飲み込む。だがその遥か前方を駆ける漆黒の弾丸は止まらない。池添騎手の目に、遥か前方に駆けるカルストンライトオはどのように映っただろうか。

カルストンライトオは不良馬場をものともせず圧逃してみせた。デュランダルに先んじること4馬身。エネルギーを燃やし尽くし、漆黒の弾丸となったカルストンライトオは頂点を極めた。

黄色いメンコから覗く大きな流星。誰よりも速いことを証明したその表情は誇らしげに見えた。


カルストンライトオは7歳となった翌年も現役を続け、新たな勲章を手にすることはできなかったけれど、一線級で上位争いを続けた。

4度目の挑戦となったアイビスサマーダッシュは59キロを背負い、最も不利な1枠1番を引き当てたが、それでもファンは1.8倍の1番人気に支持した。走破タイムは54秒5。勝てはしなかったけれど、酷量と最内枠の不利を跳ねのけて、彼はやっぱり速かった。

連覇を狙ったラストラン・スプリンターズステークスでも外連味なく逃げ、残り200mまで先頭を守った。世界最強スプリンターだった香港のサイレントウィットネスに真っ向勝負を挑み、デュランダルとの死闘を演出したその姿は最高に眩しかった。


種牡馬となったカルストンライトオも僅か18頭の産駒を残すに留まったが、その中からJRAで5勝を挙げて7000万円を超える賞金を稼いだメイショウテンセイをはじめ6頭の勝ち馬を輩出した。

もし、もう少しチャンスが与えられたならば……というIfは詮無いことかもしれない。だが、決して恵まれたとは言えない種牡馬としてのキャリアにおいても、僅かなチャンスから活躍馬を輩出したカルストンライトオの速力は本物だった。

彼の血を引く数少ない繁殖牝馬・ヒメカイドウは南関東で活躍する駿馬を輩出している。初仔キラカイドウはジャパンダートダービーに駒を進め、3番仔トワシュトラールは雲取賞でヒーローコールとマンダリンヒーローの後に次ぐ3着と善戦した。

彼はゴドルフィンアラビアンの末裔。マンノウォー系のウォーニングの直仔にあたるが、主としては米国でティズナウからのサイアーラインが僅かに残るのみで、父系としての存続は苦しい状況である。

彼の血が躍動すること、例え母系であってもゴドルフィンアラビアンの血を残すこと。たった一つの筋が繋がる可能性はまだ諦めたくはない。


あれから20年が経過した。カルストンライトオが刻んだレコードタイムは未だ破られていない。私たちはまだカルストンライトオより速い馬を見ていない。

サラブレッドの進化により、彼のレコードタイムもいつか破られる日が来るだろう。

願わくば、その日はまだしばらくは来ないで欲しいと思ってしまう。古びた競馬ファンのエゴかもしれないけれど。この記録はカルストンライトオが持っていてほしい。そんな思いが去来する。

それと同時に、破られる日が来ることを心待ちにもしてしまう。

カルストンライトオを打ち破るスピード馬は、きっと世界に名を残すスピードスターになるはずだから。きっと私たちに大きな夢を見せてくれるはずだから。

「君は、日本中の誰より速かった。どんなに時代が移ろうとも、きっと君のことは忘れない。」

そんなメッセージを、私はカルストンライトオにいつまでも、何度でも送りたい。

写真:かず

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