シュヴァルグラン~偉大な馬に導かれて~

「一番好きな競走馬は?」と問われると、私はとても答えに迷う。私の人生を彩ってくれた競走馬は、一頭だけではない。大切な存在である競走馬たちに順番をつけることに、なんとなく違和感を覚えてしまう。
けれど、もし「一番感謝をしている競走馬は?」と問われたら、私は迷わず彼の名を口にする。

シュヴァルグラン。
彼は偉大なる名馬にして、私のヒーローである。

元々私は、競馬の世界とは縁の遠い生き方をしていたと思う。
動物を見ることや世話をすることは好きだが、ギャンブルにはあまり良い印象を持っておらず、競馬のことも「馬という動物を使ったギャンブルの一環だ」と決めつけていた。──彼に出会うまでは。


2015年12月13日、阪神競馬場で「オリオンステークス」が行われた。
私はこの日、生まれて初めて競馬中継を目にした。もちろん自ら進んで見たわけではなく、一緒にいた人が見ていたからたまたま見ただけ。動物が好きなのだから当然馬も好きで、競馬を見るというより、馬が可愛いからなんとなく見ている感覚だった。
なにも考えずぼーっとしながら見ていた中継で、私は一頭の馬に目を奪われた。理由は言葉では上手く説明できない。逞しい馬体が格好良い、整った顔が可愛らしい、栗色の毛並みが美しい。色んな感情が、当時の私の中にはあった。

今思えば、あれは紛れもない一目惚れである。

慌ててゼッケンの文字を見ると、「シュヴァルグラン」という名が黒色のゼッケンに刻まれていた。馬名の意味はすぐにはわからなかったが、洒落た響きの良い名前だな。そんな風に思ったことを覚えている。
競馬の世界と無縁だった私が、競走馬である彼と初めて繋がった瞬間だった。

「オリオンステークス」で、シュヴァルグランは1番人気に支持されていた。1.3倍という圧倒的な人気を集めていた彼は、後方待機で追走しながら、直線では外から伸びて先頭へ抜け出した。ゴール前では、鞍上が後ろを振り向く余裕があったほどである。2着馬に3馬身差をつけての圧勝だった。

鞍上のC・ルメール騎手はゴール前、後ろを確認する余裕を見せた

競馬の知識がまるでなかった当時の私には、相手馬の情報も、シュヴァルグランのこれまでの情報も、なにもなかった。3馬身差で勝利することが如何にすごいことなのかも。わかったことはただ一つ、「彼はヒーローのように強くて格好良い馬だ」ということだけだった。

その日の夜、彼の名の由来を調べた。フランス語の「cheval(馬)」と「grand(偉大な)」を組み合わせて「シュヴァルグラン(Cheval Grand)」。つまり、「偉大な馬」。
「だからあんなに強かったんだ!」と妙に納得をしてしまうほど、自分でも気がつかないうちに彼に魅了され始めていた。


1ヶ月後、シュヴァルグランは「第63回日経新春杯」に出走した。このレースもまた、私にとって記憶に残るレースである。
前走での圧勝劇を見た私は、心のどこかで「シュヴァルが負けるはずがない」なんてことを思っていた。しかし、結果は2着。外を回ってスパートをかけたレーヴミストラルがあっさりと内の馬たちを交わし、後続に2馬身の差をつけて優勝したのだ。
「オリオンステークス」を3馬身差で勝ったシュヴァルグランが、わずか1ヶ月後に2馬身差で負けてしまった。その事実は、彼をヒーローのように慕っていた私にとって、あまりに悲しい結果だった。だが、悔しさに苛まれながらも、彼への気持ちはまったく変わらなかった。出会ったその日に、私の心は彼に奪われていたのだから。

その後もひたすら応援を続けた。当時は競馬場を訪れることができず、中継をリアルタイムで見ることが叶わない日も多々ある環境だったが、シュヴァルグランが出走する時だけは、なんとか中継を見ようと努力した。「競馬なんて好きだったっけ?」と周りに問われるようになるほど、夢中になっていった。

シュヴァルグランは瞬く間に成長していく。「第64回阪神大賞典」を2馬身差で制し重賞初制覇を飾ると、勢いそのまま「第153回天皇賞(春)」でGIに初挑戦。結果は3着だったが、初めてのGI挑戦とは思えない力強い走りを見せた。彼はGIでも活躍できると確信した瞬間だった。

第64回「阪神大賞典」で重賞初制覇を果たす

躍進は、止まらない。

秋には「第54回アルゼンチン共和国杯」で勝利し重賞2勝目を果たすと、勢いそのまま「第36回ジャパンカップ」、「第61回有馬記念」とGIへの出走が続いた。どちらも結果は伴わなかったが、紫紺のゼッケンを身に付ける彼の姿に心が躍った。

「やっぱり彼はヒーローみたいだ」

日に日に、その思いは大きくなっていく。きっと近いうちにGIを勝てるに違いない。競馬の世界に触れて間もない当時の私は、そう信じてやまなかった。大きなレースを勝つことがどれほど大変であるか、本当の意味では理解できていなかったのだと思う。

次こそは、次こそは。そんな思いを抱きながら応援し続け、気が付けば1年が経っていた。強い相手に負けじと奮闘するものの、なかなか勝利が掴めない。GI優勝に、手が届かない。ヒーローのように強いはずの彼が、どうして。
そして私は漸く「一つのレースを勝つことの難しさ」を思い知った。レースの大きさは関係ない。どんな馬も、一つのレースを勝つために途方もなく大変な道のりを歩んでいるのだ。それは、これまでのレースでシュヴァルグランが敵わなかった相手にも言えることだった。
彼をヒーローのように慕うあまり、そんな簡単なことすら見えておらず、心のどこかで勝利を当然のものだと勘違いしていた。
こんな考えではいけない。そう思い、シュヴァルグランが出走しないレースにも自然と目を向けるようになっていった。


2017年11月26日。シュヴァルグランは「第37回ジャパンカップ」に出走する。
ライバルは強敵ばかりだった。この時点で既にGIを6勝をあげ前年の「ジャパンカップ」も制していたキタサンブラックを始め、国内・海外合わせてGI2勝をしていたサトノクラウン、ダービー馬レイデオロ、オークス馬のソウルスターリングなど、実績馬揃い。1番人気は連覇を狙うキタサンブラック。シュヴァルグランは強豪に囲まれながら5番人気に支持された。

ゲートが開き、ゆったりとした先行争いのなかキタサンブラックがハナを切る。シュヴァルグランは5番手で追走し、道中徐々に位置を上げながら直線を迎えた。依然先頭のまま後続を引き離しにかかるキタサンブラックを懸命に追うシュヴァルグラン。その勢いは、今までのGIで見せた脚とはなにか違った。
無意識に彼と出会った日の「オリオンステークス」で勝利した姿が、脳裏に浮かぶ。気がついた時には、中継を見ていた休憩室でテレビに向かって叫んでいた。私のヒーローである彼の名を、必死に呼び続けた。
「いけ、シュヴァル! いけ!!!」

周りに同僚もいたが、そんなことはお構いなしだった。

残り100M、シュヴァルグランが遂にキタサンブラックをとらえた。だが、彼の勢いは衰えない。後ろからレイデオロも凄まじい末脚で追い上げていたが──その猛追をも退けて、シュヴァルグランは先頭でゴールした。7度目の挑戦で、強豪揃いのGIレースを優勝したのだ。

H・ボウマン騎手を背に悲願のGI初制覇

1年ぶりに見た彼の勝利。それも、競馬のレースにおいて最も大きな"GI"のレースで掴んだ勝利。「応援している競走馬がGIレースを勝つ」という幸せな瞬間を、彼は与えてくれたのだった。


「ジャパンカップ」を優勝したあとも、シュヴァルグランはGIに挑戦し続けた。その姿を応援しながら、私の中にある感情が芽生え始める。「中継じゃなく、自分の目でシュヴァルを見たい。シュヴァルに会いたい。」という思いだった。
当時は仕事柄、競馬場に行くスケジュールを立てることは安易ではなかったが、それでも諦めきれなかった。なんとか休みをもぎ取って、「第62回大阪杯」の観戦が決まった。出会いから2年半、漸く私のヒーローに会える。その事実に、胸が高鳴って仕方なかった。

パドックに彼が登場した時の感動は、今でも忘れられない。あのシュヴァルグランが目の前にいて、美しい栗毛を見せつけるように歩いている。夢のような光景を前に、何も考えられずにいた。「貴方のおかげで競馬を好きになれたよ」。届くはずもない小さな声で、無意識にそう呟いた。
レースでは4番人気に支持されながらも、見せ場なく13着。完敗だった。
勝つ姿は見られなかったが、精一杯走る彼の姿に心が震えた。結果は残念でも、中継を見ている時とは圧倒的に違う感動だった。また彼をこの目で見ながら応援したい。必ずまた競馬場を訪れると人知れず誓った。その誓いを果たすのは、約1年半後となる。

「第62回大阪杯」パドックにて、初めて目にしたシュヴァルグランの姿

2018年下半期、年内で引退予定と明言されていたシュヴァルグランだったが、一転して翌年も現役続行の意向が発表される。「大阪杯」以降、一度も会いに行けずに後悔していた私は、その一報に喜んだ。次こそ必ず競馬場へ訪れて、彼の姿を目に焼き付けたい。彼との別れが近付いているからこそ、必ず競馬場へ足を運ぶと決めた。

そして翌年。半年間の海外挑戦を経て、シュヴァルグランは日本のレースに帰ってきた。出走するのは「第39回ジャパンカップ」。2年前に優勝した舞台だからこそ、彼が日本のレースに戻ってくるのに最も相応しいレースだと思った。
「大阪杯」の時と同じく、私はパドックで彼の登場を心待ちにしていた。自分の目で見たのは1年半ほど前。あれからどんな成長を遂げているのだろうと、心が躍る。
発走時刻が近づき、パドックに現れたシュヴァルグラン。その姿を一目見て、何故だか涙が止まらなくなった。また会うことができた感動か、より一層逞しくなった姿への喜びか、あと少しで彼が引退してしまう事実への寂しさか──。きっと、その全部が当てはまって流れた涙だと思う。

レースの結果は9着だった。レース後、前日の雨の影響で荒れた馬場を走ったため、泥だらけになった姿に胸が締め付けられる。勝ち馬がクローズアップされるテレビ中継では、見ることができなかったかもしれない姿。力を出し切った姿が、愛おしくて堪らなかった。泥だらけで引き上げていく姿を遠目に見ながら、また涙が止まらなくなるのだった。

「第39回ジャパンカップ」 レース後は人馬ともに泥だらけだった

1ヶ月後。「第64回有馬記念」。シュヴァルグランのラストランの日がやってきた。早く彼の姿を見たい気持ちと、ゴールの瞬間を迎えたくない気持ちで葛藤するなか、容赦なく発走時刻は迫った。

強敵揃いのメンバーのなかでももちろん彼の勝利を信じていたが、勝利することよりも強く願っていたことが私にはあった。「何着でもいい、どうか無事に走り終えて」という思いだった。
「レースを怪我なく無事に走り終える難しさ」は、彼に出会い、応援してきた時間のなかで教えてもらったことのひとつ。ゲートに入る姿を祈るように見守りながら、その瞬間を迎える。

「第64回有馬記念」ラストランを迎えたシュヴァルグラン

──結果は6着。

掲示板には、僅かに届かなかった。
だが私は、最後まで彼が懸命に追い上げようとしていた姿を見逃さなかった。だから、ゴールの瞬間まで泣きながら叫び続けた。2年前の「ジャパンカップ」の時と同じように、「いけ、シュヴァル! いけ!!!」と。勢いを見るに、おそらく前の馬に届かないであろうことはわかっていたが、それでも彼の名を呼び続けた。

彼と出会い、応援していくなかで増えたたくさんの思い出が頭の中で蘇る。嬉しかったこと、悔しかったこと、幸せだったこと、辛かったこと──全部が宝物だった。たくさんの宝物を与えてくれた彼に何も返せていないし、返せるものなど何もないとわかっていた。だからせめて、ゴールの瞬間まで彼を本気で応援をしたかった。それが、私にできる一番の恩返しだったから。

レースが終わり、出走馬たちが疲れた様子で引き上げてくるなかに彼の姿もあった。ああ、これが本当に最後だ。「競走馬としての彼」には、二度と会うことはできない。私の愛したヒーローの物語が、終わってしまう。そう思った時、伝えずにはいられなかった。

「ありがとう、シュヴァル」

──涙で枯れた声で叫んだ。

私の声が届くような距離ではなかったが、一瞬だけ彼がこちらに顔を向けてくれた気がした。もしかすると、私がこれまで抱いてきたたくさんの思いが、ほんの少しだけ彼に届いたのかもしれない。都合のいいように解釈をしながら、最後まで彼の姿を目に焼き付けた。彼の姿が見えなくなった後も、涙はしばらく止まってくれなかった。

かつて、心のどこかで彼の勝利を当たり前のものと思い込んでいた自分が噓のようだった。
結果は伴わなかったけれど──悔いのない、最高のラストランだった。今でもそう思っている。


引退後、シュヴァルグランは種牡馬入りを果たした。引退後しばらくは寂しい気持ちでいっぱいだったが、今は第二のステージで頑張ってくれていることを嬉しく思っているし、コロナ禍が落ち着き、いつかまた再会の時が訪れることも密かに夢見ている。
種牡馬として初年度は129頭と交配。受胎率の高さも評価されているようだ。初年度の子供たちは、順調にいけば2023年にデビューを迎える。子供たちにも、彼の競走馬としての高い能力と頑丈さが受け継がれて欲しいと切に願う。

シュヴァルグランは、競馬とは無縁の生活を送っていた私に魅力を伝え、ここまで導いてくれた。彼がこの世界を教えてくれたからこそ出会えた、大切な馬たちもいる。きっと、彼に一目惚れをして競馬にのめり込むことは運命だったに違いない。

偉大なる名馬・シュヴァルグラン。私にとって最高のヒーローである彼が教えてくれた競馬の世界を、私はこれからもきっと愛していくだろう。
種牡馬になった彼に会える日が来たら、私は彼に伝えるつもりだ。「これからもずっと、貴方は私のヒーローだよ」と。

写真:しんや、人間、AG_in_PHY、はむたろ、だしまき

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