成長と進化を手にし、世界の大舞台へ

その後、中2週で北九州記念(当時は1800mで施行)に出走することとなったエイシンプレストンは、ロサードに次ぐ2番人気でスタートの時を迎えた。

ゲートが開くと、逃げ馬不在でゆっくりとした流れ。しかし、折り合いを欠くことなく3番手を追走し、経済コースをピッタリ回って迎えた直線。

外に持ち出そうとしたところで、偶然にも、同じ平井豊光オーナーが所有するエイシンビンセンスと進路が重なってしまう。前が詰まりそうになり一瞬ヒヤッとしたものの、福永騎手は、内ラチ沿いに開いたわずか1頭分のスペースを見逃さなかった。

そこからは末脚一閃。あっという間に後続を置き去りにすると、ロサードの追撃も難なく振り切り先頭でゴールイン。久々の連勝で、久々の重賞制覇。さらにこれが、マイル以外の距離で初めての勝利となった。

続く関屋記念は、さほど得意ではない瞬発力勝負になってしまい、上がり3ハロン32秒6の末脚を駆使したものの、マグナーテンを捉えきれず3着。

しかし、そこから2ヶ月後の毎日王冠は、一転して1000m通過58秒3の厳しい流れとなったが、そのハイペースを難なく先団5番手で追走。直線では、抜け出すのにやや手間取ったものの、今度はゴール前でマグナーテンを差し切り優勝。前走の雪辱を果たすことに成功した。

これで、米子ステークスからは4戦3勝3着1回。充実期を迎えていたエイシンプレストンを表現には、「復活」よりも「進化」のという言葉が正しいだろう。そこから2年ぶりのGⅠ制覇を目指し、満を持して出走したのがマイルチャンピオンシップだった。

デビュー戦で敗れたダイタクリーヴァに次ぐ2番人気。ただ、自身の他に芝のGⅠ勝ち馬は2頭のみで、うち1頭は、春秋スプリントGⅠを制したトロットスター。マイル戦を得意とするエイシンプレストンにとっては、是が非でも勝ちたい一戦だった。

ゲートが開くと、そのトロットスターが好スタート。しかし、それを制して先手を奪ったのは、大方の予想どおりクリスザブレイヴだった。ゼンノエルシドが2番手に続き、エイシンプレストンはちょうど中団。GⅠにしては、平均より遅いペースで推移したものの、先頭からはおよそ5馬身とまずまずの位置。あとは、直線で弾けるだけだった。

……ところが、スローペースで馬群がやや固まったことにより、勝負所の4コーナーで少し前が詰まったエイシンプレストンは、他馬より仕掛けのタイミングが一瞬遅れてしまう。

直線に入り、ゼンノエルシドが内から早目に抜け出し、段々とリードを広げはじめた。エイシンプレストンも、馬場の外目から必死に追いかけたものの、ここは直線平坦の京都競馬場。先行馬の末脚は、なかなか衰えない。

そして、最後の最後の残り50mで、ようやく2番手争いから抜け出したものの、時すでに遅し。勝ったゼンノエルシドに、わずか4分の3馬身及ばず2着に敗れてしまったのだ。

春まで続いた長く暗いトンネルに比べれば十分すぎる結果。とはいえ、勝ち馬との差はほんのわずか。非常に大きな悔しさが残る敗戦でもあった。

年末に阪神カップが創設されていなかった当時。1600mを中心に活躍する馬達は、ここでシーズンを終え、休養に入ることが一般的だった。しかし、エイシンプレストンは初めて海を渡る。香港のシャティン競馬場で行なわれる、香港マイルに出走するためだった。

ライバルは、前走わずかの差で苦杯をなめさせられたゼンノエルシド。しかし、そのライバルが1番人気に推されたのに対し、わずか0秒1しか負けていないエイシンプレストンは、なんと6番人気の評価。かつての2歳王者も、これには黙っていられなかった。

ゲートが開くと、指定席の2番手につけるゼンノエルシドと、前から5馬身差の中団外を追走するエイシンプレストン。ただ、逃げるチャーミングシティーが刻む前半800m47秒9のペースは、当時のシャティンとしては早めの流れ。図らずも、2年前の朝日杯3歳ステークスを思い出すような、スタミナと底力が求められる展開になっていた。

迎えた直線勝負。2番手から抜け出しを図るゼンノエルシドとは対照的に、コーナーで大外を回り、一時は後ろから4番手までポジションを下げてしまったエイシンプレストン。

マイルチャンピオンシップと同じ攻防が繰り広げられるのでは、と日本の多くの競馬ファンは想像したが、道中の厳しい流れがたたったか、ゼンノエルシドは早くも失速。逆に、チャーミングシティーのリードが少し広がった。とはいえ、まだゴールまでは300m弱。しかし、内を通る3頭も逃げ馬を交わすのに手こずっている。このまま逃げ切られてしまうのか──。

その時だった。

大外から、次元の違う脚で抜け出してきたのは、赤、黒縦縞、黒袖の勝負服と同じ柄の帽子。それは、紛れもなくエイシンプレストンだった。

残り200の標識を過ぎたところで一気に突き抜けると、勢いはさらに増し、2番手との差があっという間に広がる。まるで、これまでの鬱憤を燃料にして爆発させたような、ものすごい末脚。不振の時も、懸命に立て直しを図った陣営や関係者の思いを乗せ、香港の直線を疾風のごとく駆け抜ける。

最終的には、2着のエレクトリックユニコーンに3馬身超の差をつけ、福永騎手がガッツポーズを見せながら、悠々先頭でゴールイン。悲願だった2つ目のGⅠタイトルを、ついに自らの力で手繰り寄せたのだ。

しかし、年始に金杯で14着と大敗を喫した馬が、これほどの内容で、同じ年の海外GⅠを勝つことを誰が予想できただろうか。エイシンプレストンに流れるヨーロッパ仕込みの底力と成長力は、紛れもなく本物だった。

後に、国際クラシフィケーションは、この勝利にレーティング123ポンドの評価を与えた。同じマイル部門でいえば、1997年にジャックルマロワ賞を勝利したタイキシャトルの122ポンドを超える評価である。

さらに、この日の香港国際競走は、他の日本調教馬も大活躍。

香港ヴァーズで感動的な追込みを見せ、通算50戦目のラストランで、ついにGⅠを制したステイゴールド。香港マイルのエイシンプレストンを挟み、盤石のレース運びで、天皇賞秋からの連勝を飾った香港カップのアグネスデジタルと、3頭も表彰台に上ったのだ。それはまさに、新世紀が始まる1年を締めくくるに相応しい快挙だった。

安住の地で味わった明と暗

5歳となったエイシンプレストンは、2ヶ月の休養を挟み中山記念に出走。前走から13kg増え、なおかつ別定戦で60kgの酷量。さすがの国際GⅠ馬でも、この条件は厳しかったか、勝ったトウカイポイントから0秒5差の5着に敗れてしまう。

それでもその内容に悲観することなく叩き台にして挑んだのは、またしても香港のGⅠ。4月に行なわれる、クイーンエリザベス2世カップだった。

ライバルは、年末、ともに日の丸を掲げたアグネスデジタル。前年秋の南部杯から2走前のフェブラリーSまで、国内外、そして芝ダート問わずGⅠ4連勝を達成した、史上最強レベルの"二刀流"ホースである。

ゲートが開くと、真ん中からアイドルが積極的に逃げ、アグネスデジタルとオカワンゴが、それを追いかけるように先行。さらに、ヘレンバイタリティーが2番手に上がってきたところで、レースは向正面へと入った。

一方、エイシンプレストンは、定位置の中団よりやや後ろの8番手外。それでも、先頭からは5馬身で、アグネスデジタルからも3馬身差。十分に、前を射程圏に入れた位置での追走だった。

勝負所の4コーナー手前。香港マイルの時と同じく、一瞬置いていかれそうになりながらも、福永騎手は焦ることなくエイシンプレストンを馬群の大外に誘導。手応え十分のまま、最後の直線勝負を迎えた。

直線に向くと、1番人気のグランデラが抜け出しを図り、それを内から交わそうと迫るのがアグネスデジタル。しかし、またも残り200m標識の手前で一気に加速したエイシンプレストンが、あっという間に外から2頭に並びかける。そして、最後の100mでグランデラが脱落すると、そこからは日本馬2頭のマッチレースとなった。

抜くのか、抜かせないのか。

香港マイルの覇者か、香港カップの覇者か

その叩き合いで最後の最後にものをいったのは、やはり「底力」。ゴール寸前、体半分だけ出て栄光のゴールを先頭で駆け抜けたのは、香港マイルの覇者エイシンプレストン。

およそ2800キロ離れた地で繰り広げられた、日本調教馬同士の死闘にして名勝負だった。

香港のGⅠを連勝したことからも、この時のエイシンプレストンの適性は、もはや香港の馬場にあることは明白だった。

帰国後、1番人気で迎えた安田記念を5着に敗れると、秋初戦の毎日王冠は2着。続く、天皇賞秋は8着。そして、マイルチャンピオンシップは、大いに見せ場を作ったものの、トウカイポイントとの競り合いに、わずかに遅れ2着惜敗。国内では一転して、以前のようなもどかしいレースが続いてしまったのだ。

さらに2年連続となった香港遠征で、今度は香港カップに挑戦。ところが、後に福永騎手が「舐めていたところがあって、気軽な感じで乗ってしまった」と振り返ったとおり、超スローの中、現地馬のマークにも遭い、結果5着に敗れてしまう。

安住と思われた地でまさかの黒星を喫し、歓喜の春から一転、下半期は消化不良のままシーズンを終えることになってしまったのだ。

負けられない戦いの末に

エイシンプレストンは、6歳シーズンも現役を続行した。

春の大目標は、クイーンエリザベス2世カップの連覇。ただ、重い斤量を背負わされる別定GⅡは前哨戦として使えず、代わりに選ばれたのがフェブラリーSだった。しかし、勝ったゴールドアリュールから6秒2も離された16着と、しんがり負けを喫してしまう。

それでも、予定どおり香港に向かう準備がなされたが、この年、現地は新型肺炎SARSのパンデミック下。渡航自粛勧告が発出され、ウイルスという見えない敵に扉を閉ざされそうになっていた。

それでも、陣営はなんとか遠征を実現させたが、今や、エイシンプレストンにとってホームタウンとなった香港での連敗は許されない。まさに、負けられない戦いでもあった。

デビュー以来、すべてのレースで手綱をとってきた福永騎手も、年末の敗戦を繰り返すまいと対策を練った。現地に連絡して、出走馬の資料をすべて取得。綿密な作戦を立て、シミュレーションを何度も行なう徹底ぶりだった。

過去の実績から1番人気に推されたエイシンプレストンは、1番枠を引いた。コーナーまでの距離が短い分、得にもなるが、包まれると身動きがとれなくなってしまう。まさに、諸刃の剣ともいうべき枠である。

それでも、肝心のスタートを最高の形で切ると、閉じ込められないように内ラチ沿いを少し開け1コーナーへと進入。その後はいつもより前目、先頭から3馬身差の4番手でレースを進めた。

道中はゆったりとした流れで、レースが動いたのは、勝負所の3~4コーナー中間から。有力馬の一頭、エレガントファッションが先に上がっていくのを見た福永騎手は、同じ進路を通り、外に出すことに成功。いつでも前を捉えられる位置で、最後の直線へと入った。

直線に向くと、先に抜け出したパオリニとの差がなかなか詰まらなかったが、残り200の標識でエンジンに火がつくと、そこからは他馬とまるで違う末脚を発揮。大きなストライドで馬場の中央を真っ直ぐ伸び先頭に立つと、最後は2着に1馬身4分の3差をつける着差以上の完勝だった。

福永騎手が「イメージしたとおりの完璧なレース」と振り返る、会心の勝利。4度目のGⅠ制覇で、香港では実に3度目の勝利。同レースの連覇はこれが初めてで、2021年現在でも唯一の偉業である。

その後、秋に毎日王冠と天皇賞秋を3、4着と好走したエイシンプレストンは、ラストランとなった香港カップで、ファルブラヴの7着に敗れ引退。種牡馬入りを果たした。

種牡馬としては、中央で4勝を挙げたケンブリッジエル以外、目立った産駒を残せず2019年に引退。それでも、2021年の黒潮皐月賞と高知優駿の二冠を達成したハルノインパクトの母の父はエイシンプレストンである。

一方、通算32戦10勝という戦績を残したエイシンプレストンの手綱をすべてとったのが福永祐一騎手。この32戦で得た経験は、当時、若手のホープだった福永騎手にとって、あまりにも大きなものだっただろう。

そんな福永騎手は、2021年にシャフリヤールで日本ダービーを優勝した。4年間でダービーを3勝というのは、とてつもなく大きな偉業といえる。

そのシャフリヤールを管理するのは藤原英昭調教師。そして、エイシンプレストンの香港遠征にすべて立ち会い、福永騎手とともに調教に跨がったのは、弟の藤原和男調教助手だった。北橋厩舎の定年による解散に伴い、現在、藤原助手は藤原英昭厩舎へと移っている。

エイシンプレストンを中心とした血のドラマ、そして人の縁は、今も確実に繋がっているのである。

写真:かず

あなたにおすすめの記事