「あすは檜になろう、あすは檜になろうと一生懸命考えている木よ。でも、永久に檜にはなれないんだって!それであすなろうと言うのよ」
──井上 靖. あすなろ物語(新潮文庫) (p.38). 新潮社から引用
2018年2月。雨の小倉競馬場。2歳500万下(現在の1勝クラス)特別戦、あすなろ賞。
偶然か必然か、レース名に冠せられた木の名前と、昭和の文豪・井上靖が物語のモチーフとしたその由来が示すとおり、記録を遡れる1986年から30余年にわたり、勝ち馬はおろかそれまで出走した332頭からただの1頭も「檜舞台」GⅠを制した馬を輩出したことがなかった、あすなろ賞。
「『裏開催』の小倉から、檜になれるならなってみろ、檜舞台を勝てるものなら勝ってみろ」。レース名にはそんな思いも込められたのであろうか、と邪推したくなるほどのデータである。あまりにも名実一体にして冷徹なレース名ではないだろうか。
この年のあすなろ賞、稍重の馬場を軽やかに、レース史上最高の着差で逃げ切ってみせたのは、オルフェーヴルの仔、エポカドーロだった。
そして彼は、檜となった。
エポカドーロは2015年2月15日生まれ。
父はこの世代が初年度産駒となる三冠馬オルフェーヴル。母は4戦目、福島での初勝利から一気の4連勝で2006年フィリーズレビューを制したダイワパッション。
そんな彼は、同年7月のセレクトセール当歳、3,672万円で落札され、ヒダカ・ブリーダーズ・ユニオンの一員となった。
父系には祖父ステイゴールド、その母はゴールデンサッシュ。一方、母系にはGold Digger(金採掘者)からMr.Prospector(探鉱者)、そしてForty Niner(アメリカがゴールドラッシュに沸いた翌年の1849年にカリフォルニアへ移住した人々)が並ぶ。
父母双方の血筋に「金」が由来の馬名が並んでいることにちなんでか、「Epoca d'Oro」(イタリア語で「黄金の時代」)と命名された。
──2017年、種牡馬オルフェーヴルのスタートは、お世辞にも順風満帆とは言えなかった。
牝馬こそロックディスタウンがいきなり札幌2歳ステークスを制し、さらにラッキーライラックがアルテミスステークス、そして阪神ジュベナイルフィリーズと無傷で駆け抜け、デビュー年にしてGⅠ馬の父となったオルフェーヴルだが、牡馬の成績は非常に厳しいものだった。
サトノテラス、ダノンフォワード、アプルーヴァル……。デビュー戦で1番人気に推された期待の牡馬はことごとく一敗地に塗れ(3頭とものちに複数の勝ち星を挙げる活躍を見せたが)、初年度の牡馬の勝鞍はわずかに4つ。さらに1番人気を背負った牡馬は11戦0勝2着4回。言葉を選ばずに言えば「落胆することの多い」「見栄えが悪い」成績だった。
同じ年に種牡馬デビューしたロードカナロア産駒の牡馬セン馬が初年度19勝、1番人気で24戦10勝2着8回。新馬戦開幕週にいきなり勝ったステルヴィオが朝日杯2着に入った、その大活躍ぶりとのコントラストも相まって、口さがない向きからは早くも、種牡馬オルフェーヴルの先行きを不安視する声が聞こえてきた。
ステイゴールドで競馬を知り、その血をただひたすらに応援し続けていた私ではあったが、いくら祖父ステイゴールドの大団円に至る苦節50戦を見つめてきたと言っても、さらにオルフェーヴル自身が2歳時には二ケタ着順に沈む苦闘の日々を送っていたことを見知っていても、やはり種牡馬オルフェーヴルの1年目の成績は、不安だった。
その不安をほんの少し和らげてくれたのが、小倉のあすなろ賞、エポカドーロの快勝だった。2歳10月の新馬戦で3着に敗れたのち、明けて3歳1月の京都マイル戦を逃げ切って初勝利を挙げた彼の2度目の勝鬨は、同日京都でのストーミーバローズに続く牡馬1番人気として2頭目の1着、そして待ちに待った、牡馬として初の2勝馬の誕生であった。
2か月後、4月15日。エポカドーロの姿は曇り空の下、中山競馬場にあった。あすなろ賞の後、皐月賞トライアルのスプリングステークスに出走したエポカドーロ。先行策から最後の1完歩でステルヴィオに交わされるも2着で皐月賞への切符を確保し、檜舞台に歩を進めてきた。
エポカドーロの姿に夢を託しつつも、見つめる私の心は中山の空と同じく、曇天であった。
1週間前、明け3歳初戦チューリップ賞も何の危なげもなく快勝したオルフェーヴル産駒の出世頭ラッキーライラックが、単勝1.8倍の大本命に推された桜花賞で、完璧な抜け出しを見せたにもかかわらず、大外から来たロードカナロアの仔アーモンドアイに、事も無げにぶち抜かれてしまったのだ。私は、頭を抱えていた。
4連勝のラッキーライラックでも勝てなかったクラシック。
私は「エポカドーロはハナ差とは言えトライアル2着からだから、相手が強いだろうなぁ…。今週もロードカナロア産駒にやられるかな…ステルヴィオいるしな…」と、期待半分、不安半分の状態で、私はテレビ画面を見つめていた。
一縷の望みは混戦模様のメンバー構成だった。朝日杯FSを制し、弥生賞も完勝したダノンプレミアムが挫石で回避し、ホープフルS勝ちのタイムフライヤーは若葉Sで一本かぶりの人気を裏切り5着。1番人気が弥生賞2着のワグネリアンで単勝3.5倍、そして差のない3.7倍の2番人気にスプリングSでエポカドーロをハナ差差し切ったステルヴィオだから、7番人気のエポカドーロにもチャンスはある……そう自分に言い聞かせる。
第78回皐月賞のゲートが、開いた。
内から若葉Sを逃げ切ったアイトーン、中から京成杯を先行押し切りで制したジェネラーレウーノ、そしてその間にエポカドーロがつける。一息遅れて外から勢いつけて上がってきたのはデビュー2連勝を逃げ切りで飾ったジュンヴァルロだ。4頭が並ぶように最初のゴール板を通過していく。ワグネリアンもステルヴィオも、3番人気の無敗キタノコマンドールも後方に控えた。
後方集団をひとしきり映したカメラが1コーナーを回る各馬に切り替わる。場内のどよめきが聞こえてくる。前に行った4頭のうち、エポカドーロを除く3頭が、張り合うようにして後ろを引き離していた。
1000m通過は59秒2。2秒と少し離れて、エポカドーロが残り13頭を引き連れる形となった。およそ61秒半ば。
私は「これは…絶好の位置では?」身を乗り出した。
逃げ切ったあすなろ賞(前半60秒5)より緩いペース、勝ちに等しい2着のスプリングSと同じく、大逃げから離れた番手。鞍上戸崎圭太騎手とのコンビで培った「勝ちパターン」に、エポカドーロは自らの身をゆだねた。
3,4コーナー、前の3頭の鞍上が激しく動かす手綱とは裏腹に、後方との差が見る見る詰まっていく。後ろを率いるエポカドーロはその身を馬場の3分どころに持ち出し、馬場の荒れた部分の縁を縫うように、4コーナーから直線を向いた。
前の3頭から生き残ったジェネラーレウーノが先頭に立ち、ゴールを目指す。
後方からは内に潜ったワグネリアンが、外に持ち出したステルヴィオとキタノコマンドールが末脚を伸ばす。
しかし、前が止まって見えるほどに、後ろがかすんで見えるほどに、力強く、力強く、中山の急坂を真一文字に駆け上がってきたのは、ゼッケン7番、エポカドーロだった。道中すぐ後ろにつけていたサンリヴァルを2馬身離した2着に従えて、彼はゴール板を真っ先に通過した。
完勝だった。
──鮮やかだった。
2か月前に「あすなろ」だったエポカドーロが、檜舞台の主役となった。
父オルフェーヴルが、初年度産駒から、クラシックホースを、しかも親子制覇となる皐月賞馬を輩出した。こんなにも嬉しいことが、あるだろうか…!
曇天だった私の心は、一瞬にして晴れ渡った。
それから時が流れた。
皐月賞ののちエポカドーロの競走馬生活は、「たられば」であふれるものとなった。
ダービーで落鉄がなければ…。
神戸新聞杯、スタート直後、落馬寸前の躓きがなければ…。
大阪杯、鼻出血がなければ…。
腸ねん転による開腹手術がなければ…。
(特に最近言われるようになった)どこかでダート戦に出走していれば…。
皐月賞から2年後の夏、最後の出走となった大阪杯から1年4か月。皐月賞ののち勝鬨を挙げられぬまま、そして再びのゲート入りも叶わぬまま、2020年8月、エポカドーロは静かに現役を引退、種牡馬となった。
この間に父オルフェーヴルの産駒は、国内では芝3600mのGⅡを勝った翌週にダート1200mのGⅢを勝つほどの多様性を見せつけたかと思えば、海外でマルシュロレーヌがブリーダーズカップディスタフを勝ち、仕舞いにはウシュバテソーロがドバイワールドカップを勝つなど、その破天荒ぶりはとどまるところを知らない。
多忙を極める父の後継種牡馬として、そして多様性の極みともいえるオルフェーヴル産駒の中において、日本競馬のど真ん中ともいえる芝2000mをそのスピードで押し切った、ある意味「貴重」で「正統」な種牡馬として、「たられば」の続きを見せてくれるエポカドーロの仔が、そして再び檜舞台をにぎわせるエポカドーロ産駒が現れるのが、楽しみでならない。
「Epoca d'Oro(黄金の時代)」は、まだ始まったばかりなのである。
写真:かぼす