[連載・馬主は語る]待つこと、できるだけ長く。(シーズン2-1)

馬主になろうとしたら、生産の世界に足を踏み入れていた。「トンネルを抜けるとそこは雪国であった」みたいな始まりですが、僕にとってはまさにそんな感じです。馬主になろうと思って地方競馬の馬主登録証を取得したものの、望みの馬を手に入れることができず、預託先の厩舎も見つからず、だったら自分で馬をつくろうと考え、繁殖牝馬セールに足を運び、ダイナカール一族のダートムーアを購入しました。ところが、わずか1か月後に流産してしまいます。天国から地獄に突き落とされた僕は、馬産の厳しさを身をもって学んだと同時に、この世に誕生した全てのサラブレッドの素晴らしさを思い知ったのでした。

仔馬の誕生が1年先に延びてしまった以上、ひたすら待つしかありません。僕は待つことに関しては、人並み以上の忍耐力があると思っています。なぜかと言うと、僕は遅生まれということもあって、学生の時代は同級生よりも幼く、物心つくのも遅く、自分の成長をひたすらに待つ必要があったからです。幼稚園のかけっこでは競走の意味が分からず、いつもびりっけつ歩いていましたし、社会に出てからも器用に立ち回ることができずブラック企業で死ぬほど働かされました。世の中の仕組みが少しずつ分かるようになったのもつい最近のこと。早熟の馬よりも晩成タイプに惹かれるのは、自分の成長の遅さを重ねているところがあるのかもしれません。待つことは僕の人生と言っても良いでしょう。

じっと待たなければならないとき、僕は大好きな冒険家であり写真家である星野道夫についてリン・スクーラー氏が書いた「待つこと、できるだけ長く」という文章を頭に浮かべます。

「今、ミチオのことを思うとき、いちばんよく考えるのは彼の忍耐についてだ。忍耐は、野生動物写真家にとって重要な資質である。待つことは、しばしば長期間にわたる。鳥や動物が目の前に現れるのを待ち、的確な光を待ち、天候の回復を願い、雨が止み、風が変わるまで待つ。自然写真家は、特定の自然現象を撮影するために、春や秋、そして冬を待たなければならない。そして日の出や日の入りを待ち、月の満ち欠けを待つのだ。

(中略)

もうひとつの彼の大切な資質は見ることだった。

ミチオと出会ったとき、私は忍耐強くはなかった。自然ガイドとして1日に16時間以上を懸命に働き、待つことなど到底意味のないこと思っていた。しかし、ミチオと自然の中で過ごす旅を通して、たくさん待てば、それだけ長く見ることができ、さらに彼が見た自然の中の細やかなディテールとその動きをよく見ることができることに気がついた。彼といくつかの旅をした後、私は自分自身がもう少し忍耐強くなるようにと決めた。

30年以上が経った今、もし、あなたが長い時間をかけて待ち、そしてよく見れば、さらに小さな存在や、時には野生動物と森と天候とその環境の間で起こっている微細な相互作用に気づくであろうことを私は知っている」

COYOTE No.59 星野道夫の遥かなる旅

自分が追い求めるアラスカや動物たちの写真を撮るために、星野道夫さんはひたすら待ちました。自分が望んだ瞬間が偶然に訪れるまで、1年でも2年でも待った。いざ写真を撮っても、フィルムをラボに送って現像してもらい、思い描いたイメージを切り取れているかどうか実際に確認するまでも数か月待った。スマホを手放せず、分刻みの忙しい日常を生きる僕たちには想像できない時間の流れ。星野道夫さんの写真や文章には、僕たちが失ってしまった長い時間の流れが凝縮されているから素晴らしい。

人生は待つことに満ちています。僕たちは大人になるまで待たなければならないし、傷が癒えるのを待たなければならない。大好きなあの人と会える日まで待たなければならないし、苦しくて辛い日々が過ぎ去るのを待たなければならない。何もかも最初から準備が整っていることなどほとんどなく、運よく何かを始めることができたとしても、それがひとつの形になるまでに、ひたすら待たなければならない。

そして僕たちは、ただ待つだけではなく、見なければならない。いや、待つことを通して見えてくる。すぐに手に入れてしまえば見過ごしてしまったであろうことが、長く待つほどに見えてくる。それは馬主や生産の世界だけではなく、どの世界でも同じでしょう。できるだけ長く待つことで、それだけ多くのことが見えてくる。この空白の1年間をじっと待つことで、僕に何が見えるのか楽しみです。

それでも、さすがに1年間を何もすることなく待つのは気が遠くなります。そんな中、岩手競馬の永田厩舎で厩務員をしている志村直裕さんと競馬の話をしていると、管理馬の話題になりました。

僕「永田厩舎で募集される馬がいたら出資するのですけどね」

志村さん「いますよ」

たったこれだけのやりとりで、僕はエコロテッチャンに出資することに決めました。1頭持ちではなく、共有馬主という形ですが、地方競馬の馬主登録証を取得してからようやく馬主になれたのです。出会いとは不思議なもので、強く求めているうちはすれ違ってしまうけれど、あきらめてちょうど忘れかけたぐらいの頃に現れます。人と人ともそうであるように、人馬の出会いも偶然であり、タイミングですね。

(次回に続く→)

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