黒鹿毛の2歳王者・ゴスホークケン

これは、まだ朝日杯フューチュリティステークスが中山で行われていた頃の話だ。
中山芝1600m戦といえば、スタートしてから2コーナーまでの距離が240mと短く、外枠に入った馬はどうしても外々を回らざるを得なくなる。そのため、内枠との有利不利が強く生じる難しいコースとして知られている。

そうした点も踏まえ、2014年以降、朝日杯は、開催場所を阪神に移した。

しかしこの中山開催時代を知っている私からすれば、未だに「中山の朝日杯」というイメージが強いのも事実。
そんな「中山の朝日杯」で、強く脳裏に焼き付いている馬がいる。

2007年、黒鹿毛の2歳王者ゴスホークケン。

父Bernsteinの外国産馬で、鞍上は勝浦正樹騎手。

当時8歳だった私は、毎週、父親の横で競馬を見ていた。
既に競馬のレース体系についての知識はある程度頭に入っていて、朝日杯が2歳王者決定戦なのだということも当然理解していた。

過去にはフジキセキ、ナリタブライアン、アドマイヤドンにメジロベイリーといった、そうそうたるメンバーがここを勝利している。
素質馬同士のアツいドラマが、2歳の若駒の間で繰り広げられていく──。

子供心にそれは特別なことに感じられていて、12月になると、胸を躍らせていた。

……とはいえ、毎年開催していると、例年よりいささか小粒なメンバーだと感じる事もある。
私にとって、この2007年のメンバーが、まさにそうだった。

1番人気のスズジュピターのオッズが4.2倍というのを見てもわかるように、確固たる本命は不在。

2番人気として前走・京王杯2歳Sで初重賞制覇を果たしたアポロドルチェ、デビュー戦を快勝するも前走で人気を裏切っていたゴスホークケンが3番人気と続く。

しかし管理する斎藤調教師は、彼に絶対の自信を寄せていたようだ。
枠順抽選で有利とされる1枠1番を引き当てた時「6000万は貰った」と口にしたという逸話は有名だ。

事実、左トモの外傷で思うように動けなかった前走とは違い時計のかかると言われているポリトラックで見違えるような時計を叩き出していた。


そして、朝日杯FS当日。
15時40分、スタートが切られた。

ゴスホークケンは超ロケットスタートを切り、そのまま押し出されるようにハナへ。
競りかけてくる馬はいなかった。

2番手にはギンゲイと若武者・川田騎手が操るキャプテントゥーレ。
さらにインのポケットで先行するレッツゴーキリシマと続き、1番人気スズジュピターは中団、2番人気アポロドルチェは京王杯同様差し切りを狙う格好で外目の中団馬群を追走していた。

600m通過は34.7秒。決して厳しい流れではない。

ここで2番手のギンゲイ、キャプテントゥーレが
先頭へと並びかけるような動きを見せるが、ゴスホークケンは先頭を譲らない。

600m地点で、レースは動き始める。

前が残る展開とみたか武豊ヤマニンキングリー、後藤浩輝アポロドルチェが外から捲るように上がっていったのだ。

しかし想像以上に、前との差は詰まらない。

スズジュピター柴田善臣は馬群の真ん中を狙い、馬群割りを狙う格好で直線へと向かう。

……が、逃げるゴスホークケンの脚色は全く鈍らない。

2番手集団からレッツゴーキリシマ、キャプテントゥーレが追いすがるものの、差は開く一方。
後方集団の人気3頭は伸びを欠き、先頭のゴスホークケンとは絶望的な差がある。

ここで大勢は決した。

ゴスホークケン、朝日杯FS制覇。完勝だった。

東京開催でデビューし、ほとんど持ったままでの快勝劇を演じた彼の実力は本物だった。
この勝利で最優秀2歳牡馬を受賞した彼は翌年はNHKマイルCを目指しつつ、ダービー挑戦。
そして秋にはブリーダーズカップへの遠征プランがあることが発表された。


この強さならクラシックでもいい勝負になる。
久しぶりにマル外が席巻する時代が来るかもしれない。
朝日杯が終わった直後、私の父はそんなことを呟いていた。

それは、彼のレースぶりを見た人々が抱いた感情を父が代弁していたのかもしれない。なぜなら私もそう思ったのだ。

しかし、王者となった彼を挫折が襲う。
復帰戦のNZTでは勿論抜けた1番人気に支持された。
ここでは後の事も考えてかハナを切らず先行したが3コーナーで既に手ごたえがなく、4か月前には先頭を走っていた直線で、今度は馬群に飲み込まれ12着惨敗。

「休み明けだし仕方ない」と呟いていた父の横で私も「そうだよね」と、自分を無理矢理に納得させていた。

そして、春の最大目標NHKマイルC。
ここでは朝日杯同様ハナを切り、4コーナーでもまだ馬なり。
手ごたえ十分なように私の目には映った。

──勝てる!

一瞬、本当にそう思った。
でもそれは、ただの勘違いだった。
内を突いたブラックシェルに並びかけられ、坂の途中で早くも失速。
2歳王者がまたも12着と辛酸を舐める一方で、新たな王者ディープスカイが誕生した。

そこからディープスカイはダービーを勝ち、真の3歳王者としてのポジションを確固たるものにすると、秋にはウオッカ・ダイワスカーレットと共に死闘を繰り広げる活躍を遂げた。
ディープスカイとは対照的で、かつての2歳王者ゴスホークケンが掲示板に乗ったのは、その後たった一回だった。

最後はOP特別でも惨敗と散々な戦績に終わり
いつしか人々から「超早熟の2歳王者」と呼ばれ
今どこにいるのか、その存在すら話題に上がることは少なくなっていった。
かくいう私も、その一人だった。

ある一頭の馬の名を、17歳の秋に聞くまでは。


日高スタリオンでひっそりと種牡馬入りしていた彼は、血を残そうと懸命に努力していたのである。

僅か30頭への種付けと、大種牡馬らと比べて明らかに少ない種付け頭数の中から、重賞勝利の孝行息子を輩出した。

それが、マルターズアポジーである。

父に負けず劣らずのダッシュ力で、スタートから『最高点』に達するようにハナを切る彼は、デビューから31戦目の小倉大賞典で出遅れるまで、実に30戦連続でスタートから先頭を譲ることはなかった。

重賞3勝、G1出走延べ4回は、十分すぎるほどの成績だろう。

そしてゴスホークケンは、アーモンドアイが府中のゴールを先頭で駆け抜け牝馬二冠を成し遂げた2018年5月20日、白馬牧場にて大動脈破裂の為、享年13歳で死亡した。

2週間後、阪神の鳴尾記念に息子が出走し4、着に終わっていた。

2020年の3月、6年間の競走生活にピリオドを打ったマルターズアポジーは父と同じ白馬牧場で種牡馬生活をスタート。
一瞬の間でも煌めき、頂点へと駆け上ったゴスホークケンの血は、確かに次代へと受け継がれてゆく。

いつかこの血から、スタートからゴールまで先頭を譲らず、さらには超のつく良血馬達を封じ込めてG1を逃げ切る馬の誕生を、見てみたいと思う。

写真:ウオッカ嬢、Horse Memorys

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