大学時代の私は、日本史の勉強をしながら乗馬クラブでアルバイトをして、週末には競馬場への遠征を重ねるという日々を送っていた。
授業がない日は基本的に乗馬クラブか競馬場にいるという馬漬けの毎日を過ごしていたから、大学の“華”のひとつであるサークル活動には積極的に参加していなかったのである。
ただし、サークルに所属していなかったわけでも幽霊部員だったわけでもなく、旅行や飲み会などのイベントにはほぼ出席し、それなりに大学生らしい生活を送っていたつもりではあった。それでも今になって「もし仮にもう一度大学生活を送れるとすれば」と考えると、もっと馬に乗ってもっとたくさん競馬場や牧場に赴いていることだろうななんて思うくらいだから、あれくらいが私の追求できる「大学生らしさ」の限界値だったのかなとも思ったりはするのである。本当に変わった大学生だった。
「なぁ、ジャパンカップは何が来ると思う?」
ある日、サークル内で唯一競馬を趣味にしていた友人が投げかけてきた。
「お前の本命は?」
私が質問を質問で返す。
「俺はラブリーデイかな。最近の充実ぶりはすごいよ。秋古馬三冠もあると思うんだ」
友人はそう答えた。なるほど、ラブリーデイ。確かにこの年のラブリーデイの充実ぶりはすごかった。阪神大賞典と天皇賞・春の長距離重賞は適性距離ではなかったとして、それを除けばこの年すでに重賞を6勝。前走の天皇賞・秋では1番人気を背負って4番手からの正攻法でGⅠ2勝目を挙げていた。
確かに、中心の一頭だろう。
「で、お前は?」
再び友人が問う。
「俺はなぁ、ショウナンパンドラ」
友人の目を見て自信たっぷりに答えた。あの時の自分の顔を今、鏡で見せられたら相当恥ずかしいだろうなと思うくらいだ。しかし、ショウナンパンドラ以外にはあり得ないとすら思っていた。
「へぇ〜、今何番人気だ? 10倍前後くらいだろう?」
「まぁ、見てろって」
この予想には、確かな手応えがあった。
前年の秋華賞では終始最内を回って無駄なくレースを進めると、最後の直線でも内から突き抜けて単勝オッズ1倍台に支持されたヌーヴォレコルトを抑え切ってGⅠ初制覇。
明け4歳となった大阪杯は雨で不良まで悪化した馬場に脚を取られ9着。ヴィクトリアマイル(8着)は、この馬にとっては若干忙しい距離だったうえに、2番手から頑張ったケイアイエレガントと逃げた最低18番人気のミナレットが2着、3着に残ったように後ろには厳しい展開だった。距離も伸びた宝塚記念では11番人気の低評価ながら勝ったラブリーデイから0.2秒差の3着に巻き返し、力のあるところは見せつけていた。
秋初戦のオールカマーでも評価こそ3番人気だったが、一頭だけ違う脚色で突き抜ける内容で快勝。
阪神内回り2200mと中山2200mを牡馬相手にあれだけ力強く走れるディープインパクト産駒の牝馬が、東京の2000mや2400mで勝負にならないはずがない。
そう思っていただけにエリザベス女王杯ではなく、秋古馬王道に挑むと知った時には、本命にしようと決めていた。
迎えた天皇賞・秋。不利といわれる外枠から行き脚がつかず、後方からの競馬となってラブリーデイが押し切る中、4着に敗戦。4コーナーでステファノスに蓋をされたのが痛かった。それによってイスラボニータやアンビシャスといった上位入線各馬がびっちり手応え良く追い出しを待っている後ろで窮屈な形になり、勝負どころで仕掛けを待たされて、ワンテンポ遅れてしまったことで差し損ねた。
上位との差はわずかにそのタイミングだけで、同じ間違いさえしなければジャパンカップでも十分に戦える。この負け方はむしろ、そうした確信に似たものを私の中に芽生えさせた。
そして、ジャパンカップの枠順が出た。
ショウナンパンドラの枠は奇しくも、天皇賞・秋と同じ7枠15番。
手綱を託される池添騎手は、決して同じ轍を二度踏むような男ではない。必ず修正してくるはずだ。大舞台での彼は、大学で勉強していたどんな歴史史料よりも遥かに信用に値するようにすら感じられた。
デュランダル、スイープトウショウ、ドリームジャーニーに代表されるように、この手のキレる脚のある馬の背中がよく似合う。
だから私は一片の迷いもなく本命をショウナンパンドラに打った。
スタンド前に設置されたゲートから18頭が揃ったスタートを切る。ゴールドシップがそれなりのスタート決めたことで、スタンドが一度盛り上がった。外からカレンミロティックが先手を主張し、それと合わせるようにアドマイヤデウス、イトウが前に出たことで一瞬だけショウナンパンドラが挟まれる形になったが、すぐに抑えてたことで大きな後手は踏まずに1コーナーを曲がっていく。
先手はカレンミロティック。1000m通過は59秒台、特別に速くも遅くもない淀みない流れで進む。天皇賞・秋では後方に進まざるを得なかったショウナンパンドラも、中団の外目の良い位置につけた。中盤のラップは決して速いわけではないがカレンミロティックが後続を離して単騎逃げの形に持ち込むと、3コーナーからは後方にいたゴールドシップがいつものロングスパートで上がってくる。すると後方各馬が一緒に押し寄せて馬群が大きく横に広がった。レースが動く。
カレンミロティックは後続を離したまま直線を迎え、馬場の真ん中を通って粘り込みを図る。その外に進路を変えてアドマイヤデウス、ワンアンドオンリーが、馬場の外目ではサウンズオブアース、ペルーサ、ミッキークイーン、ゴールドシップらがそれぞれ鞍上の叱咤を受けるが、それを尻目に天皇賞馬ラブリーデイが持ったままカレンミロティックに並びかけ、直線半ばで早くも先頭をうかがった。
友人はこの時、両手を叩いて「よし、行け! そのまま!」と叫んだことだろう。
先行して直線半ばで先頭に立つ。ラブリーデイの競馬は天皇賞と同じく実に堂々とした王道のものだった。ただあの時と違っていたことがあるとすれば、思っていたほど突き抜けられないことだった。決して走れないわけではないが、ラブリーデイにとって2400mは少しだけ長い。
ラブリーデイの脚が鈍ったその隙をついて最内から鋭くラストインパクト、連れてイラプトが脚を伸ばす。
友人は祈るように見ていたに違いない。だが、このタイミングで私も叫んだ。
「よし! そこだ! 行け!」
ラブリーデイが抜けてきた進路をなぞるようにして、そのちょうど真後ろにショウナンパンドラと池添騎手がいたのだ。
外から押し寄せてくる馬群を考えれば、進路という進路はそこにしかなく、完璧な立ち回りをしたといっても過言ではなかった。天皇賞とは逆に、早めに抜け出したラブリーデイが今度はショウナンパンドラの絶好の目標となったのである。
ラブリーデイを目掛けて内からラストインパクト、外からショウナンパンドラが襲いかかる。そして鼻面が揃った。
「ショウナンパンドラだ! ゴールイン!」
実況が興奮した様子で勝ち名乗りをあげた。ショウナンパンドラの背中で池添騎手が一本だけ立てた人差し指を口元に当て、そして小さく拳を握った。
「ちゃんと見てたか? ほらな、言っただろう?」
後日、学食で顔を合わせた友人に、前回以上のドヤ顔でそう言い放ったのは言うまでもない。
翌年も現役を続けたショウナンパンドラは大阪杯とヴィクトリアマイルでそれぞれ3着に入ったが、宝塚記念の前に骨折が判明して競走生活から退いた。願わくばもう一度、天皇賞・秋とジャパンカップで力強い走りを拝みたかったところだが、怪我ともあれば仕方がない。
時の流れは早い。ショウナンパンドラは母となって競馬場に産駒を送り出し、私たちは大学を卒業して社会の歯車となった。
あの友人とは大学を卒業してからも、たまに競馬場で時間を共有することがある。競馬場に日常が戻ったら、またレースを眺めながら「ほらな、言っただろう?」と言ってやりたいものである。彼の悔しそうな、それでいてどこか嬉しげな顔が目に浮かぶ。
写真:Horse Memorys