「競馬は小説より奇なり」。今も競馬ファンの心を離さぬクロフネ物語。

読書が苦手だ。こうして競馬コラムを執筆しているだけでなく、自身のブログを日々更新していたり、あるいは本業でもコピーライティングの世界に身を置く立場でありながら、どうにも他人の文章を読むのが好きになれない。なかでも小説の類は「しょせんは作り話」と冷めた感情が邪魔をしてしまって、素直に楽しめないのだから困ったものだ。我ながら、感受性はどうなっているのか。

だが、僕には競馬がある。競走馬とホースマンが織り成すシナリオのないドラマは、時にフィクションの作品を軽く凌駕するような興奮や感動をもたらしてくれる。ありがたいことに、そんなシーンに今まで何度も遭遇してきた。

クロフネが主役を務めた壮大なドラマも、お気に入りの一作だ。長らく「鎖国状態」だった我が国のクラシック競走に、外国産馬の出走が条件付きで認められるようになった2001年。そこに「黒船」と名付けられたアメリカ産まれの芦毛馬が襲来した。その名に恥じぬ圧巻のパフォーマンスで勝利を重ね、いよいよ決戦の舞台・日本ダービーへ──これだけでも正統派の脚本として十分なクオリティだというのに、この名作はここからが熱かった。秋の天皇賞で除外の憂き目に遭いながら、それがきっかけで矛先を向けたダート路線での無双劇、そして痛恨の極みで迎えた突然のエンディング。こうして、あらすじを振り返るだけでも、心の中で燃えたぎってくるものがある。

「事実は小説より奇なり」という言葉があるけれど、競馬もまさにその通り。初見の方もリピーターさんも、クロフネ物語に触れながら「競馬は小説より奇なり」を実感していただきたい。

江戸時代、黒船を初めに見た人はさぞかし度肝を抜かれたことだろうが、クロフネの初勝利を目の前で見られたのは僕の密かな自慢だ。

2000年10月27日。この日はメインレースにスワンSが組まれており、キングヘイローやダイタクヤマト、エイシンプレストンに地方の快速馬レジェンドハンターら豪華メンバーが揃っていた。彼らをお目当てに訪れた京都競馬場の、まだ朝も早い第2レースで、歴史が動く瞬間を見届けることになる。その馬は、ストライドの大きい雄大なフォームで他馬を一蹴し、当時の2歳コースレコードで楽勝。期せずして「来航」の瞬間を見届けられたのだ。

エリカ賞も同じようなレース運びで盤石の勝利。今度は阪神2000mの2歳レコードを塗り替え、「なるほど本当に“クロフネ”がやってきたんだな」という確信に近い感覚を得ることに。続くラジオたんぱ杯3歳Sでも単勝1.4倍の圧倒的な支持を集め、いよいよ「開国」待ったなしというムードが漂っていた。

ところが、思わぬ結末が待っていた。最後の直線で突き抜けたのは、栗毛のサンデーサイレンス産駒アグネスタキオン。まるでターフに閃光が走るかのような末脚は、そのまま来年の春まで先頭を突き抜けていくかのようだった。かたやクロフネはトニービン産駒のジャングルポケットにも先着を許し、よもやの3着。レース前の1強ムードはどこへやら、クラシック最有力候補の肩書きはアグネスタキオンに譲る形となった。

思わぬ完敗を喫したクロフネは何を感じただろう。挫折なのか、それとも──。

その答えが「奮起」であったことが、明け3歳初戦の毎日杯で証明される。今回もまた早めのスパートから他馬をねじ伏せるように先頭に立ち、5馬身差の圧勝。勝ち時計は、エリカ賞で自身がマークした2分1秒2を2秒以上も短縮する1分58秒6。容赦なく強いクロフネが帰ってきたのだ。

さあ、あとは日本ダービー出走へ向けての条件をクリアするだけだ。当時のルールでは「NHKマイルCで2着以内に入るか、青葉賞・京都新聞杯を勝つこと」が必要。クロフネが向かったのはNHKマイルCだった。デビュー戦を取りこぼした1600mは彼にとって少し短いようにも思えたが、あえてメンバーも強力なG1へ向かう──。開拓者としてのプライドをにじませる陣営の選択に、クロフネは満点の回答で応えてみせる。危惧した通り序盤はやや流れに乗り損ね、後方からの位置取りになるも、直線で豪快に追い込みグラスエイコウオー以下をねじ伏せた。このレースで初めて手綱を取った武豊騎手も「乗っていてあまりスピード感はないんだけど」と不思議な感覚を味わったそうだが、一完歩ごとに前との差をグングン詰めていくフットワークは、筋肉隆々の水泳選手がバタフライで水面を進んでいくかのような力強さがあった。

こうして再び人々を震撼させたクロフネは、堂々と日本ダービーの舞台へとたどり着いた。残念だったのは、皐月賞馬アグネスタキオンが屈腱炎のため戦線を離れてしまったこと。あの「ラジたん」で受けた屈辱は晴らせずに終わったが、それでも皐月賞で上位を争ったジャングルポケットやダンツフレーム、そして日本ダービー馬フサイチコンコルドの弟ボーンキングら、日本産まれのトップクラスが集結。さらには青葉賞を勝ち、もう一つの外国産馬出走枠を見事に勝ち取ったルゼルも参戦を果たし、運命の一戦は幕を開けた。雨上がりの東京競馬場、待っているのは開国か、攘夷か。

勝ったのは、ジャングルポケットだった。クロフネは5着。最後の直線で勝ち馬に並ぶ間もなく交わされ、0.9秒差をつけられての完敗だった。重馬場が堪えたか、それとも距離が長かったか……敗因は定かではないが、いつもの豪快なフットワークは見られぬまま終わってしまったのは確かだ。ただ、その名を授かった瞬間から宿命づけられたとも言える場所へとたどり着いたクロフネは、間違いなくこのレースを盛り上げた立役者だった。ジャングルポケットが勝った2001年の日本ダービーは、クロフネが敗れた日本ダービーでもあったのだ。

野望に燃えたクロフネの航海もひと段落し、秋はクラシックと同様この年から外国産馬にも部分的に(賞金上位2頭)出走が認められることとなった天皇賞を目指すことになる。休み明け初戦の神戸新聞杯は3着に敗れるも、有力馬の動向を見る限り問題なくゲートインできる見込みだった。

……しかし想定外のできごとが起こる。

アグネスデジタルが出走を表明してきたのだ。

アグネスデジタルといえば芝・ダート不問のオールラウンダーとして、この時点でG1マイルCSを筆頭に重賞6勝(地方交流を含む)を挙げている強豪。当然ながら獲得賞金も3歳のクロフネを優にしのぐ。ただ、近2走はダートの交流重賞を連勝していたことや、実績がマイル戦中心だったことから、このエントリーには疑問の声も挙がった。ダートが主戦場で、距離の実績も乏しい馬が有力馬の出走枠を奪ってしまってよいのか、と。

ところが、予期せぬアクシデントが良い意味で運命を変えてしまうのだからおもしろい。やむなく矛先を変えたダートG3の武蔵野Sで、クロフネは2着に9馬身もの大差をつける圧勝を飾ったのだ。

ちょうどこのレースは京都競馬場のターフビジョンで観戦していたのだが、着差が広がりすぎて馬群がもう豆粒のようにしか見えず、呆気にとられて何が起きているのかわからない状態だった。遠く離れた東京競馬場で巻き起こる歓声もどよめきに近いものがあり、そこからは今まで見たこともないものに出くわした恐ろしさすら感じられた。

これぞ真の「黒船襲来」。1853年に浦賀の人々が震え上がったあの気持ちを、まさかこんな形で共有することになるとは思いもよらなかった。

こうしてダート馬としての才能を爆発的に開花させたクロフネ。もう芝には未練などない。目標はダート王、それも世界一のダート王だ。絶対的な自信とともに駒を進めたジャパンCダートで、我々はまたしても衝撃的な光景を目にすることになる。

ひとことで言うと、もうやりたい放題である。ゲートで出遅れながらもスピードの違いで向こう正面に出る頃には中団まで押し上げると、3コーナー手前からもう先行集団を飲み込みにかかる強引なレース運び。並の馬ならここでガス欠を起こしてしまうところだが、クロフネはさらに後続を突き離しにかかる。国内外のG1勝ち馬を相手に、まるで能力が違うと言わんばかりのワンサイドゲーム。「圧勝する」と期待していた人の想像すら上回る勝ちっぷり。ゴールの先にはダートの世界最高峰がハッキリと視野にとらえられていた。

つくづく不思議な巡り合わせである。史実に基づくのであれば、日本ダービーを制して「開国」を成し遂げるはずだったクロフネ。だが、もしあのレースを勝っていたら、ダート転向という大胆なコンバートは実現しなかったかもしれない。敗れたからこそ、彼の本当の実力が発揮されたと考えられるのだから、未来はどう転ぶかわからないものだ。一方で、クロフネを押しのける形で天皇賞に出走したアグネスデジタルも、テイエムオペラオーやメイショウドトウら芝の中距離戦線を争ってきたトップクラスを破って勝利。戦前のいわれなき批判も、単勝20倍の低評価も全て覆すと同時に、オールラウンダーとして不動の地位を確立した。この後さらに香港カップ→フェブラリーSと連勝を遂げ、世界レベルで芝ダート不問の活躍を見せたのである。

まるで見えない運命の糸に操られながら、クロフネを中心に全ての事態が好転しているかのようだった。20年以上の時を経た今、こうして筆を執っていてもワクワクしてくるのだから、リアルタイムで味わった高揚感といったらもうたまらないものがあった。早く次のクロフネのレースが見たい、具体的な遠征のプランが聞きたい……。仮に創作の世界であっても楽しみが膨らむようなストーリーが、今こうして現実の世界で起きている。それを堪能する日々は競馬ファンとして最高に幸せだった。
しかし、待っていたのは突然のピリオドだった。右前脚に屈腱炎を発症していることが判明。事実上、すべての終わりを意味していた。衝撃のジャパンCダートからちょうど1ヶ月が経った、12月25日のことだった。その直後に現役引退が決定。ショックだった。物語のクライマックスに差し掛かろうかというタイミングで急に白紙のページが現れ、その後はめくれどもめくれども何も書かれていないようなものだ。悪い夢よりもつらい現実。それとも、あの喪失感さえも彼なりの盛り上げ方だったというのだろうか。

「競馬は事実よりも奇なり」。思いがけぬ感動のドラマが待ち受けていることもあれば、創作の世界ではないがゆえ手加減のない残酷な結末にぶち当たることもしばしば。その度に心の底から落胆し、時には涙を流してきたのが競馬ファンである。それでもまた新たなストーリーを心待ちにしながら、我々は今日も大好きな競馬に情熱を注ぐ。

また、クロフネ物語のような名作に出会いたい。

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