最終決戦 ベルモントステークス
プリークネスステークスを終えて、ベルモントパーク競馬場に戻ってきたラニと陣営は、最後の戦いに向けて、早くも準備を開始した。
2冠目からは中2週となるベルモントステークス。5月終わりにもかかわらず30℃を超える暑さだったらしく、ラニのために扇風機を設置するなど、調整に抜かりはなかった。
1週前追い切り、最終追い切りと素晴らしい動きを披露し、参戦した3レースの中では間違いなく一番調子がいいだろうと、日本でアメリカから伝えられる情報だけでも感じることができるくらいだった。
そんな中、1戦ごとに着順をあげ、調子も上げ続けるラニにアメリカ人も次第に心惹かれ、プリークネスステークスが終わると、アメリカにラニのファンクラブができているらしいという情報を耳にした。新聞などでも、ユニークな風刺画も多く描かれ、いろんな意味で恐れられていた。実力も話題性も兼ね備え、アイドルホースの階段を上るラニであった。
レース3日前の公開枠順抽選では、松永幹夫調教師自ら13頭立ての10番枠を引いた。スタートが遅いラニにとって、まずは好材料。運は増々向いてきた。
こうして、歴史を変えるため、選ばれたラニの最後の戦いが幕を開ける。
ベルモントステークス当日の天気は曇りだった。直前に降雨の予報があったが、それほど心配することもなく、レースは始まろうとしていた。
ラニは、前2戦と同じように馬場に先出しをして、武豊騎手は落ち着けることに全力を注いでいた。ここまで経験を積んできたということもあり、ラニ自身も今までで一番落ち着いているように見えた。
そして運命のスタートが切られる。ラニは、今までで一番いいスタートを切っていた。その後、いつものように後ろに下げるがそこは長丁場。流れに乗ると、序盤から隊列についていくことができた。
ハナを切ったのは6番枠から好スタートを切ったゲティーズバーグ。1番人気のエグザジェレイターは外目の4番手から前を見ながら進める。入りの400mが24.09。もちろん日本から見たら早いが、ここから流れは少し落ち着き、アメリカでは珍しく馬群が一団になる。
そして半マイル通過が48.48、ここを過ぎたあたりから、ラニの進出が徐々に始まる。まずは向こう上面中ほどで、後方2番手から中団まで押し上げ、3コーナーにかけて4番手を走るエグザジェレイターの直後まで押し上げた。UAEダービー同様、ここから一旦ラニの手応えが怪しくなるが、武豊騎手も懸命に手を動かす。少しペースが緩んだ1200mの通過1:13.38から、1マイル1:37.96にかけて一気にペースが上がり3,4コーナーから直線へ。ラニはいつも通り大外を捲るとじわじわと伸び始める。そのすぐ内を走るエグザジェレイターの手応えが悪い。
「いける!!!」
──直線に向くと、ラニは、抜け出した2番手からデスティンめがけて1歩ずつ脚を伸ばす。その間から、馬群の中で脚を溜めていたクリエイターがぐんぐん伸びてきた。ラニは手前を替えるとさらに伸びる。
「Here comes LANI!!!!!」
現地の実況が叫んだ。この言葉に震えが止まらないままレースは終わった。
勝ったのはラニと同じ芦毛のタピット産駒、クリエイターだった。ハナ差で早めに抜け出したこれも芦毛、デスティンが2着。ラニは、その2頭に1馬身半及ばずの3着だった。
レース後、武豊騎手は「いい競馬はできた。もう少しだった」と悔しさも滲ませた。
最後の最後まで、夢を見させてくれた。そしてその大きな夢を、あと1馬身半で手が届くところまでいった、ラニのとてつもない底力に、私たちの胸は高鳴りながら、同時に悔しさもこみ上げた。
しかし、この3着が「悔しい」と思えるまでのステージに、日本競馬は登りつめたと言えるのではないだろうか。そして、このステージに私たちを誘ってくれたラニとその陣営には、もう頭が上がらない。
日本競馬がまた、大きな、新たな一歩を踏み出した、まさに歴史的な瞬間だった。
こうして、ラニのアメリカクラシック3冠挑戦は、興奮冷めやらぬうちに幕を閉じた。
人と馬、人と人、固い絆、確かな信頼関係
ラニは、現地での検疫を終えたのち、6月20日に日本の白井競馬学校に無事到着。3ヶ月という長い長い着地検疫に入った。
今回の、チームラニのドバイ、アメリカ遠征で感じたのは、やはり「チームワーク」。
ドバイに渡る3週前に招待状が届いてから、ラニが日本に帰ってくるまで、一度も大きな問題が起きなかったことや、ラニが3冠全てに挑戦できたこと、1戦ごとに着順を上げることができたこと、どれもこれも、スタッフの誰か一人が違う方向を向いていたら成しえない事である。
ラニに関わる人すべてが、同じ方向を向いて、同じ目標に向けてそれぞれの場所で全力を尽くした結果が、この歴史的な挑戦の成功のカギであったことは間違いないだろう。そしてそれに全力で、期待以上に応えたラニは本当にすごい馬である。
「ラニのような破天荒さがなければ、レースでももっと柔軟に対応していい結果が残せるのではないか?」
こう思う人も、中にはいるだろう。しかし私はそうは思わない。この遠征は、ラニの強烈な個性があったからこそ、ここまでやれたと思うのだ。大胆で破天荒だからこそ、自分の芯を持っていてブレることがない。これこそが、海外で日本馬が成功するための大事な要素だと感じる。
陣営も、ラニの個性を長所としてとらえ、そこを最大限に伸ばすことに専念した。日本でデビューした時から、色々問題ばかりだったラニだが、だからこそ、こうした確かな信頼関係が生まれたのではないだろうか。
ラニを生んだノースヒルズは、予てから「人と馬のつながり」といったものを大切にしてきた。特にキズナがダービーを勝ち、凱旋門賞に挑戦したときは、私たちもそれを肌で感じることができた。
主役である馬を通して、関わる人すべてが手を取り合い、「チャレンジングスピリット」を掲げて前進する姿は、間違いなく日本競馬に良い影響を与えている。そして、これからも与え続けるだろう。そんなノースヒルズには、今後も日本競馬発展の旗振り役になってもらいたいと、心から思う。
日本馬のアメリカ挑戦、今後の可能性
今回のアメリカクラシック挑戦でラニは、アメリカ遠征に未知なる可能性を見出してくれた。ラニ陣営が切り拓いた道を進んでいかないわけにはいかない。
JRAの矢作芳人調教師は自身のコラムで、ラニのベルモントステークスを現地で視察し、このように綴っている。
ベルモントステークスは、小頭数になりやすいことや、コーナーが広い大きいコースと長い距離、ニューヨークへの直行便があること、日本の3歳春のダート戦線に大舞台がないことなどから、日本馬が狙うべきレースとして挙げられるのではないか
遠征での一番の懸念は輸送であるが、そこにまで目をつけている矢作調教師はやはりさすがといったところ。わたしも、この意見に大いに賛成だ。
ラニがベルモントステークスの前に走った2戦はペースが速すぎて、日本馬の適性としては薄いが、2400mなら、前哨戦を一度使いペースになれることができれば十分戦えるのではないだろうか。
また、今年のブリーダーズカップにはBCダートマイル(ダート1600m G1)にコパノリッキー、BCフィリー&メアターフ(芝2000m G1・牝)の挑戦がともに鞍上武豊騎手で参戦が発表されていた。(※コパノリッキーは体調不良により渡米を断念)
あまり知られていないが。宝塚記念の優勝馬はBCターフ(芝2400m G1)の出走助成金を受けることができる。今年は、マリアライトがその権利を獲得した。
凱旋門賞制覇に燃え、ヨーロッパばかりに目が行ってしまうが、アメリカ競馬も歴史と伝統を誇る。2005年にシーザリオがアメリカンオークスを制しているが、そのあとになかなか続けていないのが惜しい。
2010年、ラニと同じ松永幹夫厩舎の秋華賞馬レッドディザイアが、BCフィリー&メアターフに挑戦。前哨戦のフラワーボウル招待(芝2000m G1・牝)で1番人気に推され3着、本番でも4着と健闘した。
続いて2012年には、日本のGⅠではなかなか良い結果の出なかったトレイルブレイザーがBCターフに参戦して4着と健闘。このように、日本ではもどかしい思いをしている馬ほど、海外遠征の適性があることも多い。特にアメリカの芝コースは日本の時計の速い馬場と似ており、欧州のG1よりも、適性は高いはずである。
これを後押しするためには、JRAの海外遠征の補助金ルールも見直される必要があるが、何事も、やってみなければ始まらないのである。
「チャレンジングスピリット」、これは、日本競馬全体が掲げていくべきテーマであると感じる。
日本馬の海外遠征に関係して、今回、もうひとつ残念だったのが、ラニのアメリカ3冠レースすべてで、日本でのライブ放映がなかったことだ。多くのファンが某動画サイトなどで観戦したが、そういった環境が身近にない競馬ファンもいる。矢作調教師もコラムで「こういった挑戦を放映しなければ、日本競馬の発展はない」と語っており、海外レース放映に関しては、日本競馬の至上命題といったところだ。
アメリカ3冠レースは特に放映権が非常に高額とのことで、一般市民の私たちがどうこう言える立場ではないかもしれない。だが、競馬関係者が声を大にしてアピールすれば、こうした現状は徐々に変わっていくかもしれない。そして、ファンの声もきっと届くと信じて、私たちも日本競馬の更なる発展に向けて、声をあげていくべきだろう。
ラニ陣営のアメリカ遠征は、今後の日本競馬の未来をも考える機会を与えてくれた、とても貴重な遠征であった。多くの人がラニの走りとスタッフの奮闘に勇気と感動をもらい、日本競馬のより良い未来を照らしてくれたのである。
陣営の「チャレンジングスピリット」に最大級の敬意を表すとともに、ラニが切り拓いた米国遠征への道のりの更なる発展を、心より願う。
写真:ウマフリ写真班