馬術大会で障害飛越競技の賞を欲しいままにする、ジャンプのプロフェッショナル。
あの日私は、その飛越の美しさに感銘を受けた。
今でもその姿が忘れられない、華麗で勇敢な馬術競技馬だった──。
彼は、元・障害競走馬であった。
そうと知って真っ先に気になったのは、日本障害競馬の最高峰・中山J-G1での戦績だ。
しかし、彼がその舞台に上がった事はなかった。
176cmの長身騎手が「障害から大股5歩」と説明する、遠い踏み切り位置からの飛越。
当時を知るファンが口々に、
「時おり不安定さを感じるが、飛越センスがあった」
と評する飛越だ。
脚質もまた、個性的な競走馬であった。
平地・障害を含め、勝ったレースは全て逃げ切り勝ち。
「単騎逃げをするため、とにかくハナへ行かせていた」と、彼の主戦であった名手・白浜騎手が仰っていたそうだ。
高さ160cmの大竹柵や大生垣といった難関障害、バンケット、4000mを超える距離……なるほど、確実な飛越やスタミナを要する「大障害向き」といったイメージは浮かばないかもしれない 。
もっとも仮に出走したとして、大障害コースを逃げ切っていた可能性は十分にあり得るが。
そんな彼は、天性のスピードを武器にJ-G2タイトルを手にした。
「1999年 第1回東京ハイジャンプ」
東京コースの連続障害をスピードに乗って飛越してゆく姿は、一陣の風のようであった。
その年の暮れ、J-G1・中山大障害で、ゴッドスピードと新星の障害騎手とのコンビが勝利を収めていた。ゴーカイとの名勝負は障害界の話題を集めた。しかし、その舞台に彼が立つ事はなかった。
レガシーロック。
類い稀なる、スピードジャンパー。
現役を退いた彼は、滋賀で、京都で、北海道で、華麗な飛越をもって馬術のビッグタイトルを総なめにした。 競走馬時代に求めていた志の欠片を集めるかのごとく。
どのような才能がいつ開花するかなど、誰にも予測できるものではない。
彼のその華は、引退後、障害馬術という舞台で美しさを増して咲き誇り、人々を魅了し続けた。
彼が東京ハイジャンプを制した年の暮れ、ゴッドスピードで中山大障害を制した西谷誠騎手が、17年の時を経て、ふと彼の名を口にしたという。
「レガシーロックの踏み切り位置は、ここから大股5歩で……」
彼が競走生活に別れを告げて久しい今、西谷騎手はなぜその名を挙げたのだろうか?
名手の洞察力・記憶力、あるいはレガシーロックの持っている「何か」……真相は、我々にはわからない。
こうしてみると、一つ思うことがある。
障害馬に求められる物、障害馬が欲する物とは何だろう。
中山J-G1のタイトルだろうか?
極限のスピードを求められる競走での安定した飛越だろうか?
どんな展開にも対応できる、自由自在な脚質だろうか?
ハナを切るスピードジャンパーゆえの強さと脆さを併せ持つレガシーロックは、現役時代、J-G1馬のイメージとは異なる個性を持っていた。
否、彼の競走馬時代のみを指して「現役時代」とする事は失礼に値するだろう。
なぜなら彼は競走馬を引退した馬術競技馬として「正確、確実な美しいハイジャンプ」を以て幾多のビッグタイトルを手にした、生涯現役のプロフェッショナルであるからだ。
しかし、そんなレガシーロックにも、馬術競技を引退する時がやってきた。
幾多の障害を飛越した彼が辿り着いた場所。そこは豊かな自然に囲まれた、生まれ故郷の牧場だった。
広い放牧地でのんびりと草を食む、レガシーロックの「今」。その微笑ましい姿は、健康・長寿を願う競馬ファンの間で話題に上る。
穏やかに流れる時間の中に、どこまでも広がる青空と緑の中に、ときおり彼の日の記憶が蘇る。
風を切って馬場を駈けた、華麗な障害馬の面影が。
写真:ティズリーおとめ、ウオッカ嬢、川井旭