「ドトウの執念!」を生み出した原点/メイショウドトウの中京記念制覇

中京記念の変遷を紐解く

現在の中京記念は「灼熱のマイル戦」。35℃を超える猛暑の中、馬も騎手もスタンドの観客も、汗まみれになって熱戦を繰り広げるレースである。しかし、遥か昔は「春を告げる、尾張名古屋の名物重賞」のポジションだった。

 1990年代から2000年代前半の頃。大阪杯も高松宮記念も無く、春の関西古馬G1は天皇賞(春)が頂点となり、そこに向けて春のローテーションが組まれていた。天皇賞で上位人気するオープン馬たちは、日経新春杯→京都記念→阪神大賞典→大阪杯といったプログラムの中でレースを選択し、ローテーションを組む。小倉から続く春のローカル開催の中京での重賞ということもあり、天皇賞(春)に出走するための登竜門的な重賞レースとして、2000mの中京記念は存在した。実際、1990年以降でG1馬が優勝したのは、チョウカイキャロル(1995年)とエリモエクセル(1999年)のオークス馬2頭のみ。後に本格化し、G1ホースになった馬たちは何頭かいるものの、中京記念制覇時点では無名のオープン馬。ここで名を揚げ羽ばたいていくといった連中が多かった。

 私にとって中京記念と言えば、2000年のレースを真っ先に思い出す。1999年10月から2000年4月まで、私は仕事の関係で名古屋に住んでいた。今は新幹線に乗らないと行けない中京競馬場が、当時は名鉄金山駅から競馬場の入口まで30分足らずで行くことができた。当然、春の中京開催は8日間皆勤で出没することとなる。

 そして、1週目のメインとして組まれていたのが中京記念。優勝したのがメイショウドトウ。彼は中京記念が初重賞制覇となり、後の宝塚記念制覇も含めて、テイエムオペラオーの盟友として競馬史に名を残す名馬となった。

名馬誕生の起点となったレースに立ち会えたこと、私にとって懐かしい思い出の中京記念である。

階段を一歩ずつ、上って行ったメイショウドトウ

 メイショウドトウは、デビュー時から注目されていた馬とは言い難かった。1999年1月京都の4歳新馬戦がデビュー戦となる。外国産馬として、1番人気で登場したダート1800mのレースを2着。折り返しの新馬戦で初勝利を挙げたメイショウドトウは、5戦目までダート戦を選んで出走する。4戦目の中京・かいどう特別を後方追走から直線で差し切って2勝目を挙げるも、続く4歳オープンの香港JC(ダート1700m)では道中追いっぱなしで8着となり、以降芝のレースに矛先を向ける。札幌の芝の特別戦を3戦消化したメイショウドトウは、秋の京都で頭角を現した。900万クラス(現2勝クラス)の嵯峨野特別、1600万クラス(3勝クラス)のドンカスターSを連勝し、一気にオープン昇格を果たした。

 メイショウドトウを競馬場で初めて見たのは、年明けの日経新春杯。名古屋に住んでいて驚いたことのひとつは、京都競馬場まで1時間と少しで行けたこと。東京の自宅から中山競馬場まで行くのと変わらないくらいの時間で行けることを知った私は、新幹線自由席の回数券を買い込んで京都競馬場にも通っていた。

 2000年の日経新春杯は、メイショウドトウにとってこれが重賞初挑戦。デビューからちょうど1年で、重賞レースの出馬表に名を刻めるまでに成長していたが、この時はまだ、メイショウドトウの存在すら知らなかったように思う。そもそも日経新春杯を見るため京都まで遠征した目的は、秋華賞でも頑張ったメジロマックイーンの娘、メジロサンドラの応援。気になっていたのは、ステイヤーズステークス優勝から駒を進めてきた1番人気、ペインテドブラックと武豊騎乗のマーベラスタイマーの関東馬2頭くらいだった。

 松永幹夫騎手のトキオアクセルが誘導する隊列で目の前を通過した一団は、淡々とした流れで向正面に向かう。注目のメジロサンドラは内を通っての3番手。人気のペインテドブラックとマーベラスタイマーは中段より後ろの位置、お互いをマークし合う形で進んでいる。メジロサンドラのポジションばかり見ていた私は、彼女の外にぴったりと付いている鼻面の白い馬の存在に気づいた。赤い帽子に、おなじみのメイショウの勝負服。抜群の手ごたえでメイショウドトウが3コーナーの坂を上っていく。

 坂の下りを利用して、先頭に躍り出ようとするメイショウドトウ。マーベラスタイマーもペインテドブラックも中段後方のまま。後ろから上位に進出してきたのは、安藤勝己騎手のロードサクセサーと藤田伸二騎手のスエヒロコマンダー。直線に入り、先頭に立ったのはメイショウドトウ。内からメジロサンドラが差し返してメイショウドトウに並びかける。

 「サンドラ、そのまま~」と叫ぶ私の視界に飛び込んできたのは、大外からマーベラスタイマー。直線に入っても伸びないペインテドブラックを置き去りにし、豪快な伸びで、先頭を争っているメイショウドトウとメジロサンドラに迫り、そして抜き去った。

メイショウドトウが2着でメジロサンドラが3着。メイショウドトウは重賞初挑戦で2着となり、5歳馬の新星として注目される。3コーナーから抜群の手ごたえで直線先頭に立ったメイショウドトウの脚に魅された私は、お気に入り馬として彼の名を脳裏に刻んだ。

早春の尾張で誕生したテイエムオペラオーの盟友

 日経新春杯2着で収得賞金を積み上げたメイショウドトウは、京都記念や阪神大賞典には向かわず、中京記念に照準を定める。2000年春の中京開催は5月の開催から移行してきたG1高松宮記念が最終日に開催されることもあり、注目の開催となっていた。

 その開幕週のメインレース、中京記念は14頭がエントリー。メイショウドトウは中京巧者のスエヒロコマンダー、前年の覇者エリモエクセルに続く3番人気の支持を得ている。

 昨年6月以来9か月ぶりの中京開催。前日の雨で重馬場発表だった芝コースは、メインレース前には良馬場に回復して緑の絨毯の状態になっている。

 中京記念のパドックを周回する14頭は、どの馬も仕上がり良く見えた。これが引退レースとなるエリモエクセルも気合満点。ブリリアントロード、萩本欽一オーナーのアンブラスモアあたりも目に留まる。メイショウドトウは、ブリンカーから覗く瞳がキラキラしていた。

 レースは、中館騎乗のロードアヘッドの飛び出しでスタート。サンデーセイラ、アンブラスモアが続き、メイショウドトウは5番手で1コーナーのカーブを回る。人気のスエヒロコマンダー、エリモエクセルは中段より後ろのポジション。先行集団と中段待機組に分かれて各馬が向正面に入る。

 58キロを背負ったアンブラスモアがロードアヘッドを競り落とすように先頭に立った直後、5番手の外を追走していたメイショウドトウが動き出した。安田康彦騎手の合図と共に気合十分でアンブラスモアを追う。日経新春杯がそうであったように、直線の入口では、先頭に並ぶ勢い。ブリリアントロードがメイショウドトウの外から伸びてくるものの、脚色はメイショウドトウが勝っている。

 直線半ばでアンブラスモアに並ぶ間もなく置き去りにして、メイショウドトウが先頭に立った。前走とは脚色が全く違って、2番手以下を離していく。ブリリアントロードが追い上げてくるものの、3馬身差を保ったままゴール板を駆け抜けて行った。

 メイショウドトウは重賞挑戦2戦目で中京記念を制覇し、重賞ウイナーとしてG1戦線へのチャレンジ権を得た。

 重賞のレイを肩にかけてウイナーズサークルに再登場したメイショウドトウは堂々としていた。白い鼻面を誇らしげに、スタンドの観客に向けるメイショウドトウ。これからこのシーンを何回も見るような予感を抱きながら、私はカメラのシャッターを押していた。

 これで次は春の天皇賞だろうか?場内のモニターでリプレイしているゴール前のシーンを見ながら、余韻に浸っていた。

そして、テイエムオペラオーとの死闘が始まる!

 中京記念を制したメイショウドトウは、日経賞3着を経て、府中のメトロポリタンステークス、中京の金鯱賞を連勝した。そして、G1初挑戦となる宝塚記念に駒を進め、テイエムオペラオーとの1年半に渡る戦いが始まる。テイエムオペラオーとG1レースで対戦すること9回。もしも、テイエムオペラオーと同世代でなければ、天皇賞(秋)ジャパンカップ、有馬記念を3連勝したのはメイショウドトウだったのかもしれない。しかし、テイエムオペラオーと死闘を繰り返したことが、メイショウドトウの強さと資質を一層際立たせることになったと思う。

 絶対王者より、何度敗れてもチャレンジを続ける挑戦者を応援したくなるのは、決して私だけではないだろう。テイエムオペラオーの前にG1レースで2着を重ねること5回。6度目の宝塚記念で、ようやくメイショウドトウがテイエムオペラオーに先着した時、異様な盛り上りを見せる。杉本清アナウンサーの「ドトウの執念!」を繰り返した実況が感動を呼び、テレビを見ていたメイショウドトウ派の溜飲を下げたはずだ。

 

20世紀と21世紀の狭間で、競馬史に名を刻んだメイショウドトウ。彼が名馬への道を歩む原点となったレースこそ、2000年の中京記念である。


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内容紹介

──君はあの完璧なハナ差圧勝を見たか!

90年代後半に始まるサンデーサイレンス旋風。「サンデー産駒にあらずんば馬にあらず」と言っても過言ではない時代にサンデー産駒の強豪馬たちと堂々と戦いあった一頭の馬がいた。

クラシック勝利は追加登録料を払って出走した皐月賞(1999年)のみだったが、古馬となった2000年に年間不敗8戦8勝、うちG15勝という空前絶後の記録を達成する。勝ち鞍には、いまだ史上2頭しか存在しない秋古馬三冠(天皇賞、ジャパンC、有馬記念)という快挙を含む。

競馬ファンのあいだで「ハナ差圧勝」と賞賛された完璧な勝利を積み重ね、歴史が認める超一流の名馬となった。

そのただ1頭の馬の名をテイエムオペラオーという。

Photo by I.Natsume

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