辛苦の先に見た光…。サダムパテックと武豊騎手が掴み取った、2012年マイルCSでの白星。

2022年9月。海を渡り韓国で種牡馬生活を送っていたサダムパテックの訃報が、静かにSNS上を駆け巡った。瞬間、西日を背に淀の直線を駆け抜けた水色メンコと競馬場を包み込んだ暖かい拍手が脳裏に蘇り、私は一抹の寂しさを覚えた。

秋も深まりG1シーズンも佳境を迎える11月3週目。東では2歳の登竜門・東京スポーツ杯2歳ステークスが、西では秋のマイル王決定戦・マイルチャンピオンシップが施行される。

2010年、サダムパテックは東の地で鮮やかな走りを見せ、世代の主役候補として高らかに名乗りを挙げた。クラシック戦線で夢破れた彼は雌伏の時を経て、2年後に傷ついた名手に導かれてマイル王の座を射止めた。

彼が表舞台に現れたあの日から、そしてキャリア最大の栄光を掴んだ日から幾年もの時が流れた。サダムパテックの歩みを静かに振り返りたい。


2011年のクラシックの開幕を前に、サダムパテックは間違いなくクラシック戦線の中心にいた。セレクトセールで1,260万円と決して高い評価ではなかった彼だが、デビューと同時に高い資質を見せたのだ。

アパパネが牝馬三冠を達成した秋華賞の日、初陣を迎えたサダムパテックは中団からしっかり脚を伸ばして2着に好走。中一週で臨んだ未勝利戦で物見をする幼さを見せながら、後のG1馬ダノンシャークを寄せ付けず、最後は流す余裕も見せて初勝利を挙げる。

続く舞台は一気の重賞挑戦、東京スポーツ杯2歳ステークス。本レースの重要性はコントレイルやダノンザキッド、ワグネリアンら近年の優勝馬の名が雄弁に語るところだが、2010年当時においてもローズキングダムやナカヤマフェスタ、フサイチリシャールらがキャリアアップの足掛かりとした、クラシック路線への中核を為す一戦であった。

余力十分の勝ちっぷりが評価され1番人気の支持を受けたサダムパテック。2番ゲートからやや鈍いスタートを切ると、クリストフ・スミヨン騎手をしても抑えきれない手応えで馬群を進む。迎えた直線、馬場の真ん中に導かれてゴーサインを出されると、そこからは独壇場であった。後に重賞を制するフェイトフルウォーやマイネルラクリマ、ダコールら素質馬を置き去りにし、馬群を縫うように脚を伸ばした社台レースホースの評判馬リフトザウイングスも問題にせず、3馬身半差の決定的なリードで初重賞を射止めた。

東スポ杯を制した歴代の名馬にも劣らぬ勝ちっぷりで名乗りを挙げたサダムパテックは、余勢を駆って朝日杯フューチュリティステークスに駒を進める。ファンは、サダムパテックの爆発力とポテンシャルへの期待から一番人気の支持を寄せた。

──だが、結果は思惑通りにはいかなかった。

スタートでの後手を挽回せんと軽く促されたサダムパテックは、そのまま一気にギアを上げてしまい騎手との呼吸を乱したまま先行集団を追いかける。

格下相手ならいざ知らず、G1の大舞台は折り合いを欠いたまま勝てるほど甘くはない。

残り100m、中山の急坂で勢いが鈍りグランプリボスの末脚に屈して4着に敗れたのだった。


若さを露呈した悔しい敗戦ではあったが、ロスの多いレース運びでも勝ち馬に肉薄した走りは決して悲観するものではなかった。

3歳シーズンを皐月賞と同舞台の弥生賞から始動したサダムパテックは、新パートナーの岩田康誠騎手を背に一回り大きく成長した姿でパドックを周回する。

一つ目の課題であるゲートをクリアした直後、両隣のオールアズワン、ウインバリアシオンに挟まれるアクシデントがあったものの、2コーナーで冷静さを取り戻すと二つ目の課題であった折り合いもあっさりクリア。好位追走からゴール前で余力十分に先行馬を捉える教科書どおりの競馬で重賞2勝目を挙げた。持ち前の高い能力に「レースの巧さ」を加えた彼は、中山芝2000mへの予習を済ませて理想的な形でクラシック本番を迎えることとなった。

弥生賞の翌週、日本を襲った未曽有の大災害は競馬開催にも大きな影響を与える。3/12、13は開催中止。翌週以降の競馬開催は関西圏でのみ被災地支援競馬として施行され、トライアルレースの日程・条件にも変更が生じた。皐月賞は一週順延のうえで東京競馬場に舞台を移して施行されることとなった。どこか慌ただしく沈鬱な空気の中で施行された第71回皐月賞だったが、レースには世代の頂点を争覇するに相応しい多士済々のメンバーが顔を揃えた。

共同通信杯を制した好内容で制したナカヤマナイト、そのナカヤマナイトと互角の勝負を繰り広げてきたベルシャザール、きさらぎ賞を圧巻の末脚で制したトーセンラー、ディープインパクト最初の重賞ウイナー・ダノンバラード、中山で重賞を制してきたフェイトフルウォー、世代安定株のリベルタス、モハメド殿下が送り込んできた刺客デボネア。

前哨戦の勝ち馬が猫の目のように変わる大混戦の中でサダムパテックは一番人気の支持を集める。弥生賞と東スポ杯という条件の異なる二つの重賞を制した力は一枚上、東スポ杯の勝ち方から東京へのコース替わりはむしろプラス。

サダムパテックの戴冠に向けて視界良好、条件は整ったかに見えた。

やや出負け気味のスタートから中団インを確保したサダムパテックは。エイシンオスマンが刻む快調なペースをロスなくスムーズにレースを運ぶ。手応え十分直線を迎えると、岩田康誠騎手のゴーサインに応えて馬体を沈ませ加速する。全ては思惑通りに運び、彼は世代の頂点に間違いなく手を掛けた。

黄金色のたてがみを美しくなびかせた一頭の駿馬──オルフェーヴルが並ぶ間もなくサダムパテックを交わし去っていくまでは。

一頭、また一頭と馬群を縫うように追い上げたサダムパテックが2番手まで浮上したとき、オルフェーヴルは3馬身前で悠々とゴール板を駆け抜けていた。サダムパテック自身の脚色は決して衰えていない。それ故に、それは決定的な差でもあった。この日、玉座はオルフェーヴルのものとなった。

打倒オルフェーヴルを掲げた迎えたダービーでは2番人気に支持されたが、地面深くまで水を含んだ馬場に脚をとられて7着敗退。ひと夏を越してセントライト記念の惜敗を経て挑んだ菊花賞では直線入り口で先頭に立つ強気の競馬を見せたものの5着。

三度オルフェーヴルに叩きつけた挑戦状はいずれも実らず、頂点は遥か遠くに霞んでしまった。


距離不適と思われた菊花賞でも持ち前のフィジカルで対応して見せたサダムパテックが、オルフェーヴルとの戦いに一区切りをつけて距離短縮に舵を切る。

鳴尾記念で同期のレッドデイヴィス、ショウナンマイティに、京都金杯でマイネルラクリマ、ダノンシャークに後れを取り、東京新聞杯ではデビュー以来初めての二けた着順(13着)を味わっても挫けない。京王杯スプリングカップでクレイグ・ウィリアムズ騎手を背に復活の重賞勝利を挙げ、再び最前線に舞い戻った。

迎えた安田記念は稀に見る大混戦の様相を呈していた。前年の安田記念1~3着馬であるリアルインパクト、ストロングリターン、スマイルジャック。前年のマイルチャンピオンシップ1~2着馬、エイシンアポロンとフィフスペトル。

さらには、復活を期す三冠牝馬アパパネ、2年前のジャパンカップ覇者ローズキングダム。同期のマイルG1-2勝馬グランプリボス。ヴィクトリアマイルで好走を果たしてきたドナウブルーと桜花賞馬マルセリーナ、大逃げで好走を続けるシルポート。

これら国内勢に加え、香港からはトップマイラーのグロリアスデイズ、前年スプリント路線に殴り込みセントウルステークス2着・スプリンターズステークス5着と健闘したラッキーナインも加わり、豪華メンバーが揃っていた。

朝日杯、皐月賞に次ぐ3度目となるG1での一番人気。今度こそ、の思いで臨んだサダムパテックは、京王杯スプリングカップと同様中団で折り合いをつけて運び、直線でスムーズに進路を確保し末脚を伸ばす。

だがシルポートが刻んだ前半3F33秒8のハイラップに力を削られたのか、伸びは鈍い。大外を強襲して1分31秒3のスーパーレコードを叩き出したストロングリターンから遅れること0秒7の9着に敗れ、五度目のG1挑戦も夢は破れた。


三冠路線で思いは叶わず、マイルでも苦杯を舐めたサダムパテック。かつて「世代で一番強い馬」と評されていた彼には、いつしか「G1ではちょっと足りない馬」という口さがないファンの声が届くようになっていた。

「このままでは終われない。こんなはずではない」

足りないピースを探し求める彼の前に武豊騎手が現れたのは、秋競馬が本格化しようかという9月末のことだった。

年間200勝を涼しい顔で成し遂げ、2006年にはディープインパクトとの数々の大冒険を終えた武豊騎手だったが、地方や海外から招聘されるトップジョッキーの台頭などの影響もあり成績は下降。40歳を迎えた2009年に内田博幸騎手に全国リーディングを明け渡すと、2010年・毎日杯での目を覆いたくなるような大事故を契機に大きく低迷することとなる。ローズキングダムの繰上りでなんとかG1連続制覇の記録は繋いだものの、2011年はデビュー年すらも下回る年間64勝に終わり、23年間続けてきたG1制覇記録も途切れてしまった。

迎えた2012年、武豊騎手にタイトルを狙える有力馬への騎乗依頼は激減していた。重賞競走で一番人気馬に騎乗したのはフラワーカップのメイショウスザンナ一度のみ。武豊騎手を支え続けたスマートファルコンはドバイを最後にターフを退いた。騎手界の勢力図が大きく移り変わる中で、唸らせるような手綱捌きを見せてもトップホースとの縁は訪れない。艱難辛苦の只中に居る武豊騎手の元に舞い込んだ実力馬サダムパテックへの騎乗依頼は、氏にとっても一つの光明だった。

コンビ初戦は天皇皇后両陛下行幸啓の下で行われた天皇賞・秋。10番人気の低評価で8着という結果は、傍目には「中団から脚を伸ばして食らいついた」程度の、決して目立つ結果ではなかった。重賞を勝つ力はあってもG1では足りない、そんな歯がゆい評価は更に定着したかのようにすら思えた。

 だが、武豊騎手は西園調教師に「マイルチャンピオンシップに出走するなら、ぜひもう一度乗せてほしい」と直訴したという。一流を知る男だからこそ感じる確信があったのだろうか。久しく巡り合っていなかった「G1を狙える相棒」の登場は、名手の闘争心を掻き立てるのは十分だった。

迎えた2012年11月18日。マイルチャンピオンシップは出走18頭中11頭が大混戦だった春の安田記念からの転戦となり、この時代のマイル路線の混沌を象徴する一戦となった。グランプリボス、ストロングリターン、新星の3歳馬ファイナルフォーム……。

ファンは、サダムパテックをこれらに次ぐ4番人気に支持した。

ゲートが開く。ハナを奪った同厩のシルポートが、安田記念から一転して”彼にしては”やや控えめのペースで主導権を握る。最内枠を利したサダムパテックは内ラチ沿いの6,7番手のインで、逸る気を抑えながら力を溜めた。前日までの雨も相まって水気を含んだ力の要る芝コースは、開催が進んだことと相まって外差し優勢の傾向を示していた。だが天皇賞・秋でサダムパテックの個性を手中に入れた名手は、サダムパテックが持つパワーを信じ、ロスなく、最内枠に拘って進める。

勝負処まで力を溜め続けて迎えた最後の直線。坂を下った遠心力で馬群が内外に大きく広がる中で、ゴーサインを受けたサダムパテックは、先行するエイシンアポロンの外にできた1頭分の進路に身体をねじ込む。

瞬間、先行する各馬の僅かな動きが連動して押圧される。

十分な脚が無ければ、十分な気迫がなければ、そして騎手の決意が無ければ閉ざされていた進路だっただろう。

だが、これまで幾度も厳しい戦いを乗り越えてきたサダムパテックにはこの僅かなチャンスを掴み取る分厚い力が備わっていた。馬群を断って先頭に躍り出たサダムパテックは、外から脚を伸ばしたグランプリボス、ドナウブルーの追撃を封じ見事先頭でゴールイン。かつてはクラシックを嘱望され、西園調教師がその強さを公言し続けた大器は、遂にG1タイトルを掴み取った。

「お久しぶりです!」

開口一番、やや照れくさそうな笑みも浮かべながら表彰台に上った武豊騎手は2010年ジャパンカップ以来(一位入線はあの忌まわしい大事故の前の2009年ウオッカの安田記念以来)のG1勝利となった。華々しい栄光を掴み続けてきた名手が苦難の末に辿り着いたのは、自身のホームグラウンドである淀で何故か勝てなかったマイルチャンピオンシップ。「つらいこともあったけど」と漏らした武豊騎手だったが、腐らず諦めず第一人者たり続けた名手への競馬の神様による粋な計らいだったかもしれない。

キズナ、キタサンブラック、ドウデュース……数々の名馬とともに、あの日から10年間で武豊騎手が積み上げた重賞タイトルは70を超える。不死鳥のように立ち上がり、かつて最年少記録を塗り替え続けた名手は、数多の最年長記録を塗り替えている偉大なるベテランとなった。

サダムパテックと戦ったマイルチャンピオンシップは、「レジェンド」と呼ばれ始める武豊騎手の新たなステージの幕が開いた一戦とも言える。

 晩秋の肌寒い風に吹かれて懐を冷やしてしまった人でさえ、武豊騎手への憎まれ口を叩きながら彼の帰還を拍手で迎え入れた。強い西日に照らされた京都競馬場は、勝ち負けを超えた一体感と柔らかくて暖かい空気に確かに包まれていた。


サダムパテックはマイルチャンピオンシップの後も一線級での戦いを続け、6歳夏の中京記念で58kgのハンデを背負いながらミッキードリーム、マジェスティハーツ、ブレイズアトレイルらを大外から差し切り5つ目の重賞タイトルを奪取。G1馬の底力を改めて示した。

翌2015年に優駿スタリオンステーションで1シーズンのみ種牡馬生活を送った後、活躍の場を求めて韓国へ渡った彼が日本で遺した産駒は僅か16頭。JRAでは同じ勝負服のサダムゲンヤが1勝を挙げるに留まっているが、彼が海を渡った後、妹ジュールポレールがヴィクトリアマイルを制してその血のエネルギーは再び証明された。

2歳から6歳までの4年間、サダムパテックはG1馬として、あるいはG1に欠かせないバイプレイヤーとして、名馬と名手の傍らにありながら、献身的に濃厚な30戦を確かに駆け抜けていったのである。

写真:Horse Memorys

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