あの日『大人たち』が見せた笑顔〜ダービー当日に出会った少女とナカヤマフェスタ〜

「どの馬に会ってみたいか?」
私がまだ10代だった頃。
学生なのに「競馬が好きだ」という私に、大人たちは必ずと言って良いほどこう問いかけた。たぶん大人たちはディープインパクトとか、オルフェーヴルとかそんな馬たちに会いたいと言う私を想像していたに違いない。
そんな期待を裏切るようにその大人の“世代”の馬たちの名前を挙げる私と、それに一瞬驚いてから嬉しそうな表情を見せる大人たち──そんな構図は、これでもかというほど体験してきた。
当時は大人たちの「嬉しそうな顔」に少しの違和感を抱えていたが、大人になった今ならなんとなくあの笑顔の意図がわかるような気がしている。

「ナカヤマフェスタにも会えますか?」

そんな問いを中学生の少女から聞いた時の私は「あの日の大人たち」と全く同じ表情をしていたに違いない。
あの笑顔はきっと、競馬を愛してくれる若い世代へのそこはかとない誇らしさからくるものだっただろう。


5月末の東京競馬場。
競馬場全体がドウデュースの末脚に惚れ、ユタカコールに湧く中、私は隣にいた少女に「ウイニングランで向こうから戻ってくるからシャッターチャンスだよ」と教えてから自分のカメラを構え直した。
ポケットにしまいかけていたスマートフォンのカメラを慌てて起動させ、1コーナーの方にカメラを向けるその小さな競馬ファンとの出会いは、ダービーから遡ることわずか数十分前のことだった。

「暑いから日陰に行こうよ」
「ダービーを見に来たのに日陰になんか行ったら見れないじゃん」

右隣からそんな声が聞こえた。少し気になって目をやるとお母さんと小学生か中学生くらいの娘さんと思しき少女がいた。どうやら気合が入ってるのは少女の方で、お母さんは茹だるような暑さに音を上げているようだ。いかんせんダービーの日は日差しが強く、私も翌日には腕や首が真っ赤に腫れるほどだったからお母さんの気持ちはよくわかる。子どもの付き添いでこの気温と日差しはなかなかハードだ。
お母さんが少女を心配する声とは裏腹に、少女の方はそこから一歩も動こうとしない。隣同士が故に聞き耳を立てなくても聞こえてくる2人の会話の中には「絶対にダービーを間近で見たい」という少女の確固たる意志が感じられた。あまりの熱量に感心していると、お母さんが思い出したかのように少女に言った。

「今日の競馬のこと、先生に教えてあげなくちゃね」

どうやらこの少女には競馬の話ができる"先生"がいてくれているようだ。
──それを聞いて、私にも少し懐かしい感情が湧き上がってきた。
思えば私も競馬に興味を持ったのは中学生の頃で、数学の先生と国語の先生がよく話に付き合ってくれた。テスト直しのノートに競馬のことを書き連ねると、返却されたノートには赤ペンで添削がされていて「俺はサイレンススズカが一番強いと思う!」と書かれていたこともあった。同級生からは少し変な目で見られることもあったが、もしあの時先生たちがいてくれなかったら、もし競馬が好きな私を肯定してくれなかったら今の私はいなかったかもしれない。そんなことを思い出すと、少女の周りにもそんな大人がいてくれることをとても嬉しく思った。

「そんな先生がいてくれるの良いですね」

思わずそう声をかけると、2人は驚いた表情を見せた。私にもそんな先生がいてくれたんだと話をするとお母さんは笑顔になって、少女は少し照れたように視線を外す。詳しく話を聞けば2人はダービーのために愛知からやってきたのだと言う。やはりウマ娘から競馬に興味を持つようになったという少女だったが、聞けば聞くほど本当に競馬をよく見ているんだなとすぐにわかる知識量だった。

「そんなに好きなら一度、北海道に行ってみるといいよ」

私自身がいつか誰かに言われた言葉を、こんなに早く“口にする側”になるとは思わなかった。北海道の話をすると、今度はお母さんもどんなことができるのか、どんな景色なのかを興味津々で聞いてくる。北海道で撮った馬たちの写真を見せると、「バイトできるようになったらお金貯めて北海道だね!」と目を輝かせて写真を見入る娘さんの肩を叩く。
私はこれだけ知識のある子どもが今、どんな馬に会ってみたいのか興味が湧いて「北海道に行けたとしたらどの馬に会いたいか」を問うてみた。それでも正直、ゴールドシップかキタサンブラックあたり、もしくはコントレイルなどの名前があがるだろうと高を括っていた私は、少女からの返答に一瞬だけ言葉を失った。

「ナカヤマフェスタにも会えますか?」

それはあまりに予想だにしない返答だった。
ナカヤマフェスタ。
そうか。そういえばダービーが過ぎれば、あっという間に真夏のグランプリ『宝塚記念』の季節である。

少女が今よりもずっと小さかった頃の2010年、この年の宝塚記念には好メンバーが出揃った。前年の二冠牝馬ブエナビスタ、天皇賞馬ジャガーメイル、重賞連勝中のアーネストリー、前年の覇者ドリームジャーニー、そして前年のダービー馬ロジユニヴァース。
一桁オッズの上位5頭に加えてメイショウベルーガやネヴァブション、アクシオン、セイウンワンダーなど重賞戦線に名を連ねる馬たちが続く。
その中で前年のダービー4着や重賞2勝の実績を持つナカヤマフェスタは、4月のOPメトロポリタンSから直行というローテーション、前年秋2戦の遠征競馬で大敗していたことなどが影響して8番人気に甘んじていた。

梅雨らしく稍重で行われたレースは、内からジワっとナムラクレセントが単騎でペースを作り出し、続いてアーネストリー、ロジユニヴァース、ブエナビスタと上位人気がびっしりと好位を固める。中段に控えたジャガーメイルをマークする格好でナカヤマフェスタが馬群の外目をキープしてレースを進め、ドリームジャーニーは例の如く後方にどっしりと構えて末脚にかける。
3コーナーの手前、外にいた馬が早めに上がっていくとそれに合わせるようにナカヤマフェスタの鞍上柴田善臣騎手の手が動く。じわじわと先行集団との距離を詰めて抜群の手応えで4コーナーを回り、馬群の外に綺麗に持ち出した。何も遮るもののない直線のど真ん中を柴田騎手の左鞭に応えて脚を伸ばすナカヤマフェスタ。伸びを欠く同期のダービー馬をあっさりと交わすと、標的は前でデットヒートを繰り広げるブエナビスタとアーネストリーの2頭に搾られた。

少女は言う。
ステイゴールド産駒はみんな個性があって面白い。ただナカヤマフェスタの魅力は切なくて、でも夢を感じるエピソードなのだと──。
ナカヤマフェスタのオーナーはメトロポリタンSから変更になっている。これは2009年末に前オーナーであった和泉信子氏が亡くなったことにより、父・信一氏がナカヤマフェスタが引き継いだためだ。何の偶然か、信子氏は生前、宝塚歌劇団のファンだったという。

前オーナーの魂が宿ったか。
“宝塚”の舞台でナカヤマフェスタが躍動する。
早め先頭で粘り込みを図るアーネストリーと内から猛追するブエナビスタ。激しい叩き合いを演じる2頭をナカヤマフェスタが外から豪快な末脚でまとめて交わし去る。後方から迫ったドリームジャニーの追撃も凌ぎ、最後は2着に半馬身の差をつけゴール板を先頭で駆け抜けた。
同年の年度代表馬となるブエナビスタをも破ってGⅠ初戴冠となったこの宝塚記念の大金星には、何か見えざる力があったとして誰も驚きはしないだろう。

さらに夢を追ったナカヤマフェスタは同年秋、フランスに飛ぶ。
宝塚記念を勝ったことでその賞金のほとんどを遠征費用に充てて凱旋門賞に挑戦することになったのだ。現地の前哨戦で2着に入ると、本番でも10番人気の低評価を覆す走りで最後の最後まで先頭争いを繰り広げた。アタマ差の2着には敗れたものの、これは2021年時点で凱旋門賞における日本馬と優勝馬との最小着差であり、日本馬が凱旋門賞制覇に最も近づいた瞬間だったとも言える。
その時の遠征チームの愛称であった「チームすみれの花」は、宝塚歌劇団を象徴する歌である「すみれの花咲く頃」にちなんでつけられたものだという。
少女が教えてくれたのだが、これらのエピソードはどうやらウマ娘に登場するギャンブラーですみれの花を育てているというナカヤマフェスタの設定に繋がっているらしい。

「やっぱり北海道に行きたい。色んな名馬に直接出会いたい。誘導馬の騎手もやってみたい」

ダービーの後、SNSに連絡をくれたお母さんを通じて、少女に今後やりたいことについて質問をするとこう返ってきた。続けてナカヤマフェスタ以外に好きな馬を聞くと、「グリーングラス」と、これも予想だにしない馬の名前があがる。まだ中学生の彼女がこれからどんな世界を見て、どのような道を歩んでいくのか。またどんな馬を馬を好きになってどんな馬を応援するかは私には知る由もないが、できることならこのままずっと競馬を、そして馬を愛してくれることを願いたい。
彼女が北海道に渡るのは高校生の頃か、それとも大学生になった頃か。いずれにせよ、今よりも少し大人に近づいた時に見る北海道の広い大地と雄大な馬たちの姿を大切にしてほしい。
ナカヤマフェスタには彼女が会いに行くその時まで、是非とも元気に過ごしてもらいたいものである。

彼女がナカヤマフェスタに会いに行くのはきっと、鮮やかな紫の『すみれの花咲く頃』。きっとそうに違いない。
紫のすみれの花言葉は、「愛」だという。

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