[ニュースコラム]オークスを駆け抜けた風!今村聖奈騎手とジュウリョクピエロ、歴史のその先へ

2026年5月24日東京競馬場。どんよりとした雲が垂れ込み、初夏の陽射しが届かない芝コース。

ファンファーレの演奏が始まり、選ばれた18頭の牝馬たちが、未来を懸けてゲートへ収まっていく。オークス——優駿牝馬。その名が示す通り、この舞台はただ速い馬を決めるだけの場所ではない。才能と覚悟、そして「運命」が交差するクラシックレースである。

今年の大舞台をもっとも鮮やかに駆け抜けたのは、今村聖奈騎手とジュウリョクピエロだった。

■伝わって来る今村聖奈騎手の緊張感

オークス当日の今村聖奈騎手の騎乗は、1レースと3レースはダートの未勝利戦、5レースの未勝利戦、9レースの国分寺特別は芝コース。いずれも掲示板に載ることは叶わず、今村騎手の様子からも、大舞台を前にした緊張感が伝わって来るかのようだった。

パドックで騎乗馬へ向かうときのいつもの満面の笑顔。今日はその笑顔も見られない。

考えてみれば当然のことだ。今村騎手はデビュー以降、東京競馬場では一度も勝利を挙げていない。さらに、東京2400mでの騎乗経験も無し……。そんな厳しい状況下で3歳クラッシックレースに初騎乗、しかも騎乗馬が人気馬となれば緊張状態になるのも無理はない。

9レースの国分寺特別で、今村騎手が目の前を通り過ぎていく時、

「聖奈さん、オークスデーを楽しもう!」

今村騎手の普段とは違うその表情を見つめながら、私は心の中で叫んでいた。

パドックではオークスの舞台が整う。

10レースのフリーウェイSがスタートし、スタンドの実況がパドックまで聞こえてくる。すでにパドックは超満員で、何重にも人、人、人...。スタンドの上段もびっしりと観客が集まっている。

出走馬の登場と共に、一斉にシャッター音が鳴り響く。巻き返しを狙うアランカール、桜花賞馬スターアニス、旧萩原厩舎のドリームコア。一頭一頭がそれぞれの表情でパドックに登場する。そして、16番ゼッケンをつけたジュウリョクピエロが登場。父オルフェーヴルから受け継いだ美しい栗毛、パシュファイヤーを装着しやや興奮気味に周回を始める。

どの馬もこの日のために仕上げてきた美しい馬体。アルアイン産駒のラフターラインズ、スマートレイアーの娘スマートプリエールの馬体が際立って見える。ジュウリョクピエロは、周回を重ねていくと速足になり、発汗が目立つようになってくる。

「あんたが落ち着かんと、聖奈さんが困るやろ!」

カメラでジュウリョクピエロを追いながら、これ以上イレ込まないことを祈った。

パドックの中央では、出走馬の馬主たちが、出走馬毎に所定の場所に集まっている。それぞれの馬主の元へ、騎乗する騎手たちが向かう。

騎手の控室から真っ先に出てきたのは今村騎手だった。やはり笑顔は見られない。彼女は緊張を帯びた表情のままパドックの最前列に立ち、しばらく周回する馬たちを見つめていた。しかしその背中には、ファンの夢や関係者の思い、そしてクラシックレースという大舞台に初めて挑む覚悟までもが重なり合い、ひときわたくましく映った。

止まれの合図が響くと、周回していた馬たちが一斉に足を止め、あちらこちらからシャッター音が鳴りはじめる。

華やかな衣装をまとった女性職員が騎乗する誘導馬に導かれ、各馬の歩みは最後の1周へと移っていく。M.ディー騎手、武豊騎手、C.ルメール騎手、坂井瑠星騎手──名だたる騎手たちが、それぞれに決意を宿した表情で目の前を通り過ぎていった。

芦毛のアンジュドジョワに跨る岩田望来騎手の後ろから、ジュウリョクピエロと今村聖奈騎手が姿を見せる。相変わらず彼女の表情は硬く、9レースで見たときよりもさらに緊張が増しているように見えた。

「馬の邪魔をしないでエスコートしたい」

「楽しく騎乗できたら」

レース前のインタビューで語っていた、あの素直な心境。

どうか、初めてのクラシックの舞台を思い切り楽しんでほしい──そんな願いを胸に、馬道へと消えていくジュウリョクピエロと今村騎手の背中を見送った。

■第87回オークスのゲートが開いた!

ゲートが開いてからの今村騎手の騎乗は、驚くほど自然だった。無理に位置を取りに行かず、ジュウリョクピエロの呼吸を優先する。気性の難しさも、気分良く走れた時の爆発力も、彼女は誰より知っていた。デビュー前から調教に跨り、共に時間を過ごし、この馬と向き合ってきた積み重ねがある。だからこそ、落ち着いた流れでも慌てなかったのだろう。

向こう正面。西村淳也騎手のトリニティが誘導するペースは緩く、各騎手が勝負どころを探り始める。先行するC.ルメール騎手のドリームコアが視線を動かし、桜花賞馬スターアニスを意識している。D.レーン騎手のラフターラインズが中団より後方の位置で外を回りペースを測る。今村騎手は、ラフターラインズの直後につけ、ただ静かに馬のリズムへ身を委ねている。

「まだ行かなくていいよ」

そんな声が、手綱越しに伝わっているようにも思えた。

オークスは2400m。速さと勢いだけでは勝てない。折り合い、我慢、そして最後にどれだけ脚を残せるか。その意味で、この日の今村騎手の騎乗は実に冷静だった。若さゆえの勢いではなく、勝負師としての計算があった。

そして、最後の直線へ。

残り300メートル、向正面から勢いよく上がっていったリアライズルミナスがトリニティを交わして先頭に立つと、場内がざわめきに包まれた。

ジュウリョクピエロは後方5番手の外。しかし今村騎手はまだ追わない。ジュウリョクピエロの背中には、ここから弾けるための力がまだしっかりと残っていた。

残り200メートル。今村騎手は進路を内に定め、ついに追い出しにかかる。軽く促された瞬間、ジュウリョクピエロのストライドが一段階大きく変わった。まるで重力から解き放たれたかのような伸び脚だった。

先頭のリアライズルミナスは必死に粘り込みを図る。その外からドリームコアが迫り、C.ルメール騎手が一気に射程圏へ。差はみるみる縮まっていく。

そしてゴール前。

先頭に立ったドリームコアめがけて、最内からはM.ディー騎手のレイクラッシック、大外からはD.レーン騎手のラフターラインズが襲いかかる。

その内側、わずかなスペースを突いた今村騎手とジュウリョクピエロが、一完歩ごとに前との差を削っていく。大外から伸びるラフターラインズに抜かせることなく、ドリームコアを交わし切り、今村騎手とジュウリョクピエロは、そのまま歴史の先へと飛び込んでいった。

そして、22歳の女性騎手は、日本のリーディングジョッキー、海外の名手たちの追撃を封じ切って、初めてのクラッシック制覇を成し遂げた。

ウイニングランを終え、今村騎手とオークス馬ジュウリョクピエロが検量室前へ戻ってくる。

関係者たちの拍手と歓声に迎えられながら歩みを進める今村騎手の表情には、いつもの「聖奈スマイル」が戻っていた。それはまぎれもなく、Z世代ど真ん中の「22歳の普通の女子」が見せる、飾らない笑顔だった。

■夢のあとさき…

女性騎手によるクラシック初制覇。その事実は、確かに競馬史に刻まれるだろう。だが、この勝利を単なる「女性初」という言葉だけで語るのは、どこか違う気がする。

この日の今村騎手は、「女性騎手」として勝ったのではない。ひとりの騎手として、もっとも美しく、もっとも強い競馬をしたのである。

「女性騎手としてではなく、『騎手・今村聖奈』としてオークスを勝った」

私は、そのように思いたい。

ウイナーズサークルで見せた彼女の姿が、それを象徴していた。勝利騎手インタビューで語られた言葉には驕りがなかった。自分の偉業を語るのではなく、馬への感謝を真っ先に口にする。その姿に、東京競馬場を包んでいた熱狂は、いつしか温かな拍手へ変わっていった。

競馬は、人と馬が作るスポーツだ。どれほど名手でも、馬が心を開かなければ勝てない。そして馬もまた、人を信じなければ限界を超えられない。今村騎手とジュウリョクピエロには、その「信頼」があった。だからこそ、あの末脚は生まれたのだろう。

クラシックを勝った瞬間、多くの騎手は「到達」を語る。だが彼女は、「未来」を見ていた。勝利をゴールではなく、続いていく物語の一章として受け止めていたのである。

オークスの風は、確かに彼女の背中を押した。

しかし、その風を掴み取ったのは、今村騎手自身の覚悟だった。ジュウリョクピエロとともに駆け抜けた2400mは、単なるひとつのGⅠではない。競馬という世界に、新しい景色が生まれた瞬間だった。

今村聖奈騎手とジュウリョクピエロの物語は、まだ終わらない——。

写真:Ruco、I.Natsume

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