[ステイヤーズS]トウカイトリックにアルバート……ファンに愛された名ステイヤーたち。

12月の中山競馬開催は、魅力的なレースが沢山ある。有馬記念はもちろんの事、ホープフルステークスや中山大障害といったG1並びにJ-G1レースも魅力のひとつ。

そんな12月の中山開催の幕開けといえば、中山競馬場内回りのコースを約2周する「ステイヤーズステークス(以下ステイヤーズSと略)」であろう。障害のない平地コースで行われるレースでは最も長い芝3600m。開催時期は異なっても1967年の第1回以来、中山競馬場 芝3600mで行われている伝統の一戦だ。1984年のグレード制導入後、1996年まではG3レースのハンデ戦で行われていたが、1997年に別定重量戦のG2レースに変更し現在に至っている。

ちなみに、第1回ステイヤーズSの優勝馬リコウに騎乗したのは横山富雄元騎手。現役で活躍している横山典弘騎手の父であり、横山和生騎手・横山武史騎手の祖父である。2011年〜2020年の10年間を見ると、横山典弘騎手は5回騎乗して3勝、2着1回と抜群の成績を残している。さらに、横山典弘騎手は1999年のペインテドブラックでステイヤーズS初勝利を挙げると、昨年(2020年)のオセアグレイトまで合計6回制している(2021年現在)。

ただ、上には上がいるもので、6勝はステイヤーズSの最多勝ではない。最多勝は7勝で、岡部幸雄(元)騎手が記録している。しかし、そんな岡部騎手もステイヤーズS初制覇は騎手生活もベテランに差し掛かった1988年(40歳)の事。同期の柴田政人元騎手が既にステイヤーズSを3度制覇していていたのとは対照的であった。

岡部騎手がステイヤーズS初制覇を達成した時に騎乗していたのが、スルーオダイナという馬である。

※馬齢はすべて現在の表記に統一しています

スルーオダイナ(1988年・1989年)

スルーオダイナの父は1980~1990年代前半の日本を代表する種牡馬ノーザンテースト。母はスルー、母の父はボールドルーラーという血統である。後に芝3600mのレースを制した馬であるが、2歳(1986年)夏のデビュー戦は函館競馬場の芝1000mだった。続く2戦目も芝1000m戦であったが勝ち上がり、4戦目のデイリー杯3歳Sでは1番人気に支持されていた(結果は5着)。

その後、3歳(1987年)冬の400万下(現在の1勝クラス)ダート1800mで2勝目を挙げたが、矢野進調教師はスルーオダイナの適性は長距離にあると判断し、4歳シーズン(1988年)からは芝2500m前後の距離で走らけるようになった。すると、900万下(現在の2勝クラス)を制し、G2のアルゼンチン共和国杯でも僅差の2着と健闘した。

アルゼンチン共和国杯2着の後、進んだのはステイヤーズS。アルゼンチン共和国杯を含むオープンクラスで2度2着と健闘し、ハンデも55Kgと恵まれた事もあってダントツの1番人気(単勝1.6倍)に支持された。

レースは3番手を進んでいたスルーオダイナに対し、前年の覇者で2番人気のマウントニゾン(柴田政人騎手騎乗 ハンデ57Kg)は後方からの競馬を選択し、2周目の4コーナーで2番手までマクって来た。最後は岡部・柴田両騎手の腕の見せ合いであったが、前で競馬した分、スルーオダイナに余裕があったのか、マウントニゾンに1馬身3/4(0.3秒)差を付けての快勝。走破時計の3分46秒3は芝3600mの日本レコードというおまけ付きで、スルーオダイナは重賞初タイトルを獲得した。

5歳(1989年)の冬に行われたダイヤモンドSでは57.5Kgのハンデが課せられたスルーオダイナだったがここでも勝ち、天皇賞・春の主役まで上がって来た。前哨戦の阪神大賞典は2着入線も、他の馬の進路を妨害したため失格処分(降着制度が導入されたのは1991年)。それでも本番の天皇賞・春は単勝3.0倍の1番人気に支持された。

……が、その天皇賞・春では、若干20歳の武豊騎手騎乗のイナリワンが覚醒し優勝。スルーオダイナはミスターシクレノンにも及ばず、3着に敗れた。

宝塚記念(15着)、富士S(4着)の後、再びステイヤーズSがやって来た。しかし、前年は55Kgで出走できたのに対し、この年に課せられたハンデは59Kg。450Kg台の馬体重であるスルーオダイナには厳しいレースが予想された。しかしレースが始まると、道中は悠々と先行し、4コーナーで3番手に付ける。最後は後方から追い込んできたシャイニングスターに1馬身3/4(0.3秒)差を付け、1981年~1982年のピュアーシンボリ以来のステイヤーズS連覇を達成した。

6歳(1990年)のダイヤモンドSでは更に重い61Kgのハンデが課せられたが、ここでも快勝。しかし、その後は休養に入り、天皇賞・秋(10着)をもって引退した。引退後は種牡馬になったものの、父親クラスのステイヤーは出てこなかった。その産駒の中には、3着が通算11度のブロンズコレクター、ヤマヒサヒロインなどがいる。ヤマヒサヒロインは2500m戦のグッドラックHで2着など、スタミナの片鱗を見せた。

産駒の稼ぎ頭ヤマヒサヒロイン。9歳(02年)まで現役を続けた。

一方の岡部騎手は2005年の引退までにステイヤーズSを通算7勝挙げ、名手ここに在りをアピールした。そして、2002年のホットシークレットの優勝が岡部騎手にとって最後の重賞制覇でもある。54歳0カ月31日でのJRA重賞制覇は2021年8月に行われたレパードSの柴田善臣騎手(55歳0カ月10日)に更新されるまで、JRA最年長重賞制覇の記録として残っていた。

トウカイトリック(2012年)

昭和と平成の狭間の時代、ミスタートウジンという馬がいた。重賞レースの勝利こそなかったが、2歳から14歳までの間、なんと12年間で99回走ったタフガイだった。ミスタートウジンは3歳(1989年)の皐月賞に出走した時、13着と大敗したものの、朝日杯3歳Sを制したサクラホクトオー(19着)には先着した。

それから9年後(1998年)、ミスタートウジンが13歳を迎えたが、銀嶺ステークスというレースでサクラホクトオーの息子であるサクラスピードオーとミスタートウジンが出走。ミスタートウジンが8着、サクラスピードオーが13着と、ミスタートウジンが親子2代に渡ってレースで先にゴールインした事がある。

ごく稀なケースであるが、一緒に走り、種牡馬になった馬の子供とレースで相まみえる事がある。2010年のステイヤーズSを10歳で制したトウカイトリック。彼の同期はディープインパクトであった。

2歳(2004年)の夏にデビューしたトウカイトリック。デビュー戦を制したが、2勝目は3歳(2005年)の5月まで時間が掛かった。3歳秋の神戸新聞杯ではディープインパクトの7着に終わったが、秋の福島記念で2着に入り、オープン入りを果たす。中長距離路線にシフトしたのは、4歳(2006年)冬の日経新春杯から。阪神大賞典では、勝ったディープインパクトには離されたがものの2着と健闘。そしてこの年、ステイヤーズSにも初出走を果たし、2番人気2着となった。

オープンクラスの馬が出走できる芝3000m以上のレースは限られている。しかし、長距離戦を得意とするトウカイトリックはそこに活路を求めた。5歳(2007年)の時にはダイヤモンドSを、8歳(2010年)の阪神大賞典を制する。さらに、8歳の時にはオーストラリアの最大のレースで芝3200mのハンデレース・メルボルンカップにも出走した(結果は12着)。

だが、9歳(2011年)のトウカイトリックはステイヤーズSを3着、天皇賞・春で5着に健闘するものの、勝ち星は挙げられず。10歳(2012年)になっても勝ち星はなかなかあげられず、ステイヤーズS直前のトウカイトリックの10歳シーズン最高着順は阪神大賞典・万葉ステークスの6着であった。

迎えた2012年のステイヤーズS。人気はメイショウウズシオ、デスペラード、フォゲッタブルと続いた。ディープインパクト産駒ファタモルガーナも4番人気。一方トウカイトリックは8番人気(28.0倍)の伏兵的存在に過ぎなかった。

大外15番枠からスタートしたトウカイトリック。スタート後は7,8番手を追走した。騎乗した北村宏司騎手は馬群の切れ目を見つけると、ロスなく走らせようと内に進路をとった。メイショウウズシオ、フォゲッタブルは先行、ファタモルガーナは後方2番手、デスペラードは最後方、縦長の展開で1周目を過ぎる。

2周目のバックストレッチから3コーナーに掛けて、縦長だった馬群が徐々に詰まる。ファタモルガーナ、デスペラードが一気に上昇しペースが速くなっていく。下がって来た馬を北村騎手は上手く捌き、トウカイトリックを外に出し、2周目の4コーナーから直線に入った。

最後の中山の急坂。メイショウウズシオとファタモルガーナの間にスポットができた。迷うことなくトウカイトリックが入っていく。外からはデスペラードも急襲。しかし、北村騎手の叱咤激励に応えたトウカイトリックは先頭でゴールイン。10歳馬による平地重賞制覇は、2008年のアサカディフィートの小倉大賞典以来の快挙だった。

その後、トウカイトリックは12歳(2014年)の万葉Sで4着まで走り、2月に現役引退。61戦のレースで走った距離は175.1km。東海道新幹線の実際の距離に換算すると、東京から静岡までの間167.4kmを僅かに超える距離を走ったことになる。同期のディープインパクトの走破距離33.6kmと比較すると、約5倍の距離を走った計算だ。天皇賞・春は、8年連続の出走となった。

引退後は京都競馬場で誘導馬の練習をしていた。いつの日か天皇賞・春で後輩の馬達を先導する役割を夢見ていた。が、2014年4月16日に放牧中の骨折により、この世を去った。

そして、5月4日の天皇賞・春当日。本馬場入場の際に実況を担当した関西テレビの岡安譲アナウンサーが「そして今日はもう一頭紹介させて下さい」の一言を添えて、「今日は天国から後輩達の活躍を見守っています」とトウカイトリックを追悼した。

アルバート(2015年~2017年)

血統の面白いところのひとつが、父親の特性がそのまま伝わらないこともある……という点。2015年から2017年のステイヤーズSを3連覇したアルバートも、そんな血統の神秘を感じさせる一頭だった。父は朝日杯フューチュリティステークスやJBCクラシック3連覇など芝・ダートのG1級レースを7勝したアドマイヤドン。この血統からなぜステイヤーズSを3連覇する馬が出てきたのだろうかと思う人もいたことだろう。母の父が、菊花賞などを制したダンスインザダークなので、そこからスタミナを受け継いだのかもしれない。

2歳(2013年)の夏にデビューしたアルバート。4歳(2015年)の夏に素質が開花した。500万下(現在の1勝クラス)から3連勝。そのうちの2勝は芝2400mで行われたものだった。

そして短期免許で来日中のライアン・ムーア騎手と挑んだステイヤーズS。アルバートは1周目、後方に待機する。前半1000mが64.5秒のスローペースでレースが進む。ムーア騎手は無駄なくレースを進め、最後の直線で馬群の真ん中から抜け出し、最後は2着のカムフィーに5馬身(0.8秒)差を付ける圧勝を演じた。

5歳(2016年)のアルバート。長距離競馬の最高峰である天皇賞・春に挑んだが、6着に敗れた。上述したスルーオダイナにしろ、トウカイトリックにしろ、スタミナがあっても京都競馬場の高速馬場に対応できるスピードや瞬発力を兼ね揃えねば、春の天皇盾にはなかなかたどり着けない。結論から書くと、アルバートはその後天皇賞・春には2度出走したが、6歳(2017年)の5着が最高着順だった。

秋はアルゼンチン共和国杯(2着)からステイヤーズSに進んだアルバート。前年の勝利により、ハンデは1Kg加算され57Kgのハンデで挑む事になった。単勝オッズは1.3倍の1番人気。最後は3番人気のファタモルガーナとの接戦となったが、最後はクビ差でアルバートが連覇を果たした。

6歳(2017年)のアルバートはハンデ58Kgで挑んだダイヤモンドSを制し、前記の通り、天皇賞・春は5着に入線。5歳までの秋は天皇賞・春の後は休養し、アルゼンチン共和国杯でひと叩きをしてステイヤーズSに挑んでいた。… この年はオールカマー(7着)、アルゼンチン共和国杯(4着)と使い、馬が一番仕上がっている状態とされている休養明け3戦目にステイヤーズSを走ることとなった。前年に続き、単勝オッズは1.3倍と断然の支持を得て出走したアルバート。2015年の天皇賞・春で2着になったフェイムゲームに2馬身1/2(0.4秒)差をつけて快勝する。JRA史上10頭目となる同一重賞3連覇を果たしたのだった。

7歳(2018年)になり、京都大賞典(3着)、アルゼンチン共和国杯(10着)とステップを踏み、史上初のJRA同一重賞4連覇が掛かった4度目のステイヤーズS(オジュウチョウサンが中山グランドジャンプで達成したのは2019年)。誰もが記録達成を期待していたが、当日の朝に右前肢ハ行のため、出走取消となってしまった。それでも、引退はせず8歳(2019年)のステイヤーズSに出走。勝ったモンテインテロとは0.1秒差の2着と健闘した。

2020年のステイヤーズSの13着でもって引退したアルバート。引退後は種牡馬となり、産駒は早ければ2024年デビューとなる。果たして、父アルバート譲りのステイヤーが出てくるのか? それとも、祖父のアドマイヤドン、曽祖父のティンバーカントリーからの遺伝でダートが得意な子供が出てくるのか? アドマイヤドンの母・ベガの血を持つ少ない種牡馬として、活躍してほしい。

写真:Horse Memorys、かず、かぼす

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