碧雲牧場に到着すると、真っ先に福ちゃん母子のもとに向かいました。視聴者の皆さまと同様に、僕も福ちゃんの様子をYouTubeチャンネルでは毎日見ていて、その成長ぶりを手に取るように感じてはいますが、いざ目の前にしてみると、2カ月前とは身体の大きさが違うことが分かります。生まれたときはおそらく60kgぐらいでしたから、今はその2倍の120kg、いやそれ以上あるようにも感じられます。まだ小さいと思っていた自分の子どもに、いつのまにか身長を追い越された気持ちです。実際に、2カ月前は自分よりも小さかった仔馬が、今はもう自分よりも(体重的には)大きくなっているのです。サラブレッドの成長は速いのは知っていますが、こうして相対してみると、福ちゃんの成長には驚かざるを得ません。
昨日は初めての削蹄をしたとのこと。人間の爪と同じように、馬も蹄が伸びると切ったり、削ったりして、歩きやすいようにします。装蹄師さんに来てもらいますので、それまでに肢を持たれて上げたり、裏掘りといって蹄の裏に入り込んだ泥や土を取り除く練習をして、削蹄に備えます。福ちゃんは肢を持たれるのも、裏掘りも問題なくこなしてくれました。削蹄も見える側は怖がったそうですが、見えない側は大丈夫だったとのこと。見えると怖いという心理は人間と同じですね。普段の生活の中では、目のことなど忘れてしまうほど何の問題もないのですが、こうした僅かな行動や反応で、福ちゃんは片目が見えないことをハッと思い出させられます。
放牧から戻ってきて、馬房でゆっくり母子水入らずの時間を楽しんでいるようでしたので、あまり長居せずにお暇しました。その後は、昼夜放牧中の1歳馬を見に行きました。福ちゃんのお姉さんであるダートムーアの23(写真左)は僕が来たのに気づき、牧柵の近くまで寄ってきてくれました。相変わらず可愛らしい馬です。流星もスッと伸び、たてがみもメッシュのようになっていて、美貌に溢れています。ツキくんのお姉さんも来てくれて、彼女たちの歓迎ぶりにはいつも癒されます。
馬房を挟んで向こう側の放牧地には、スパツィアーレの23(父ルーラーシップ)がいました。マンちゃんのお兄さんらと一緒に、男子だけの共同生活を営んでいます。放牧地の中に入ると、こちらは手荒な歓迎をしてくれて、ここまで大きくなるとさすがに手に負えない感じです。生まれたばかりの頃はお腹から液が漏れて心配させたり、風邪を引いて注射を打ったりしていた仔馬が見違えるように大きくなっていて感慨深いものがあります。ダートムーアの23もスパツィアーレの23もセレクションセールに申し込みをしていますから、5月8日に審査の結果が出るはずです。どちらもセレクションセールに出場できることを今は願うのみです。
これは昨年(2023年)の結果ですが、セレクションセールの売却平均価格は約2000万円、中間価格は約1700万円です。牡馬・牝馬によっても違ってきますが、セレクションセールに選抜された時点で、1000万円以上の価値はあると判断されたということでもあります。だからこそ、日高の生産者はセレクションセールを目指しているのです。セレクションセールの審査に落ちてしまった場合はサマーセール。昨年の売却平均価格は約700万円、中間価格は約500万円です。ずいぶんと売却額に差があることがお分かり抱けると思います。そして次のセプテンバーセールは売却平均価格が約500万円、中間価格が400万円と、後のセリになればなるほど下がっていきます。もちろん、サマーセールやセプテンバーセールでも高額で落札される馬はいるにはいますが、統計的には出るセリによって馬の値段は異なるのが現実なのです。
最後にスパツィアーレのもとに行ってみました。繁殖シーズンに入った大事な時期に、腸閉塞からかボロ(糞)が出なくなってしまい、2週間ほど生死の境をさまよっていました。僕は実際にその現場を見ていませんが、苦しがって馬房で暴れ、それは壮絶な光景だったそうです。今は少しずつ体調も戻ってきて、ようやく外にも出られるようになるまで回復しましたが、さすがに馬体は痩せてしまっており、暴れてぶつけたりした肢がフレグモーネになって腫れてしまっています。
不受胎で1年間、空胎で過ごしたばかりか、結局、今年も早めから種付けに行くことも叶わず、最初のリアルスティールは不受胎、そしてこのありさまですから、スパツィアーレも辛かったでしょうし、僕も頭が痛いです。それでもスパツィアーレが昨年産んでくれた男の子がセレクションセールに通って、ある程度の値段で売れてくれたら、スパツィアーレとしては大仕事をしたことになります。たとえ2年か3年に1頭しか産めなかったとしても、その1頭が高く売れたり、競馬場で活躍してくれたなら、しばらく安泰です。お金の話ばかりしてしまって申し訳ないのですが、それが生産現場の現実のひとつでもあるのです。
今日の夕食は天ぷらと蕎麦でした。アスパラやしいたけなど、北海道の食材を天ぷらにしてそのまま食べると美味です。北海道産の蕎麦は、色は薄くてさっぱりしています。毎回、僕が牧場に行くたびに、こうしてもてなしてくれる慈さんのお母様にも感謝の気持ちで一杯です。「福ちゃんの心の声、とても素敵よ。あれって、誰の声なの?みづきちゃんはAIなんじゃないかって言ってるけど」と聞かれたので、「あれはうちの会社の育休中のスタッフが吹き込んでくれています。AIじゃないです(笑)」と答えました。
そういえば、他の場所でも「あの素人っぽいナレーションもいいですよね。電通とかが入っていないとすぐ分かりますから」と言われました。たしかに牧場の人たちが動画を撮影してくださって、そこに我が社の育休中のスタッフが子どもが寝てる間に言葉を録音し、僕が編集してYouTubeにアップしますので、まさに素人集団です。それがかえって良かったのかもしれません。
理恵さんたちがつくってくれた、福ちゃんのキーホルダーをいただきました。表が福ちゃんの正面からの写真で、裏が右側から写したもの。キーホルダーによって、様々な写真のバージョンがあるそうです。福ちゃんは右から、左から、正面から写したときの表情が全く違っていて良いですね。
そういえば先日、川崎競馬場のパドック解説を担当し、レースの合間に放送室の外に出て、一般の競馬ファンが出入りするラウンジのような場所で休憩していると、「治郎丸さんですよね?」と声を掛けられました。手には「パドックの教科書」を持っていて、「サインしてください!」と言われました。「ありがとうございます」と言いつつ、サインをしていると(サインといっても僕の名前とメッセージ、日付、相手の名前を書くだけで、いわゆるサラサラっとしたサインではありません)、「福ちゃんも応援しています!実は私も左目が見えなくて…」と切り出されたので、彼の顔をよく見てみると、たしかに左目が少し小さい気がします。薄い色の入ったサングラスをしているので分かりにくいのですが、言われなければ分からないぐらいです。彼も生まれつきらしく、自分のことのように思えて応援していますとのこと。片目が見えないと映画館で3Dメガネをかけても全然3Dに見えないという話などをして別れました。
その話を理恵さんにしたところ、そういうときにこのキーホルダーを渡せるようにと、みづきさんたちと一緒に20個ぐらい手作業でつくってくれたそうです。「自分たちで1個1個つくったから、写真が上手くはまっておらずズレているのもあるけど」とのこと。「それはそれで、牧場の人たちの手作り感が溢れていて、いいんじゃない」と返しました。素人っぽさや手作り感を隠さずにいこう、そう僕は心に決めました。
牧場スタッフのみうさんも、ゲームセンターで取った競走馬の人形をくれました。なんと真ん中には、福ちゃんの叔母さんにあたるエアグルーヴがいるではないですか!みうさんは露知らず、たまたま取ってきてくれたのだと思いますが、ゲーセンでエアグルーヴの人形があったこと自体が奇跡的です。たとえば、ディープインパクトやアーモンドアイなどの最近の名馬たちなら良くある話ですが、まさか20年以上前の名牝、しかも福ちゃんと血がつながっているエアグルーヴとは…。1年前に理恵さんからいただいていたコントレイルと並べて、僕の自宅のリビングに飾ることにしました。
翌朝は4時に起床。せっかく福ちゃんの撮影に来たのだから、馬や牧場の人たちと同じ生活をしてみようと思ったのです。4時半から、馬出しといって、夜の間は馬房にいた馬たちを放牧する仕事が始まります。僕はカメラを片手に、静寂の中、馬房へと向かいます。意外にも外はすでに明るく、寒くも暑くもない気温で、気持ちの良い朝。すでに馬たちは外に出る気満々、いつでも出て行きますよという雰囲気が厩舎から漂っています。馬たちは早起きです。
朝日を浴びながら登場する母子たち。神々しい光景です。福ちゃん母子は最初に出てきて、放牧地に入るや駆け出していきました。その後、5組の母子が続々と放牧地に放たれ、牧場の1日はスタートします。1年間365日、1日も欠かすことなく、牧場の日常はこうして始まります。昨夜飲み過ぎて今日は眠いからとか、風邪気味で熱があるからとか、人間の都合などお構いなしに、自然の摂理として、牧場は動いているのです。
その後、部屋に戻ってから少しだけ横になって、再び放牧地へと向かいました。福ちゃんたちはどのように過ごしているのか、この目で確かめなければいけません。放牧地の中に入って福ちゃんを探すと、横になって寝ています。誰かに踏まれてしまうのではないかと心配してしまうぐらい、放牧地のど真ん中に横たわっています。ムーア母もその他の馬たちも、草を食べたり、遠くを眺めたり、思い思いに過ごしています。暇を持て余すわけでもなく、何かに追い立てられるわけでもなさそうです。忙しく汲々とした日々を過ごしている僕たちとは、時間の流れが全く違うのでしょう。
ぼくたちが毎日を生きている同じ瞬間、もうひとつの時間が、確実に、ゆったりと流れている。日々の暮らしの中で、心の片隅にそのことを意識できるかどうか、それは、天と地の差ほど大きい。
「旅をする木」
大好きな写真家である星野道夫さんの文章の一節です。北海道から東京に戻り、僕が毎日を生きている同じ瞬間、福ちゃんたちは北海道の日高の放牧地で草を食べているのです。もうひとつの時間が、確実に、ゆったりと流れているのを僕は感じることができるの。それは自分が生きている世界とは別の世界が確実に存在して、僕たちが生きている世界などたったひとつのちっぽけな世界にすぎないということでもあります。もうひとつの時間を意識し、広い世界を想像することができると、僕たちの世界に対する見かたは天と地ほど違ってくるはず。自分だけの世界で悩んだり、苦しんでいることも、もうひとつの時間の中では取るに足りないちっぽけな話なのです。僕は何かあると、片目の福ちゃんが北海道の牧場でお昼寝している、もうひとつの時間を想像することにしています。
photo by S.Degoshi
(次回へ続く→)