![[連載・片目のサラブレッド福ちゃんのPERFECT DAYS]一か八かステロイドを打つ(シーズン1-70)](https://uma-furi.com/wp-content/uploads/2025/10/S__28139549_0.jpg)
「もうひとつの選択肢としては、このまま様子を見て、ダートムーアの当歳の回復を待つことです」
僕としては後者の選択肢を選びたいところでした。せっかくこの世に生を受けた仔馬がまだ生きているのに、僕の判断で命を奪うことには大きな抵抗があります。ただ、慈さんの言葉のニュアンスからは、ダートムーアの当歳はかなり厳しい状況であることも伝わってきます。自分の目で見ていないからこそ僕は楽観視しているだけで、現場で直接に携わっている人間から見ると、ここから回復して誰かに買ってもらえるような競走馬になることはかなり難しいということです。数々の馬たちを育ててきた生産者には、そのあたりのリアルな未来が見えているのでしょう。
僕は100万円かムー子の未来のどちらを捨てるか迫られているのでした。そして、もし僕がどちらかを捨てたとしても、結局のところ、どちらも失ってしまう可能性も十分にありました。100万円を捨てて、ダートムーアの当歳の回復に賭けたとしても結局亡くなってしまうこともあるでしょうし、ダートムーアの当歳を処分してフリーリターンを使おうとしても、1カ月を過ぎているからと断られることもあるはずです。
「こういう判断を迫られるのが生産者なのです」と慈さんは珍しく真剣に諭してくれます。彼の言いたいことはよく分かっています。生産の世界に足を突っ込んだばかりの僕には受け入れがたいだろうし、もしかすると非人道的だと自分を責めてしまうこともあるかもしれないけれど、今回の場合はダートムーアの当歳を処分してフリーリターンの制度を使うが正解なのです。これができないと、サラブレッドで生計を立てている人間は生きていけないのです。ペットを飼っているわけではなく、慈善事業でもない。百万から一千万単位の選択を誤れば、人が死ぬかもしれないのです。大げさに思われるかもしれませんが、多額の借金を抱えて首を吊った牧場主などあちこちにいる世界です。残酷だと思われても、命のやり取りができなければ、生産者としては失格なのでしょう。慈さんは僕が生かす選択をするタイプであることを重々承知で、釘を刺してくれたのでした。
それでも僕は殺す選択をすることに抵抗がありました。なぜかというと、ダートムーアの当歳の未来を奪った100万円をフリーリターンとして利用できて、運よくスパツィアーレがダノンレジェンドの仔を受胎して、産駒が生まれてきたとしても、僕は嬉しくないと思えたからです。もちろん、これは100万円の種付け料だから言える綺麗ごとです。
もし僕がキズナを種付けしていたら、2000万円を捨てるのかという選択を迫られていたということです。今の僕にとって2000万円を捨てるということは、会社を潰し、家族を路頭に迷わせ、自らが借金を抱え破産し、返すあてもなく、社会的な死、経済的な死、もしかすると肉体的な死を選んでも、病気の当歳の様子を見守るのかという選択です。この状況で後者を選ぶ人は誰一人いないと断言できます。つまり僕は、確固たる信念に基づいてダートムーアの当歳を生かしたいという判断をしているわけではなく、その場その時の経済合理性や損得勘定で、自分が傷つかない選択をしているだけなのです。
「こうしましょう。まだ回復の可能性が少しでもあるダートムーアの当歳を見捨てるのは嫌なので、スパツィアーレには明日明後日、予定どおりホットロッドチャーリーかマスタリーの種付けをします。それからダートムーアの受胎状況を見て、もし不受胎であれば、ダノンレジェンドのフリーリターンを行使するかどうか、その時にもう一度考えます。そうすれば、もう少し時間の猶予が生まれるので、ダートムーアの当歳が良くなるのか、悪くなってしまうのかも見極めがついているでしょうから」
ダートムーアの妊娠鑑定が行われる1週間後まで、僕は判断を引き伸ばすことにしました。ムー子にとっては、自らの肢で立ち上がって生き延びられるかどうか、この先1週間がヤマです。僕は直感的に、生産者としての決断をしなければいけない時が来たと感じていました。この世界に足を踏み入れた以上は、命を奪う選択から逃れ続けることはできないはずです。今までは誰かにその役割やコストを押し付けることで、僕は生きてきました。たとえば僕たちが食べている肉や魚は、見えないところで誰かが手を汚してくれたものです。誰かが取った命をいただいて僕は生きていた。ただその裏返しとして、僕たちも本来は命を差し出さなければならないはずです。僕たちは常に奪う側だけに立ち続けられるわけではなく、命のやり取りをしなければいけません。命を差し出す覚悟はあるのか。その覚悟がある者のみ、他者の命を奪うことができるはずです。救うにせよ奪うにせよ、僕は気がつくと、直接命のやり取りをして、覚悟を問われる立場に立ってしまったのです。

およそ1週間後、恐る恐る慈さんに電話をしました。「どうですか?」と尋ねると、慈さんは察したように、「全く変わらずです。自分の力で立ち上がることができないままです」と端的に教えてくれました。少しは進展が見られるかと期待していましたが、この1週間、ずっと立てないままとは…。このやりとりだけで、僕は事の重大さを改めて思い知りました。
「血液検査の結果を見ても、ロドコッカスは軽度のものでした。ロドコッカスを発症すると、通常は1万ぐらいの白血球の値が2万近くまで上がります。ところが、ダートムーアの25は1万2000ぐらいでしたし、レントゲンで肺に映る膿瘍も微かなものでした。獣医師さんが知り合いの牧場に聞いたりして情報を集めてくれましたが、ロドコッカスが骨髄に転移して立てなくなったというケースは1件だけしかなかったそうです。うちでも関節が腫れたりすることはありましたが、立ち上がれないほどではなかったですね」
ロドコッカスでもなく、ダミーフォールからほぼは回復していたとすると、今回の四肢が麻痺して立ち上がれないという症状には、原因が見当たりません。振り返ってみると、そもそも生後4日目に発症した謎の症状さえ、ダミーフォールだったのか明らかではありません。
何となくダミーフォール症候群ではないかということでダミーフォールの治療を施し、何となく回復し、次は何となくロドコッカスではないかと治療をしてみたけれど、立ち上がることはできていません。全てが原因不明で、病因と症状、治療がつながっていかない状態です。
「もしかすると脳の中の問題かもしれませんね」と僕がつぶやくと、すぐさま「僕もそうじゃないかと考えています」と慈さんは返してくれました。「この前、獣医師さんがレントゲンを撮ってくれましたよね。そこで脊椎や頭部には損傷が見られなかったということは、残された可能性としては脳の中しかないと思うのです。さすがに脳までCTスキャンしたりしませんものね」と聞くと、「そこまですることは滅多にないと思います」と慈さん。
今回、フリーリターン制度を使うにしても、また繁殖牝馬の(腹)保険を適用して保険金を払ってもらうにしても生後1か月以内には、生まれてきた仔が亡くなっていることが条件になります。生産者は病気や奇形の馬が生まれてきた際、ありとあらゆる手を尽くしたとしても、このあたりの期間をめどに諦める必要が出てくるのです。1カ月の間にクリニックに連れて行き、CT検査を受けて原因を究明し、治療して回復させるところまではなかなか行かないというのが現状なのではないでしょうか。僕たちもダミーフォールからロドコッカスまで経て、すでに1か月と20日が過ぎてしまいました。
人間の子どもであれば、どれだけ時間がかかろうが、あらゆる可能性を探って治療を試みるはずです。ただ今回は馬なのです。このあたりにもサラブレッドが経済動物であることが垣間見えます。どこかで割り切って、次の可能性に向かわなければならないのです。正直に言って、病気がちな子どもが愛おしいように、ムー子は手間と心配をかけさせる分、愛着を持ち始めている自分がいます。何とかしてあげたい、このように死を目の前にしても奇跡的に回復して、その後、活躍した名馬もたくさんいると信じたくなります。それでも、電話の向こうにいる、生産の厳しさを知っている慈さんが冷静に、「かなり厳しいと思います。これぐらいの仔馬の場合、良くなるときは急激に良くなるものです。今回は1週間も自分では立てない状態が続いており、良くなる兆しが感じられません」と言うのが現実です。
「あとはステロイドを打つしかないと獣医師さんは提案してくれました。それが効くかどうかも分かりませんし、ステロイドには免疫を低下させる副作用もあるので、一か八かになります。それでも何もしないでこのままよりも良いかもしれません」と慈さんは最後の賭けを提案してくれました。そのとおりだと僕も考え、「そうしてください。お任せします」と僕たちの方向性は一致しました。このまま寝たきりの状態で碧雲牧場に迷惑を掛け続けるのも心苦しく、ムー子にも生殺しのような辛い日々を過ごさせていることになります。
一か八か、ステロイドを打つしかないのです。
(次回へ続く→)
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