[連載・片目のサラブレッド福ちゃんのPERFECT DAYS]旅立ち(シーズン1最終回)

ソッパして後ろの扉に激突したり、立ち上がろうとして天井に頭をぶつけたり、そうこうしている間にも馬運車は動いているため、バランスを崩して倒れては起き上がるを福ちゃんは繰り返しています。ミズキさんは何とか引き戻そうと、全身全霊で手綱を引っ張って応戦します。まるで500kg近いマグロが釣れたものの、引き上げようと思ったら大暴れされて、人間側が振り回されているような状態がしばらく続きました。

覚醒してから暴れ回る福ちゃんと奮闘、いや格闘したのち、「電話してください!」とミヅキさんからのGOサインが出ました。改善の余地がないばかりか、余計にヒートアップしていきそうな勢いを感じたので、正しい判断だと思います。この時点でおそらく15分間ほど走ったので、残り15分間もこの状況が続けば、福ちゃんだけではなく僕たちも無傷ではいられなくなります。大げさではなく、福ちゃんにのっかかられたり、蹴られたりしたら、命を落とす危険だってあります。福ちゃんに蹴られて死ぬなら僕は本望ですが、未来あるミヅキさんに何かあってはいけません。そうなってからでは遅いのです。

慈さんに電話をしようとしてスマホを後ろポケットから取り出すと、指紋認証が上手くいかず、何度かトライしているうちに、パスワードを入れる画面に切り替わってしまいました。おいおい、こんな緊急時に片手でパスワードを入れるのかよと焦りながら、右手のカメラは離さずに、左手の親指で6桁のパスワードを入力していきます。ところが、馬運車は揺れているので、わずかに押す場所を間違えたようで、ブブーっとパスワードが違いますという警告が出ました。まるでゾンビ映画のワンシーンのように、目の前で暴れる福ちゃんと振り回されているミヅキさんを傍目に、深呼吸をしながら、もう一度、ゆっくりと正確に1つ1つ番号を押していきます。

最後の⑦を押したとき、ようやくロックが解除され、先ほど準備しておいた画面が現れました。僕はすぐさま慈さんに電話をして、「いったん止めた方がいいです。厳しいですね」と端的に伝えました。慈さんは「そうですか、厳しいですか」ともう半分ぐらいまで来ているので何とかなりませんか」というニュアンスの返事が返ってきました。壁を一枚隔てて、運転席と馬運車の中では緊迫感が違うのです。このときほど、踊る大捜査線の青島俊作刑事ばりに「事件は運転席で起きているんじゃない。馬運車の中で起きてるんだ!」というセリフを使いたかったことはありません(笑)。慈さんには何度か状況の難しさを伝えて、馬運車を一旦止めてもらうことしました。

馬運車から出ると、そこはコンビニの駐車場でした。慈さんに手綱を渡し、ミヅキさんも一旦脱出しました。中で相変わらず暴れる福ちゃんを今度は慈さんがなだめてくれているのですが、どうにも止まりません。こうなってしまうと、なされるがまま、人間の力ではどうしようもありません。僕たちは判断を迫られました。このまま引き返す、もうひとつは理恵さんが馬運車を運転して、慈さんが馬運車の中に入って暴れる福ちゃんの手綱を持ちながら頑張ってもらう、最後は獣医師に来てもらって再び鎮静を打ってもらう、の3択です。

引き返すという選択はここまで来てしまうと難しいのは明らかでした。ちょうど半分まで来ているので、引き返す時間とエクワインレーシングまでの時間が同じであれば、何としても連れて行きたいところです。2つ目の選択肢は、理恵さんが運転できればよいのですが、馬運車のような大型車の運転には自信がなく、馬を乗せて交通事故を起こしては元も子もないため却下となりました。3つ目の選択肢は、揖斐獣医師が今どこにいるのか分からないですし、たとえ鎮静を再び打ってもらっても、これだけ興奮していては効きが悪い(効かない)はず。とはいえ、これ以上、同じことを繰り返せば、今度こそミヅキさんが怪我をしてしまうかもしれません。

コンビニの駐車場に止められた車の中で何かが暴れていて、外からでも分かるぐらいに音を立てて大きく揺れている光景は静かな恐怖でしかありません。まともな選択肢がない中で、それでもこのままの状態でいても何も解決しません。ひとまず獣医師に電話をしてみることになりました。慈さんが状況と現在の場所を説明し、「どれぐらいで来れますかね?」と聞くと、「15分はかかると思います」と返事が返ってきました。この状況が15分も続くことに、福ちゃんを含めて僕たちは耐えられるのかと絶望的な気持ちになります。それでも来ようとしてくれる揖斐先生の真摯さには頭が上がりません。神様が来るのを僕たちはひたすら待つしかないのでしょう。

そうこうしているうちに、福ちゃんが大人しくなってきました。暴れ疲れたのかと最初は思いましたが、疲れたというよりもボーっとしてきた感じです。「筋注はあとから効いてきます」と揖斐先生がおっしゃっていたことがフラッシュバックしました。あとから効いてくる分、効力も強いのでしょうか、あれだけ暴れ狂っていた福ちゃんが脱力しているではないですか。

これはチャンスということで、もう一度、ミヅキさんが馬運車に乗り込んでゴールを目指すことになりました。さすがに僕はもう不要ということで、運転席に乗ることになりました。ここまでに撮影した動画も、あまりにも恐ろしすぎて使えないでしょうから、もう馬運車内を撮影する必要はありません。また、今回の件で気がかりに思っていたのが、僕が乗っているから福ちゃんが暴れているのかもしれないということ。揺れる密室に閉じ込められて、普段接していない人が目の前にいることで、福ちゃんは何をされるのか怖くて逃げまどっているのかもしれないという危惧がありました。福ちゃんが碧雲牧場から卒業して、育成牧場に向かうシーンを間近で撮りたいと思ったばかりに、こんな事態になってしまったのかもしれないと思うと申し訳ない気持ちで一杯です。僕がいることがマイナスにしかならないのであれば、動画も使えない以上、馬運車に乗るべきではないのです。

そこからエクワインレーシングまでの道のりは、後ろで暴れる音も全く聞こえず、何ごともなくスムーズに進みました。ミヅキさんはひとりなので、馬運車の中の音や声が聞こえるように、理恵さんの携帯とスピーカーフォンでつなぎっぱなしにして、いつでも助けを求められるようにしていましたが、異常はなさそうです。僕は運転する慈さんと理恵さんの真ん中に挟まれて座りながら、とにかく無事を祈るばかりでした。

左手にエクワインレーシングの分場が現れたときは、助かったと思いました。包装紙はビリビリに破けて、箱の周りにはたくさん傷がついてしまったけれど、何とか荷物を送り先に届けられそうだと、義務を果たしたような気分です。立派なゲートが開き、場内に入っていくと、左手にスタッフさんが待ってくれています。13時30分から14時の間に到着する予定だったのに、遅らせてもらった15時をさらに過ぎての到着にもかかわらず、快く迎え入れてくれてホッとしました。ここに至るまで何が起こっていたのか、もちろん彼らは知る由もありませんし、わずか30分の道のりを輸送してきただけなのですが、僕たちは大仕事を成し遂げた達成感で一杯でした。生まれてからこれまで何ごともなく育ってきた福ちゃんのバトンを渡す、最後の最後にこんなにも苦労させられるとは。

馬運車の扉が開き、慈さんに引かれて福ちゃんが降りてきました。全身汗だくで、額の皮がめくれて傷を負っているにもかかわらず、さっきまで馬運車を嫌がってあれほど暴れ狂っていたのに、まるで何ごともなかったかのように堂々と降りて歩いてくる姿を見て、僕は思わず笑ってしまいました。おいおい、あまりにも外面が良すぎやしないか。他の馬たちが新人が入ってきたことを察して嘶いてきたのに対し、福ちゃんも大きな鳴き声を発し、鼻をブルルと大きく響かせて応えています。

慈さんがスタッフのひとりに手綱を預け、福ちゃんはそのまま厩舎に連れて行かれました。僕は後ろからカメラを構えてついて行きます。馬房に向かう途中に、馬体重の測定器がありました。福ちゃんがその上に載って、計上された数字は457kg。ちょうど同じ時期の姉ルリモハリモが410kg台でしたから、福ちゃんの方がやはり大きいことが分かります。慈さんいわく、今日の輸送でこれだけ暴れた後で測っての457kgですから、普段は470kgぐらいあるはずです。輸送で5kg~10kgはすぐに減ってしまいますからとのこと。

僕がコラムを書いている「一口馬主DB」には、馬体重成長シミュレーションというツールがあり、そこに生まれた月日、牡馬・牝馬、そして〇月〇日時点の馬体重を入力すると、3歳春時点における推定馬体重を示してくれます。さすがに汗抜きをして絞りまくった直後の457kgを入れるのは可哀そうなので、8kg減ったと想定して465kgと入れてみたところ、3歳春時点で490kgに成長していると表示されました。僕のイメージどおりというか、福ちゃんの馬体を見てきた中で、それぐらいにはなるだろうと考えていた数字とピッタリでした。さらに古馬になると506kgになると統計学的には計算できるようです。今日の旅立ちは最悪でしたが、唯一、光り輝いて見えた数字でした。

何とか送り届けた安堵が大きすぎて、福ちゃんとの別れを惜しむ余裕さえなく、「よろしくお願いします」とだけエクワインレーシングのスタッフの方にお伝えしました。その後、マネージャーの松田さんに施設を案内してもらい、事務所に入って契約の話になりました。「申し上げにくいのですが、7月21日から預託料の改定がありまして、これまでは12,000円/日だったところを13,500円/日に上げさせていただくことになりました」と伝えられました。

松田さんは料金の改定を事前に伝えられていなかったことを申し訳なさそうにされていましたが、僕の頭はそこではなく、そもそもの預託料を勘違いしていたことに衝撃を受けました。僕がネットで調べて見ていた10,500円/日の預託料はどうやらもっと以前のものだったらしく、想定していたよりも現実は3,000円/日違うようです。料金改定について丁寧に説明してくださる松田さんの話は上の空に、月の預託料を計算しました。13,500円/日ということは、ひと月にすると405,000円、税込みで445,500円になります。ここに治療費等が上乗せさてくると、月50万円はくだらないでしょう。僕の想定とは月10万円ほど狂ってくる計算ですが、もうここまで命からがら福ちゃんを連れてきたのですし、何としても福ちゃんを強い馬に育ててもらいたいという願いは強いので、お金のことは何とかするしかありません。暑い室内にもかかわらず、人知れず冷や汗をかきながら、松田さんとひとしきり話をしてエクワインレーシングを去りました。

福ちゃんのセカンドステージに対する希望や期待を抱きつつ、この先、羽が生えたようにお金が飛んでゆくシーンが目に浮かび、僕の胃はすでにキリキリと絞めつけられました。1頭の馬を育ててデビューさせるために、これだけの時間と人手とお金がかかって、それでも全く走らないことがあるのですから、競馬というのは恐ろしい世界です。弱音を吐かせてもらえるなら、馬券を買って競馬を楽しんでいた頃に戻りたい。このとき僕は素直にそう思いました。競馬の真髄や深淵に少しでも近づきたくて、身銭を切ってここまでやって来ましたが、さすがに僕の器には合わなかったようです。僕は激流の中に浮かんでは飲み込まれていく小瓶のような存在でした。過呼吸になりそうな自分を何とか抑えて、僕は帰りの馬運車に静かに乗っていました。

(シーズン2へ続く→)

福ちゃんの旅立ちを記念して、卒業アルバムを作りました!福ちゃんが生まれたときから1歳7月まで、碧雲牧場での幸せな日々を文章と写真で振り返っています。福ちゃんのYouTubeチャンネルのダイジェストや立ち写真撮影の様子、福ちゃん検定、チーム福ちゃんからの寄せ書きなど、企画も盛りだくさんに詰まっています。フルカラーなので少々お高めですが、ぜひ読んで見てみてください。
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