1987年12月26日、中山大障害・秋。
かつてその地で栄光を掴み取った名馬が、この世を去った。
最期の力を振り絞り、鞍上の命を守って。
そして、自らが夢を掴み取った大障害コースに、置き土産を残して──
時は遡り、1980年代。
この時代の障害界も、強豪たちが激戦を繰り広げていた。中山大障害や京都大障害といった栄冠を目指して。
ライバコウハクも、その1頭であった。
ライバコウハクがその才能の片鱗を見せ始めたのは障害レース3戦目、障害初勝利の時であった。2着に2秒もの差をつけての大差勝ち。まさに圧巻の一言だった。
鞍上は大江原哲騎手。彼らは、かたく結ばれた人馬の絆を象徴するような存在として、後々語り継がれるコンビとなる。
続く1983年1月5日の昇級戦、障害400万下。
大江原騎手を背にライバコウハクは、7馬身差のレコード勝ちを収めた。
「障害界に、大器が現れた」
そんな人々の期待の中、同年春に臨んだ中山大障害・春──現在の中山グランドジャンプ。結果は惜しくも2着であった。その後に障害オープン戦で3回連続の2着といった善戦を挟み、遂にライバコウハクにとって栄光の秋が訪れた。
1984年10月27日、京都大障害・秋。
彼は果敢な逃げを打った。最終障害飛越後、2着となったスナークシルバーに並びかけられたものの、直線で突き放す独走劇。
重賞初勝利は、大差勝ちでの京都大障害であった。
淀に咲き誇った華。
勝ち方の鮮烈さが障害ファンの胸を打ち震わせる。
「スター」としての素質を十分に持っていた優駿。
それが、ライバコウハクであった。
しかし、同年暮れの中山大障害・秋──そして翌年の中山大障害・春は、いずれも2着という惜しい結果に終わった。
それでもライバコウハクは、彼の陣営は、障害競走に携わる人馬にとっての憧れ、中山大障害……華の大障害のタイトルを、決して諦めなかった。
続く1985年、京都大障害・春。
「善戦どまり」の悔しさを晴らすかのごとく、ライバコウハクはその勝利をレコードで飾った。
淀に咲き誇った、満開の華。彼は京都大障害というビッグタイトルの春・秋連覇を達成したのだ。
またしても、観客の度肝を抜くような鮮烈な走りをみせて。
それでもライバコウハクには、まだ手にしていない……しかし、どうしても手に入れたいタイトルがあった。
日本における障害レースの最高峰、中山大障害である。
1986年、中山大障害・春。
その思いを託された鞍上は、大江原哲騎手であった。
大竹柵で先頭に躍り出ると、ライバコウハクは馬群を率いて大障害コースを駈けた。
「もう、2着はいらない」
追いすがる後続を振り切って8馬身差をつけた所が、彼らの求め続けた栄光のゴールであった。
1982年の障害転向から実に3年半。彼とその陣営は決して諦めなかった。障害競走に携わる人馬にとって憧れのタイトル、中山大障害を。
3度の2着を経て、ライバコウハクは遂にその栄誉を手にした。
淀に咲き誇った華は、春の中山でも大輪の華を咲かせたのだ。
しかし、運命とは時として残酷なものである。
ライバコウハクが栄華を極めた中山大障害コース。
ここで翌年の暮れ、彼が迎える結末を、一体誰が予測し得たものであろうか。
1987年12月26日。
大江原哲騎手を鞍上に迎えた中山大障害・秋。
中山大障害馬となったライバコウハクにとって、運命の日が訪れた。
いつもの如く軽快に先行したライバコウハクは、大竹柵を先頭集団で飛越する。しかし突如、言葉を詰まらせながらも彼の競走中止を告げる実況に、場内はどよめいた。
「ライバコウハク、ここで……落馬であります」
大竹柵の次に待ち構えていた難関、大土塁障害を先頭で飛越しての落馬であった。ライバコウハクはこの踏み切りで右後肢に開放骨折を発症し、飛越できる状態にはなかったという。
転倒するライバコウハク。大江原騎手はその背から振り落とされ、地面に叩きつけられ、身動きをとる事すらかなわない。
障害手前から見て、大江原騎手の倒れている場所は完全な死角だ。障害を飛越した後続馬に踏まれ、人馬ともに命を失う可能性とて十分にあり得る。
すると次の瞬間、ライバコウハクは激痛に耐えつつ前脚で身体を起こした。大江原騎手が踏まれぬよう、自らを盾とするかのように。
後続馬がその脇を、通過してゆく。
しかし中山大障害の経路ではこの後、折り返してきた馬が土塁障害をもう一度飛越する。馬群が先程と逆回りに土塁障害へ……人馬に向かって駈けてくる。
それでもライバコウハクは依然として障害の前に立ちはだかり、飛越した馬に踏まれぬよう、身を起こす事のできない鞍上を守り続けた。
そして馬群が通過し終えた後、ライバコウハクは使命を果たしたかのように崩れ落ち、華の大障害コースで絶命した。
その後、大江原哲・元騎手は調教師となり、重賞馬タケミカヅチやミュゼスルタンを管理するなど、その手腕を振るう事となった。
タケミカヅチを語る際も、師はライバコウハクの名を挙げている。
「騎手としての重賞初制覇であるライバコウハクと、調教師としての重賞初制覇であるタケミカヅチ。両方印象が強いんです」
と。師の中に、そして管理馬たちの中に、ライバコウハクは確かに生き続けているのだ。
「この馬に、競馬を教わった」
「自分にとっての教科書ですね」
大江原師はライバコウハクを、そう讃えている。
一方でライバコウハクは競馬ファンの間でも「騎手を守った、優しく勇敢な名馬」として語り継がれていった。
そして、彼が鞍上を守ってその命を散らした1987年の中山大障害・秋……あの日から28年の時を経た、2015年暮れの中山大障害。
ライバコウハクの血を受け継いだ「名障害馬の置き土産」が、その舞台に立っていた。
4代母にライバコウハクの半妹・ダイナエイコーンを持つ、エイコーンパスである。
彼の参戦は障害未勝利からの直行──キャリア2戦目でのJ-G1。
常識では考えられない挑戦だ。
しかし私たちは最後の直線で、信じられない光景を目の当たりにする事となった。
最終直線に入ると、逃げるサナシオンをアップトゥデイトが捉える。
アップトゥデイトは同年春に中山グランドジャンプをレコードで制したJ-G1馬、サナシオンは障害競走当時5連勝中の重賞馬であった。
注目の集まった両馬の一騎討ち。
これで決まりか──そう思われた瞬間、栗毛の馬体が猛然と追い込みを見せる。
エイコーンパスだ。
サナシオンを一瞬で抜き去り、標的をアップトゥデイトに定めるエイコーンパス。
しかし、半馬身、届かなかった。
栄光のゴールを駈け抜けたのは、 史上初の春秋J-G1連覇を果たした芦毛の障害王・アップトゥデイトである。
ファンがエイコーンパスの才能に圧倒された、2015年の中山大障害。
奇しくもその開催日は12月26日……ライバコウハクが「鞍上を守る」という最期の使命を果たし、ターフに散った命日であった。
障害未勝利戦からのJ-G1直行、障害2戦目にして手にした中山大障害2着。
「エイコーンパスの時代が来る」
常識を超える才能に感銘を受けたファンは口々にそう語った。
中山大障害馬・ライバコウハクは確かに、華の大障害コースを彩る置き土産を残していたのだ。
この中山大障害を機に「名障害馬の置き土産」は、予想を遥かに超える注目を浴び、またそれに応え得る活躍ぶりを見せようとしていた。
巧みな飛越と平地の脚をもって牛若丸ジャンプSを2.2秒という大差で勝利し、2016年の緒戦を飾ったエイコーンパス。
舞台を同じく直線で後続を突き放し大差勝ちを収めた、ライバコウハクの京都大障害のように。
そして彼の才能に期待が寄せられた春……ライバコウハクが中山大障害を制した季節がやって来る。
願わくばエイコーンパスも彼の血を継ぐ優駿として、春の大障害コースに満開の華を咲かせたい。
しかし中山グランドジャンプを前に彼は、志半ばでの引退を余儀なくされた。
「エイコーンパス、引退。乗馬へ」
突如として舞い込んできた報せ……左前脚の屈腱炎であった。
一体どれほどまでに強かったのだろうか。無事であったなら、この先どんな活躍を見せたのだろうか。
そんな沢山の “if” を残して、彼はターフを後にした。
しかしそのような無念の中でも彼は、人々にとっての一番の、そしてライバコウハクが叶えられなかった望み……「命あるままの引退」を叶える事ができた。
それこそが、エイコーンパスの第二の馬生に向けた餞なのかもしれない。
4戦2勝、主な勝鞍・牛若丸ジャンプS (障害OP特別) 。
その記録だけで彼を語り尽くす事はできない。それほどまでに──あまりにも、鮮烈すぎた。
その鮮烈な競走生活までもが、ライバコウハク譲りなのだろうか。
「最大瞬間風速」
あるファンは、エイコーンパスをそう例えた。
時は流れ、2015年・中山大障害から2度目の春。
1頭の栗毛馬が、兵庫県の馬術大会に姿を見せた。
彼は華麗な演技を誇り、驚異の得点率で馬場馬術競技・優勝を手にした。
その馬の名は、エイコーンパス。
ライバコウハクの置き土産は今もなお、馬場を駈ける華となり人々を魅了し続けている。
また大江原哲調教師は、厩舎の玄関にライバコウハクの写真を飾っているという。
「命を賭けて守ってくれた馬を、僕は忘れる事ができない」
と。そして「命の恩人」をいとおしげに見上げ、こう語った。
「玄関だったら頭を下げますよね、ライバコウハクに」
「毎日見てますよ。ずっと飾りっぱなしです。いつもいる所に」
ライバコウハクは──中山大障害馬は、どんな困難をも乗り越える強い馬。たとえターフに命を散らそうと、その物語が悲劇としての完結ばかりを迎える事はない。
運命に導かれた血統。かたく結ばれた人馬の絆。
ライバコウハクの物語はこれからも続いてゆく。
命と引き換えに守った鞍上、大江原哲調教師と共に。
そして、鮮烈な記憶をターフに残した「名障害馬の置き土産」……華麗な馬術競技馬となった、エイコーンパスと共に。
写真:川井旭、たちばなさとえ