2013年の2歳女王決定戦、阪神ジュヴェナイルフィリーズは重賞勝ち馬5頭が揃う史上空前のハイレベルなものとなった。
レースの中心は、3頭。
……いや、レース前は2頭だったかもしれない。
一等星の血を引く母と英雄の仔にして、その閃光のごとき末脚で新潟の直線を独り占めにしたハープスター。
その果敢なる先行力で小倉を席巻し、京都では牡馬を蹴散らしマイルを克服して見せたホウライアキコ。
しかし最後の最後に女王の冠を手繰り寄せたのは、泥水をかぶりながらの消耗戦を勝ち抜いてきた、小さな小さな根性の塊だった。
レッドリヴェール。
フランス語で「夢見る人」と名付けられた、その夢が叶うまでを、振り返っていこう。
正真正銘の"一番星"
レッドリヴェールは2011年2月19日、北海道千歳市の社台ファームで生を受けた。
父は種牡馬としての地位を確立させつつあったステイゴールド。
前年の宝塚記念では、産駒2頭目のGⅠホースとなったナカヤマフェスタが凱旋門賞であわやの2着に食い下がっていた。
母はアメリカ産馬のディソサード(Desauserd)。マル外として輸入された2頭の産駒が活躍を見せたのち日本に輸入され、日本に来てから6頭目の産駒がレッドリヴェールだった。
レッドリヴェールが生まれた2011年からデビューする2013年までの間に、父ステイゴールドは一気に大種牡馬への道を駆け上がった。
震災前には5戦1勝だったオルフェーヴルがその後三冠・有馬記念を含む6連勝で一筋の明かりをともし、被災の影響で7月開催となった中山グランドジャンプではマイネルネオスが鞍上・柴田大知騎手の執念にこたえて産駒初のJ・GⅠ制覇を果たした2011年。
翌2012年は、阪神大賞典でオルフェーヴルが、翌月の皐月賞ではゴールドシップが異次元の走りでファンの心をわしづかみにしたかと思えば、秋にはオルフェーヴルが凱旋門賞馬の座にあと数完歩まで近づき、ゴールドシップは菊花賞、有馬記念と連勝。
2013年にはフェノーメノが春の天皇賞で初の戴冠。ステイゴールド産駒6頭目のGⅠホースとなっていた。
レッドリヴェールはその1か月後、世代初の新馬戦でデビューを果たした。
「ダービーからダービーへ」の合言葉の下に前年の2012年から開始が6月初旬に繰り上がった2歳戦。翌2013年は暦の関係で前年より1日早い6月1日に最初の2歳新馬戦が行われることとなった。
東京と阪神、それぞれ第5レースに組まれた新馬戦。12時20分。先にゲートが開いたのは阪神の方だった。芝外回り1600m。わずか5頭の出走馬の中に、馬体重424キロの小柄な黒鹿毛、レッドリヴェールがいた。
短期免許で来日していた豪州の剛腕、クレイグ・ウィリアムズ騎手にいざなわれたレッドリヴェールは後方で足をため、4コーナー、頭一つ低い姿勢で外々から前に進出。直線1番人気のダンス―ルクレールをとらえて2番手に上がると、最後は粘る2番人気タイセイララバイをゴール寸前でとらえきった。
勝ちタイムは1分37秒9。道中1ハロン13秒台のラップが続くスローでの決着とはいえ、レッドリヴェールが繰り出した末脚は上がり3ハロン33秒3と出色のものであった。
そして記録をさかのぼれる1986年以降、「6月1日」というのは「最も早く」新馬戦が行われた日である。したがってレッドリヴェールは同日東京で勝ったトーセンシルエット、6年後、2019年6月1日の新馬戦を勝ったリアアメリア、カイトレッドとともに、中央競馬史上最も「早く」勝ち名乗りを受けた「正真正銘の一番星」といっていい。
最も「早く」勝ち星を得たレッドリヴェール。次の一戦は、翻って最も「遅い」決着となった。「夢見る人」は夢を追いかけ北の大地に飛んだ。その華奢な体にとってあまりにも過酷な舞台が、待ち構えているとも知らずに。