長く競馬をやっていると、「いつもと違う条件」で施行されたレースというのは意外と記憶に残るものだ。
例えば、年明けの名物重賞である「金杯・東」というレース名が「中山金杯」に変更になったその最初の年が東京競馬場での開催となり、ベストタイアップが大外から豪快に差し切ったのは印象深い。
ジャパンカップがダートも芝も中山で行われた2002年、両レースで見せたランフランコ・デットーリ騎手の見事な手綱捌きは今でも記憶に残っている。
2021年の春の天皇賞は、阪神競馬場での開催。例年なら京都競馬場の二度の坂越えが見どころだが、改修工事のための変更で久しぶりに仁川での春の盾となった。
「阪神競馬場で行われる、春の天皇賞」は1994年以来となるが、この1994年のレースもまた、今でも忘れられない。
圧倒的な1番人気は、ビワハヤヒデ。
その前年の1993年、ビワハヤヒデは3歳クラシック路線をナリタタイシン、ウイニングチケットと「三強」を形成していた。そしてその「三強」が、それぞれ三冠レースを1勝ずつ分け合う結果に。
ビワハヤヒデはG1の勝ち鞍こそ菊花賞のみだったが、皐月賞もダービーも2着。そして暮れの有馬記念もトウカイテイオーの2着と、善戦マンではあったが「年間を通して活躍した」ことで年度代表馬を受賞した。
G1で2着が3回と、詰めの甘さを指摘する声もあった。
けれど、年が明けた1994年の始動レースとなった“阪神競馬場での”京都記念では59キロを背負いながらも完勝。2着馬に7馬身という大差をつけての圧勝だった。
続く2番人気は、上述した「三強」の一角だったナリタタイシン。皐月賞を勝利し、ダービーも3着。秋の菊花賞こそ肺の病気で調整が遅れてしまい17着と大敗を喫したが、年が明けて当時は2月に行われていた目黒記念を勝利。立て直しを図っての捲土重来を期す一戦だった。
3番人気はムッシュシェクル。この馬は、春の天皇賞は2年連続での参戦だった。
前年は小倉の筑前特別(芝2600m)と阪神の白鷺特別(芝2500m)を連勝して臨んだものの、さすがにG1の壁に跳ね返されライスシャワーの7着だった。しかしリアルシャダイ産駒らしい成長力を見せ、前年を上回る3連勝でこの年の春の天皇賞に臨んできた。しかもその内容は、アルゼンチン共和国杯→日経新春杯→阪神大賞典と、古馬長距離路線の王道であるG2を3連勝というもの。成長著しい存在だった。
私がこのレースで軸に選んだのは、これら上位人気の馬ではなかった。穴党の血が流れる私には、どうしてもこれら上位人気馬に「◎」を打てなかった。
本命にしたのは、ルーブルアクト。この天皇賞(春)から遡ることおよそ4か月前、1993年の鳴尾記念(当時は芝2500mで12月の阪神開催で施行)を勝っていたけれど
「ムラ馬の激走」「ノーマークで楽に走れただけのフロック」
という見方が、ほとんどだった。
だからだろうか、年明け3戦目の京都記念では7馬身差とはいえビワハヤヒデの2着に好走しても、多くの人は「もう勝負付けは済んでいる」と考えていた。
けれど、穴党としては「そこにこそ付け入る隙がある」と、一縷の望みを託したのだ。
出走表を何度見ても、ハナを切るのはルーブルアクトしか考えられない。長距離戦なので序盤からハイペースになることは考えにくく、もし仮にルーブルアクトのスタートが悪かったとしてもハナに立ってレースの主導権は取れるものと予想していた。
さらに万に一つ、大本命のビワハヤヒデが出遅れでもしようものなら、逃げ馬へのマークが薄くなることも期待できる。
出遅れて後方を走る人気馬が動かない限り、他馬も動けない──という状況になれば、ルーブルアクトは終始楽に逃げられるだろうし、ゴール直前まで楽しめるだろうと思っていた。
このルーブルアクトの馬主である「ヒダカ・ブリダーズユニオン」も、穴党には魅力だった。
過去にはサンドピアリスが20頭立て20番人気でエリザベス女王杯を制し、このルーブルアクト自身が勝った前年の鳴尾記念も16頭立て15番人気で単勝98.7倍という大穴を開けていた。人気薄でもノーマークは危険、激走を期待せずにはいられなかった。
1994年4月24日。やや重の馬場コンディションで第109回、「阪神競馬場での」天皇賞(春)のゲートが開いた。
こちらの期待通りにルーブルアクトと清山宏明騎手は先頭に立ってくれたのだが、大逃げで場内を盛り上げて欲しいと願っていた私の願望とは真逆の、脚を溜めての逃げを選択した。最初の1000mは64秒1というスローペースに落としたけれど、そのすぐ後ろでビワハヤヒデに“大名マーク”をされる展開は想定外だった。
古くはカツラギエースを徹底マークしてシンボリルドルフで勝った有馬記念の時のように、ビワハヤヒデの背に居る岡部騎手は「逃げ馬には楽をさせない」というお手本のような乗り方をした。
それでも清山騎手とルーブルアクトには粘ってもらいたいと願った私は、最終コーナーを回ったところでも
「逃げろ! 逃げろ!」と、東京競馬場のターフビジョン越しに向かって叫んでいた。懸命に粘ったルーブルアクトだったけれど、直線の坂で苦しくなり一杯に。
その横から交わして先頭に立っていたのは、ビワハヤヒデだった。
そして脚を溜めていたナリタタイシンが外から並びかけようとした瞬間、ビワハヤヒデの岡部騎手の左鞭が入るともう一度伸びる。結局、一度も並ばれることなくビワハヤヒデは1着でゴールしていた。
「弟ブライアンに次いで、兄貴も強い!」
実況の杉本清さんも驚く強さだった。
1着ビワハヤヒデ、2着ナリタタイシン、3着ムッシュシェクル。
上位は人気順での決着となった。ルーブルアクトはビワハヤヒデから遅れることコンマ9秒差の7着。馬券は当たらなかったけれど、実力馬がそれぞれ力を出し切ってのレースだったので、不思議と口惜しさは込み上げてこなかった。
この2ヶ月後、またしてもビワハヤヒデは「涼しい顔をして」宝塚記念も勝利。弟のナリタブライアンとの直接対決に期待を寄せるファンは多かった。
けれど、この兄弟対決は実現することは無かった。だからこそ、競馬ファンが集まると今でも大いに盛り上がる話題だ。
私が期待を込めたルーブルアクトはこの翌年の1995年まで現役を続けた後、種牡馬入り。9頭の産駒を残した。そのうちの1頭、カムパネルラはJRAの未勝利戦を勝利。16頭立て12番人気、単勝は40倍を超える払戻しで穴を開けたのは父譲りの血だったのかもしれない。
ルーブルアクトは2011年11月、放牧中の事故で23歳でこの世を去った。亡くなってから10年が経つけれど、今でもこうして思い出せるのは、例年とは違う場所で施行されたG1レースで本命を打ったから、という理由もあるかもしれない。
“いつもと違う競馬場での開催”となる、2021年の春の天皇賞。出走全馬の無事をまずは祈りながら、今年のこのレースを勝った馬も出走した馬も、多くの人に後々まで記憶されるような存在になって欲しいと願ってやまない。