たった1頭との出会いで人は変わる。
1頭の名馬との出会いが、私を競馬に夢中にさせた。
2018年に引退したとあるサラブレッドの存在が、私を競馬にのめり込むきっかけをくれたのだ。
1、出会い
友人に勧められ、始めた『競馬』。
しばらくの間、私にとって競馬はいわゆる"ギャンブル"の1つでしかなく、自分の趣味とはいえるものではなかった。ブログを立ち上げて多くの競馬ファンと交流している今とは、大きく異なる。
きっかけは2018年6月14日のG1宝塚記念をテレビて見ていた時だった。
レース前のパドックで、1頭だけ異彩を放つ馬を見かけ、私はテレビに釘付けになった。
その馬の名は、サトノダイヤモンド。
素人目でもバランスのとれた馬体と端正な顔立ち。一目でその馬のファンになった。
ネットで調べてみると父は、当時そこまで競馬に興味のなかった私でも知っていた、ディープインパクト。きっとキレイな馬体は父譲りなのだろうと想像しながら、ネットで単勝馬券を購入した。
結果は直線で失速してしまい6着。
成績を見て見ると、約1年程レースで勝利することが出来ずにいることを知って、更に応援したくなった。
今までは競馬を見ても特定の馬を応援することはなかっただけに、私は自らの変化に戸惑いながらもサトノダイヤモンドを応援することを決めたのだった。
2、1年ぶりの勝利とジャパンカップ
サトノダイヤモンドのファンになってから3か月を過ぎたころ。サトノダイヤモンドの次走が京都大賞典(G2)ということを知った。
前走では1番人気と比べ京都大賞典では2番人気とやや人気を落としてしまったことに少し不服だったが、前走天皇賞・春で好走したシュヴァルグラン相手なら仕方ないと自分に言い聞かせたのを覚えている。
現地での応援は叶えることが出来なかったので、私は再びテレビの前でサトノダイヤモンドの好走を祈った。レースが始まるファンファーレを聞いている時に私の緊張は最高潮に達し、心臓が張り裂けそうな状態でレースを迎えた。
中団で他の馬を伺いながら直線に入るとトップスピードに乗り、次々と前を交わしていくと、先頭に立ち最後まで伸びてゴールイン!!!
私は嬉しさで舞い上がった。
自らが応援する馬が勝つこととは、こんなにも嬉しいものなのか。
この時私は競馬の魅力に気付き、更に競馬にのめり込んでいくことになったのである。
続くジャパンカップ(G1)。
ようやく現地での応援が出来る!
生のサトノダイヤモンドに会えるんだ!
と私はワクワクしながらレースを楽しみにして過ごしていた。
ジャパンカップは3歳世代最強牝馬と呼ばれるアーモンドアイだけではなく、キセキやスワ―ヴリチャードを始めとした重賞で結果を残している馬ばかりのレースで、サトノダイヤモンドがこのメンバー相手に勝てるのか……と不安になる部分もあった。
しかし、パドックで生のサトノダイヤモンドを見て、改めてその馬体のキレイさと整った顔立ちに鳥肌が立つほど感動しているうちにそんな不安はどこかに飛んでいった。こんなに美しいサトノダイヤモンドが負けるはずがない、と。
しかし、もう1頭パドックで見て鳥肌が立った馬がいた。
そう、アーモンドアイである。
サトノダイヤモンドを初めて見た時と似た感覚を覚え、一瞬、サトノダイヤモンドが負けるのではという考えが頭をよぎった。
そしてレースは周知の通り、アーモンドアイのレコード勝ちでサトノダイヤモンドは6着。
3番人気という人気を裏切る結果となったこともあり、随所で競馬ファンの「サトノダイヤモンドは終わった」という厳しい声が聞こえてきた。レース前、勝利を信じていられなかった自分にも気がつき、落ち込みながら帰路に付いた。
3、ラストラン
サトノダイヤモンドの次走は有馬記念(G1)と発表されるのと同時に、それが彼の引退レースとなることも表明された。
2018年の有馬記念は"障害王者"オジュウチョウサンの平地G1挑戦という話題で持ち切りであったが、私はただひたすらに、サトノダイヤモンドが怪我無く走ることを願っていた。
その日私は競馬場に訪れた中で、初めて馬券を買わなかった。
──いや、サトノダイヤモンドの引退を考えると、予想も手につかなかったというのが正しいかもしれない。
人気も引退ということもあってか、サトノダイヤモンドは現役時代に出走した国内16レースのなかで最低人気となる6番人気になった。
パドックでは、サトノダイヤモンドが怪我無く走れるようにと祈りながら見つめた。サトノダイヤモンドは何も言わないが、馬体はどことなく寂しそうに見えた。
レースが始まると、サトノダイヤモンドはいつも通り中団に付けて追走。4コーナーを回って直線勝負とした。しかし、馬群の中で何とか伸びていったものの結果は6着。
掲示板にあと少し及ばず、サトノダイヤモンドの現役競走馬生活は終わった。
レース後、不思議と悲しみは無く、あるのはここまで競馬を好きになるきっかけをくれたサトノダイヤモンドへの感謝だった。
サトノダイヤモンドが引退し種牡馬入りすると、初年度は144頭に種付けを行った。種牡馬となったことで直接会いに行くようなことはなかなか難しくなったが、ゆっくりと第二の競走馬人生を過ごしてほしい。
引退後も、サトノダイヤモンドの弟妹馬であるリナーテやサトノジェネシスが活躍するたびに、サトノダイヤモンドの名前があげられる。そうして現役の姿を思い出せるのは嬉しいので、やはり彼らのことも応援していきたくなる。
そしていつかサトノダイヤモンドの子どもがG1のタイトルを獲るその日まで、競馬場に足を運び続けたいのだ。
たかが1頭。
されど1頭。
1頭のサラブレッドとの出会いが、私を変えた。
写真:Horse Memorys