皐月賞をはじめとするクラシック競走はサラブレッドにとって一生に一度のチャンス。
古馬G1とは違うこのクラシックの特性が数々の物語を生んできた。
それは馬の物語であり人の物語。
2006年の皐月賞はそれを強く感じさせてくれたレースであった。
この年の皐月賞は大混戦だった。
1番人気は単勝2.2倍でアドマイヤムーン、鞍上は武豊騎手。
G3共同通信杯、G2弥生賞を連勝して5戦4勝連対率100%でここに臨んできた。
2番人気はやや離された単勝5.6倍のフサイチジャンク、鞍上は岩田康誠騎手。
この馬は、当歳時に上場されたセレクトセールで当時の最高取引額3億4650万円という期待馬だった。
3番人気は朝日杯フューチュリティステークスを勝ち、共同通信杯とスプリングSを連続2着して駒を進めてきたフサイチリシャール、鞍上は福永祐一騎手。
そして4番人気はラジオたんぱ杯2歳Sでアドマイヤムーンに唯一の土を付けたサクラメガワンダーと内田博騎手で、ここまでが単勝一桁人気であった。
結論から言ってしまえば、勝った馬はこの中におらず、2着になった馬もこの中にはいなかった。
1着で駆け抜けたのは6番人気メイショウサムソン、鞍上は石橋守騎手。
2着は10番人気ドリームパスポート、鞍上は高田潤騎手であった。
値段が高い馬、デビューから華々しく連勝してくるような馬、早い時期に重賞をいくつも勝つ馬がエリート馬と呼ばれるとするならば、この2頭は決してエリート馬ではなかった。
そして、その2頭にまたがる騎手もまた同じ。
リーディング争いとは縁遠い存在であった。
メイショウサムソンの石橋騎手はこの年デビュー22年目。
重賞勝ちこそあったものの、G1はいまだ勝利なし。
ドリームパスポートの高田騎手に至っては重賞(平地)も未勝利だった。
当然、二人ともリーディング上位騎手のように次々に騎乗依頼が舞い込むような境遇ではない。
皐月賞当日も、中山競馬場この2人が得た鞍は皐月賞1鞍のみであった。
メイショウサムソンに石橋騎手が乗ることになったのは、様々な偶然が重なった結果といえた。
小倉競馬場での新馬戦は当初、福永祐一騎手が騎乗する予定だった。
しかしながら福永騎手は同日に関屋記念でサイドワインダーの騎乗があったため、小倉に滞在していて普段から瀬戸口厩舎の馬の調教を手伝っていた石橋騎手に白羽の矢が立った。
そのデビュー戦は2着。
一度きりの騎乗と思われたが、瀬戸口厩舎では同じ世代に大物と称されたマルカシェンクが頭角を現し始め、福永騎手がその主戦を務めることになったため、結果的に石橋騎手とメイショウサムソンのコンビが継続されることになった。石橋騎手が自身でそう振り返っている。
一方の高田騎手。
彼が皐月賞でドリームパスポートに乗ることになった経緯もまた、偶然の産物といえるものであった。
高田騎手はドリームパスポートの調教をデビュー前から担当していた。
しかしながらここまで騎乗できたのは、デビュー戦(3着)と京都2歳ステークス(2着)の2鞍のみ。
それ以外は重賞レースも含め別の騎手が騎乗してきた。
ドリームパスポートの所属厩舎は松田博資厩舎。当時はたくさんの有力馬を抱えるリーディング上位厩舎で、この皐月賞にも有力馬3頭を出走させることになっていた。
ドリームパスポートは安藤勝己騎手の手綱できさらぎ賞を勝利していたが、安藤騎手が同厩舎のキャプテンベガを選んだため、スプリングS(3着)はM.デムーロ騎手が騎乗。
しかし、翌週にデムーロ騎手が騎乗停止処分を受け、鞍上が宙に浮いていた。
そこで、日ごろから同馬の調教をつけていて、よく癖などを知っているであろう高田騎手にチャンスが巡ってきた。
高田騎手は1999年デビューで当時25歳。
3年目に22勝をあげたものの、その後勝ち鞍は減る一方で、前々年は4勝、前年は3勝に留まっていた。
この頃は障害レースに騎乗することが多く、この年も皐月賞までにあげた唯一の勝利は障害未勝利戦でのもので、平地G1への騎乗自体が2004年秋華賞のドルチェリモーネ(13着)以来であった。
皐月賞当日は朝から小雨まじり。
途中から雨があがってスタート前には良馬場発表となったが、それまでの雨の蓄積が色濃く残る馬場状態であった。ゲートが開くと予想通りステキシンスケクンが先頭に立った。
メイショウサムソンは道中5~6番手の好位、ドリームパスポートはそこから2馬身ほど離れた内側をロスなく回った。平均的な流れで3コーナーまで進み、このあたりから2番手につけていたフサイチリシャールが先頭を行くステキシンスケクンを捕まえにかかる。メイショウサムソンは、その動きを見ながら、誰にも邪魔されないように外々を回して4コーナーを回ってくる。
日ごろ口数の少ない石橋騎手の内に秘めた静かなる自信が垣間見えた。
一方のドリームパスポートは荒れた馬場も気にせず徹底的に内にこだわっている。
高田騎手がこの馬場でも内をついて伸びると確信しているかのような騎乗。
直線、先頭に立ったフサイチリシャールをメイショウサムソンがとらえる。
この機会を待っていた! とばかりに、内からドリームパスポートが襲い掛かる。
次の瞬間、前をいくフサイチリシャールが壁になる。
これを避けるために高田騎手の手綱が激しく動く。
ドリームパスポートが首を横に振りながら進路を変えて懸命に前を追う。
勢いはドリームパスポートだ。
──とらえるか!?
──あと半馬身!
激しいアクションの高田騎手とは対照的に石橋騎手は力強くも静かに手綱を動かす。
──サムソンは並んだら抜かせないよ。
石橋騎手の心の声が聞こえてくるようだった。
差が詰まらない。
そして、メイショウサムソンは最後までドリームパスポートを抜かせず半馬身振り切って戴冠のゴール。
石橋騎手は、最後、手綱をおさえていた。
石橋騎手にとってはデビュー22年でようやく掴んだクラシックG1制覇。
松本好雄オーナーにとっても馬主になって33年目の悲願であった。
人気馬は渋った馬場が堪えたのかいつもの伸びを見せることができず、フサイチジャンクは3着、アドマイヤムーン、サクラメガワンダーは4着、6着どまりでレースを終えた。
レース後の勝利騎手インタビュー。
「ついに届いたG1ですね」と投げかけられた石橋騎手は「そうですね。今はもう本当に幸せです。オーナーはじめ、瀬戸口先生、厩舎関係者のみなさんに乗せていただいて本当に感謝しています」と言って、朗らかに笑ってインタビューを終えた。
涙ではなく笑顔で受け答えをした石橋騎手。
実は以前、競馬学校在籍中のエピソードとしてこのように語っている。
ある時、競馬学校の厩舎実習中に今でも忘れられない出来事が起きた。ボクが騎乗していた馬が調教中に故障してすぐに安楽死処分が取られた。担当の厩務員さんが泣き崩れる姿を見た時、ボクも自然ともらい泣きしてしまった。その厩務員さんは入ってきたばかりの新人で、その時に命の大事さや尊さ、1頭の競走馬に携わる人間の思いをすごく感じた。だからそれ以降、馬に関することでボクは人前で涙を見せずに、より馬への感謝、愛情を持って接しようと心に決めた。
──東スポ競馬「守の起源」より引用
悲願のG1制覇であっても涙のインタビューにならなかったのには、こういう思いが背景にあったからなのかもしれない。
一方、惜しくも2着に敗れたドリームパスポートと高田騎手は秋に雪辱を晴らす。
メイショウサムソンとドリームパスポートがともに秋緒戦に選んだ神戸新聞杯で高田騎手は大外からメイショウサムソンを差し切った。自身にとっても待ちに待った平地重賞初制覇。
皐月賞の石橋騎手と同じく喜びを噛みしめるように静かに始まった高田潤騎手の勝利騎手インタビューだったが、最後にインタビュアーから「ご自身としても重賞初制覇ですね」と水を向けられたとき、高田騎手の声が震えた。
「これまで何回か機会があったのですが、今回、松田先生がチャンスをくれたので、どうしても、厩舎の皆さんのためにも絶対勝ちたかったので、今回こういう結果になって、本当に厩舎の皆さんや先生にすごく感謝しています」
最後は涙をこらえきれなくなっていた。
メイショウサムソンにデビューから乗り続けた石橋守騎手。
ドリームパスポートになかなか乗れなかったが大一番を任された高田潤騎手。
期待を背負い、感謝を胸に秘めた二人の男の声にならない声が聞こえてくるような、見えない火花がバチバチ散っているような、そんな2006年の皐月賞だった。
競馬は馬の物語であり、やはり人の物語でもある。
写真:Horse Memorys