多くのドラマを生み出してきた菊花賞。
皐月賞、ダービーと好走しながらもタイトルに手が届かなかった、ナリタトップロード。しかし沖調教師は、愛弟子を信じ続けた。テイエムオペラオー、アドマイヤベガと同世代の素質馬が、デビューからコンビを組み続けた渡辺薫彦騎手を背に、菊花賞で3度目の正直を目指した。
競馬を愛する執筆者たちが、90年代後半の名馬&名レースを記した『競馬 伝説の名勝負1995-1999』(小川隆行+ウマフリ/星海社新書)。その執筆陣の一人、久保木正則氏が今もなおドラマティックさが色褪せない99年菊花賞を振り返る。
「競馬の主役は?」と聞かれたら何と答えるだろうか。
まずはサラブレッド。速く、そして美しく駆ける姿は多くの人々を魅了する。
競馬というドラマの花形である。
しかし彼らも、人間の手助けなしでは競馬場で演じることができない。馬主や生産者。さらには調教師と廐務員、そして騎手…。たくさんの人の力があって、競走馬は才能を発揮することができる。その点からすれば、人間もまた主役といえるだろう。なかでも調教師と騎手の絆は、これまでたくさんの名シーンを生み出してきた。
競馬学校騎手課程の10期生だった渡辺薫彦騎手は、父が沖芳夫廐舎で廐務員をしていた縁もあり、同廐舎の所属ジョッキーとして1994年の3月にデビュー。沖調教師は愛弟子を積極的にレースで起用して成長を支え、その甲斐もあり渡辺騎手は2年目に勝利数を前年の約3倍に増やす。しかし、その後は勝ち星が伸び悩み、重賞も勝てずにいたが、初騎乗から5年目の98年12月。のちに渡辺騎手を全国区へと押し上げるナリタトップロードが沖廐舎の管理馬としてデビュー戦を迎え、その手綱が愛弟子に託された。
爆発的なスピードでマイルCSなどGⅠを2勝したサッカーボーイを父に持つナリタトップロードだが、父とは違い〝良い脚を長く持続させる〞タイプ。新馬戦こそ2着に敗れたが、次戦で勝ち上がると4戦目のきさらぎ賞で嬉しい人馬初重賞制覇を飾る。続く弥生賞も早めの競馬で完勝すると一躍クラシックの主役に躍り出るが、皐月賞はテイエムオペラオー、そしてダービーではアドマイヤベガの強襲に遭ってしまう。特にダービーは大事に乗りすぎてしまい、鞍上はレース後に悔し涙を流したが、それでも皐月賞は3着で、ダービーが一旦先頭に立つ2着なのだから、力量に差がないことは明白だった。
夏を越し、残る一冠・菊花賞制覇に向けて陣営は秋の始動戦に京都新聞杯を選択したが、ファンはダービー馬のアドマイヤベガではなくナリタトップロードを1番人気に支持する。
しかし、渡辺騎手はダービーと同じ轍を踏み、決め手で勝るアドマイヤベガの後塵を拝してしまう。それでも沖調教師は乗り替えさせることをせず、廐舎一丸となって秋の淀へ向かった。
区切りとなる第60回菊花賞は、単勝オッズ1ケタ台がアドマイヤベガ、テイエムオペラオー、ナリタトップロードの3頭だけ。文字通りの〝三強対決〞となったが、これといった逃げ馬が不在。1周目のスタンド前で13番人気の伏兵タヤスタモツが先頭に立ちペースを作ったが、最初の1000m通過64秒3。次の1000mもほぼ同じタイム(64秒6)で流れる超スローペース。1番枠のナリタトップロードは少し遅れ気味のスタートだったが、この日の渡辺騎手はそこで控えずにポジションを上げる。その影響か、最初の下り坂で行きたがる仕草を見せたが、お互いを知り尽くした人馬はすぐに呼吸を整え、馬群の内で流れに乗り、悲願達成へ力を貯め込んでいく。
そして向正面へ入り、残り1200m地点付近。渡辺騎手は股の間から後方のアドマイヤベガ、テイエムオペラオーの位置を確認すると、もう負けるのはご免とばかりに二度目の下り坂で徐々に加速。4コーナーを回り終えて進路が開けると、渡辺騎手は迷いなく相棒へゴーサインを送り、ナリタトップロードもそれに応えてトップギアへ。残り300mで先頭に立つと後続を突き放しにかかるが、そうはさせまいとラスカルスズカとテイエムオペラオーが併せ馬になって襲いかかる。ゴールに向かいナリタトップロードの脚勢が鈍ることはなかったが、それを上回る勢いで伸びてくる2頭。しかし、早めの競馬が功を奏し、テイエムオペラオーにクビ差まで迫られたところがゴール。
本来のレースを取り戻した人馬が、失敗を繰り返しても信じて送り出してくれた師匠の期待に応えた瞬間、自分の馬券を忘れて胸が熱くなったのを今でも覚えている。
騎手独身寮の寮長を長く続けた渡辺騎手は、風貌からも人の良さが伝わってくるが、もしかしたら人気を背負うより重圧になるであろう〝もう負けられない〞という精神状態のなかで、「先生と話し合って決めた」というレースを実行したその姿はまさに勝負師だった。
ナリタトップロードは期待された翌年、ライバルのテイエムオペラオーが年間8戦8勝と絶好調だったこともあり1勝が遠く、有馬記念と年明け01年の京都記念で的場均騎手へ乗り替わってしまうが、同騎手の引退にともない、阪神大賞典から再びコンビを組む。しかし、GⅡを4勝したもののGⅠを勝つことはできなかった。晩年は渡辺騎手の負傷もあり四位騎手が主戦を務めた時期もあったが、ラストランの有馬記念では渡辺騎手が騎乗して4着。ドラマのようなエンディングにはならなかったが、ファンの心に残るコンビだった。
渡辺薫彦騎手は12年に騎手を引退し、16年から調教師として活躍している。ナリタトップ
ロードは種牡馬として3世代の産駒を残しただけで早逝してしまったが、07年のフローラSを勝ち、オークスを2着したベッラレイアを送り出し、その血脈は少しずつ広がっている。だとすれば、ナリタトップロードの血を受け継いだ渡辺廐舎の管理馬がGⅠレースを勝つ日がいつか来るだろう。
もしその鞍上が渡辺廐舎の所属騎手だったら…。競馬にロマンを追い求める私の妄想は尽きることがない。いやいや、渡辺調教師はまだ46歳と若い。ドラマのような現実を見せてくれる可能性は大きい。
(文・久保木正則)
(編集, 著),小川隆行+ウマフリ
(著)浅羽 晃,五十嵐 有希,大嵜 直人,緒方 きしん,勝木 淳,久保木 正則,齊藤 翔人,榊 俊介,秀間 翔哉,林田 麟,和田 章郎(星海社 2021年9月24日 発売)
星海社サイト「ジセダイ」
https://ji-sedai.jp/book/publication/2021-09_keibameishoubu1995-1999.html
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