競走成績では弟に劣りながらも、引退後に種牡馬入りしてから評価を逆転させた兄たち

突然ですが、皆さんにはご兄弟(あるいは姉妹)がいらっしゃいますでしょうか。兄弟姉妹がいると楽しい反面、周囲から比較され複雑な気持ちになることも多かれ少なかれあるかと思います。
弟(妹)の方が優秀な場合、兄(姉)は劣等感に苛まれ、肩身が狭い思いをすることもあります。ただ、兄(姉)を育てたノウハウが活きるため、弟(妹)の方が優秀な例が多いという俗説も耳にすることがありますが……。

当然ながら、兄弟がいるのは人間だけではありません。競走馬にもまた、同じ母から生まれた"兄弟"が存在します。そして競走馬であるからには競走成績や繁殖実績などで市場価値に差異が発生し、兄弟間で比較されることもあります。

しかし、必ずしも競走成績が繁殖実績に結びつくわけではありません。
優れた競走成績の持ち主が繁殖で失敗することは普通にありますし、逆にそれほど大きな実績のない馬が繁殖で成功する例もあります。

そこで今回は競走成績では弟に劣りながらも、引退後、種牡馬入りしてから評価を逆転させた兄たちをご紹介いたします。

1 ファロス (弟フェアウェイ、母スカパフロウ)

どちらもファラリスを父にもち、1920年代にイギリスで生まれ、競走生活も同地で送った兄弟です。

現役時代、兄ファロスは生涯戦績30戦14勝。勝利したレースの中で現在GⅠに格付けされているのはチャンピオンSのみですが、他にも英ダービー2着など、現代でも一流馬といえる実績を残しています。

しかし、競走馬としての評価は弟フェアウェイの方が上でした。こちらの戦績は15戦12勝で、勝利したレースのうち現在GⅠに格付けされているのはチャンピオンS(連覇)、エクリプスS、セントレジャー。当時は長距離レースの価値が高く、馬体は胴長で、ステイヤーとしても十二分な実績を残したことから、種牡馬としても期待されたのです。

実際、フェアウェイはイギリスで種牡馬入りすると3度のリーディングサイアーに輝く活躍を見せます。代表産駒には英二冠馬ブルーピーター、クイーンアンSのフェアトライアルといった名馬もいて、種牡馬としても期待に違わぬ活躍をみせたと言えます。その結果、兄ファロスがフランスに輸出されたほどでした。

ところが兄ファロスはその後、大ブレイク。
イタリア二冠、パリ大賞典などを制した14戦全勝のネアルコ、3戦全勝の仏ダービー馬ファリスをはじめ欧州4か国のダービー馬を輩出し、母国イギリスでもリーディングサイアーを獲得したのです。
ファロスの大躍進はこれだけではありませんでした。産駒の一頭であるネアルコが後に種牡馬として大成功し、その仔ナスルーラやロイヤルチャージャー、孫のノーザンダンサーが現在なお繁栄を続ける一大父系を築きあげ、多くのサラブレッドの父祖となったのです。

後世のサラブレッドに与えた影響力という点で、弟フェアウェイを兄ファロスが大きく上回ったと言えるでしょう。

2 サーゲイロード(弟セクレタリアト、母サムシングロイヤル)

どちらもアメリカ合衆国で生まれ、競走生活も同地で送った兄弟です。

ターントゥを父にもつ兄サーゲイロードは1959年生まれの競走馬。生涯戦績は18戦10勝と、数字だけを見ればなかなかのもの。ただ、アメリカは現在も二歳からどんどんレースを使っていく傾向にありますが、当時はそれがさらに顕著で、この戦績は三歳春までのものになります。
サーゲイロードは現在のGⅠ格に当たるレースは未勝利で、大舞台での成績は二歳時にフューチュリティSで3着に入ったのが目立つ程度。ケンタッキーダービー前に故障して引退してしまいました。競走馬としては一流に届くかどうか……といった評価でしょうか。

かたやボールドルーラーを父にもつ弟セクレタリアトは1970年生まれ。生涯戦績は21戦16勝、二歳時と三歳時に米年度代表馬に選ばれ、米三冠を全てレコードで勝利し、芝12ハロンでも当時のレコードを樹立するなど空前絶後の活躍を収め、今なおアメリカ史上最強馬と称えられる名馬の中の名馬です。当然のように引退後も名種牡馬になるであろうと多くの人が思っていましたが、残念ながらそうはなりませんでした。米二冠馬リズンスター、BCディスタフの勝ち馬レディーズシークレットを輩出し、母父としてエーピーインディやストームキャットを世に送り出していますから、失敗とはいえないまでも当初の期待どおりの産駒成績は収められなかったのです。現在、サイアーラインはどうにか命脈を保っていますが、いつまで存続できるか不透明な状態にあります。

一方、兄サーゲイロードは引退後に種牡馬入りし、自身の現役生活を上回る活躍をみせます。主な産駒はともに欧州へ輸出された英二冠馬サーアイヴァーに、ロッキンジSとムーランドロンシャン賞の勝ち馬ハビタット。そして、そのどちらもが種牡馬として大成功を収めました。特に前者はその仔サートリストラムがオーストラリアに輸出されて一大父系を築きあげ、現在なお一定の勢力を維持しています。また自身ものちフランスへ渡り、他にも複数のGⅠホースを輩出。種牡馬入りして以降の評価は、弟セクレタリアトより兄サーゲイロードの方が上といえるでしょう。

3 トライマイベスト(弟エルグランセニョール、母セックスアピール)

どちらもノーザンダンサーを父に持ち、アメリカ合衆国で生まれ、アイルランドで調教された兄弟です。

1975生まれの兄トライマイベストは生涯戦績5戦4勝。二歳時にGⅠデュハーストSを勝ち3戦全勝して全欧二歳王者に選ばれ、年明けのステップレースも制して無敗のまま英2000ギニーに挑戦しましたが、そこで大敗。その後に故障が発覚して引退を余儀なくされました。先天的に脚に異常を抱えていたのが決定打となったようです。

その6年後に生まれた弟エルグランセニョールは8戦7勝2着1回と準パーフェクトの戦績。その2着も英ダービーのみで、主な勝ち鞍は愛ダービー、英2000ギニー。デュハーストSにも勝利しており、兄に続いて全欧二歳王者に選ばれました。しかも同世代にダルシャーン、サドラーズウェルズ、レインボウクエストといった名馬たちがいる中でこの実績です。やはり兄と同様に脚部不安で三歳の夏に引退してしまいましたが、1980年代欧州屈指の競走馬との評価を下され、当然のように種牡馬としての活躍も期待されました。実際、受胎率が低いという小さくない問題を抱えながらも、キングジョージの勝ち馬ベルメッツ、英愛2000ギニーの覇者ロドリゴデトリアーノを出し、一定の成果は出しています。ところがその後が続かず、先述の2頭もこれといった後継を残せずにこの世を去ってしまっています。

一方の兄トライマイベストも血統の良さを買われて種牡馬入りしていたものの、派手な成績を残したわけではありません。イタリアに輸出されましたが、目立った競走実績を残した後継もBCマイルを制したラストタイクーンのみ。ここまでを見れば兄弟間の種牡馬実績はせいぜい引き分けといったところでしょう。

しかしこのラストタイクーンがシャトルサイアーとしてオーストラリアでも供用されて大成功を収めます。その仔イグレシアからリトゥンタイクーンが出て、サイアーランキングでも上位を占めるようになりました。またトライマイベスト自身の産駒のうち、あまり目立たなかったワージブがロイヤルアプローズ→アクラメーションと細々とラインを繋ぎ、さらにそこから出たダークエンジェルが欧州の短距離種牡馬として大活躍しています。もしかするとラストタイクーンは世界で繁栄する二大父系の祖となるかも知れません。兄弟自身の種牡馬成績は互角程度でしたが、サイアーオブサイアーとしての実績は兄トライマイベストに軍配が上がったのでした。

4 サクラトウコウ(弟サクラチヨノオー、母サクラセダン)

どちらも父マルゼンスキーを父に持つ日本産の日本調教馬で、当然のように種牡馬生活も日本で送った兄弟です。

兄サクラトウコウは1981年生まれで生涯戦績12戦4勝、主な勝ち鞍はGⅢ函館3歳(現2歳)Sと七夕賞。競走能力の高さは認められながらも、父譲りの脚元の弱さがたたりビッグタイトルはとれずに引退を余儀なくされました。もっとも、同世代には三冠馬シンボリルドルフがいたので、クラシックは厳しかったと思われますが……。

対して1985年生まれの弟サクラチヨノオーは、兄より二回りほど大きい競走成績を残しました。通算10戦5勝で主な勝ち鞍はGⅠの日本ダービーと朝日杯。ただしこの兄弟は世代の巡りあわせが悪いのか、チヨノオーも二歳と三歳の頂点を決めるレースに勝利しながら、同期にサッカーボーイとオグリキャップがいたためにJRA賞は獲得ならず。しかもこのチヨノオーは、種牡馬入りしてからも世代の運に恵まれませんでした。初年度産駒のサクラスーパーオーが皐月賞で2着に入りましたが、このとき破格のレコードタイムで優勝したのは三冠馬ナリタブライアンだったのです。また種牡馬として母父サクラセダンのスタミナとパワーを強く伝える特徴が災いしてか、他に重賞を勝ったのはGⅡを3勝のマイターンとGⅢを1勝のサクラエキスパートだけで、自身に続くGⅠホースを世に送りだすことなく種牡馬引退となりました。

一方、弟より先に種牡馬入りした兄サクラトウコウは自身を上回る産駒を輩出します。それがネーハイシーザーでした。GⅢを2勝のほかGⅡの大阪杯と毎日王冠を制覇し、ついに天皇賞・秋で優勝。父が手の届かなかったGⅠタイトルを獲得しました。おそらく父マルゼンスキーのスピードを強く伝える特徴がプラスにはたらいたのでしょう。他にも毎日王冠の覇者スガノオージなどを送りだしています。ともかくこのサクラの兄弟においては、兄サクラトウコウの方が優れた種牡馬実績を残したのでした。


さて、いかがだったでしょうか。当然、人間と馬は違いますが、こうして見てみると競走馬も後になって兄が弟を見返した例はあまり多くないような気がします。やはり母馬の血統や現役時代の成績からその能力を推測することはできても、実際に種牡馬と交配して出産し、何頭か育ててみないと仔の特徴が掴めないなどといった理由から、兄の方が弟より能力で勝る例はそれほど多くはない印象です。そこから種牡馬実績で評価を逆転となる、といっそう難しいのかもしれません。上に挙げた4例の中でも、自身の種牡馬実績で明確に弟を見返せたのはサクラトウコウぐらいではないでしょうか。そもそもある程度の血統の裏付けがない場合、競走馬を引退した後に種牡馬になる方が珍しいわけですから、たとえ弟が活躍してもその頃には乗馬になるなどして去勢されているケースもあるでしょう。そんな逆風の中にあって、後に評価を覆した兄たちの活躍にはいっそう光るものがありますね。改めて敬意を表したいと思います。

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