王道から覇道へ~2000年京都記念・テイエムオペラオー~

平成12年、西暦2000年は20世紀の最後の年であり、「ミレニアム」という言葉がよく飛び交った年として記憶される。

幸いにして、ノストラダムスの大予言による恐怖の大王も、各種コンピューターシステム周辺で騒がれたY2K問題も、どちらも現実に起こることなく迎えた、二千年紀の最後の年である。

その平成12年の2月20日、京都競馬場。
第93回京都記念に、テイエムオペラオーは出走してきた。

その背には、デビュー以来の手綱を取る和田竜二騎手がいた。


振り返れば、前年の平成11年の掉尾を飾った有馬記念。
グランプリ3連覇を期したグラスワンダーと、秋の古馬GⅠ・3連勝を狙ったスペシャルウィーク。
充実の5歳2頭による、歴史的な名勝負。

あの武豊騎手をして勘違いのウイニング・ランをさせるほどの際どいハナ差の決着に、タイム差なしのクビ差3着に食い込んでいたのが、当時4歳のテイエムオペラオーだった。

──そんな激走を終えてから、56日後。

立春はとうに過ぎて雨水を迎えていたとはいえ、まだ厳しい寒さの残る淀に、明け5歳となったテイエムオペラオーは平成12年の初陣を求めた。

無人の荒野を往くがごとくの、彼の「覇道」。

その始まりだった。


その前年、テイエムオペラオーが走った平成11年のクラシック戦線は、三冠それぞれを異なる馬が制した「三強」による物語だった。

三冠の緒戦である皐月賞を制したのは、テイエムオペラオーと和田竜二騎手。

デビュー戦で骨折の重傷を負ったものの、復帰後に勝利を重ね、追加登録料を払ってまで出走した皐月賞でクラシック制覇を成し遂げる。

追加登録馬がクラシックを勝ったのは、このテイエムオペラオーが史上初めての快挙だった。

父は凱旋門賞馬のオペラハウス、母の父もまた欧州の大種牡馬Blushing Groomという重厚な欧州血統の塊。

こうした重厚な欧州血統の直系は、日本の軽い馬場では「ズブさ」として出ることが多いものだが、ことテイエムオペラオーにおいては重馬場や坂を苦にしないパワー、高い心肺能力、そして大レースを勝ち切る底力といった、この血の持つ素晴らしさが余すことなく出た稀有な例であるといえた。

和田騎手は、この皐月賞を勝った当時21歳の若武者。

あの福永祐一騎手や柴田大知騎手が同期にいた「競馬学校花の12期生」の中で、最も早く重賞を勝利。気鋭の若手であった和田騎手の初めてのGⅠ制覇が、このテイエムオペラオーの皐月賞だった。

続いて、二冠目の日本ダービー。
武豊騎手と、彼の手でオークスを制したベガの初仔であるアドマイヤベガが鋭い末脚で差し切ってダービー馬の栄誉に浴する。

父は偉大なるサンデーサイレンス、母は名牝・ベガ、その父はトニービンという、当時の日本の種牡馬の粋を集めたような血統表。

「選良の中の選良」たるアドマイヤベガ、その背に名手・武豊騎手によるダービー制覇という、どこまでも絵になる人馬の勝利だった。

そして最後の一冠、菊花賞では渡辺薫彦騎手のナリタトップロードが執念のロングスパートで、春の雪辱を果たす。

父のサッカーボーイはその勝ち鞍・マイルチャンピオンシップから名マイラーとして記憶されることが多いが、その父系には重厚な欧州のステイヤーの血が流れている。

管理していた沖芳夫師は厩舎期待のナリタトップロードに、当時二十代前半の若手であった渡辺薫彦騎手を乗せ続けた。

春の二冠での惜敗を糧に、渡辺騎手は見事に最後の一冠を勝ち取ることで、師の信頼に応えたのである。


三者三様、そして三馬三様といった、それぞれの味わい深いドラマ。

古くはトウショウボーイ、テンポイント、グリーングラスの「TTG」三強。

昭和が終わりを告げる頃には、オグリキャップ、スーパークリーク、イナリワンの「平成」三強。

平成5年のクラシックを分け合った、ナリタタイシン、ウイニングチケット、ビワハヤヒデの「BWN」三強。

人はライバルたちの織りなすドラマに熱狂し、その名勝負に酔いしれる。

平成11年のクラシックを分け合った3頭の勝負は、そのような歴史に残る「三強」に連なり、翌年以降も続いていくことを期待していたファンも、多かったのかもしれない。

しかし、その期待は思わぬ形で裏切られることになる。


テイエムオペラオーは、明け5歳となったその京都記念で1番人気に支持された。

その同期の菊花賞馬、ナリタトップロードと渡辺薫彦騎手が2番人気。

そして3番人気には、幾度となくGⅠで好走するも、この時点ではまだ重賞未勝利だった7歳のステイゴールド・熊沢重文騎手が続く。

さらに同年の中山金杯で2着に入っていたミスズシャルダンとミルコ・デムーロ騎手、前年の新潟で重賞を2勝していたブリリアントロードが人気で続き、総勢11頭の古馬で争われることとなった。

歴代の勝ち馬にはタケシバオー、テンポイント、ビワハヤヒデといった名馬が名を連ね、多くの一流馬の始動戦として選ばれてきた、この伝統のGⅡ別定戦・京都記念。

平成12年、ミレニアムの古馬中長距離戦線を占う一戦が、スタートした。


ゲートが開き、揃ったスタートから大外11番枠のトキオアクセルと松永幹夫騎手が先手を主張する。

内の好枠から青い帽子のステイゴールドも好位集団での追走、その外から10番枠のミスズシャルダンもその集団に取り付いていく。

その後ろの中団では6番ブリリアントロードと山田和広騎手が内ラチ沿いをキープしている。

そしてその外に、オレンジ帽8番のテイエムオペラオーの和田騎手はポジションを取っていた。

同枠オレンジ帽、9番のナリタトップロードは、テイエムオペラオーを見るようにその1馬身後ろをじっくりと追走するという、前年の菊花賞とは真逆の位置取り。

両者の思惑が交錯する中、馬群は1コーナーをカーブして、2コーナーに入っていく。

そのままの隊列で向こう正面に入り、前半の1,000mを62秒6とスローペースでレースは流れていた。

そして淀の難所、3コーナーに向かう登り坂に入り、馬群がじりじりと縮まっていく。

残り800mを過ぎ、先に動いたのはナリタトップロードの方だった。

渡辺騎手はじわっとナリタトップロードを押し上げ、テイエムオペラオーに外から馬体を併せにいく。

前年のクラシックホース2頭の馬体が並び、場内から大歓声が上がる。

残り600m、馬群は一団となって固まり、まるで一つの生き物のようになって4コーナーへ向かった。

迎えた直線、内から伸びるミスズシャルダン、その外から悲願の重賞初制覇を狙うステイゴールドが脚色を伸ばす。

さらにその外からテイエムオペラオーが馬体を併せにかかる。

大外から同じオレンジ帽のナリタトップロードが飛んでくる。

ナリタトップロードの脚色がいいか。

そう思った刹那──。

グイ。

真ん中のテイエムオペラオーの馬体が伸び、差し返した。

内で粘るミスズシャルダンとステイゴールドを競り落とす。
外から襲い掛かるナリタトップロードを抑え込む。

抜かせない。

僅かではあるが、どこまで走っても縮まりそうにない、その差。

ハナでもクビでも、最後に前に出ていればいい。

そんな空恐ろしい余裕が、どこかテイエムオペラオーには感じられた。

脚色が同じになり、その態勢のままゴール板を通過した。

テイエムオペラオー1着。

クビ差の2着にナリタトップロード、そしてミスズシャルダンを競り落としたステイゴールドが3着に入線。

このレースでは本賞金の差により、テイエムオペラオーはナリタトップロードよりも1キロ軽い斤量での出走だった。

同じ斤量であればどうだったか──という仮定は残る。

されど最後の直線、テイエムオペラオーの武骨ながらも、どこか泰然とした走りは、春の訪れとともに、ある種の風格を漂わせつつあった。

テイエムオペラオー、平成12年の緒戦、第93回京都記念を制する。


その後のテイエムオペラオーは、平成12年を無人の荒野を往くがごとく、「覇道」を突き進んだ。

3月19日、GⅡ・阪神大賞典、1着。
長丁場でも、菊花賞馬を寄せ付けず。
意地の、2馬身半差。

4月30日、GⅠ・天皇賞(春)、1着。
王者降臨、三強から一強へ。
独裁の、3/4馬身差。

6月25日、GⅠ・宝塚記念、1着。
雨もなんのその。失速するグラスワンダー、時代が交錯した4コーナー。
永遠の、クビ差。

10月8日、GⅡ・京都大賞典、1着。
秋も主役は譲らず。ノーステッキでナリタトップロード以下を封じる。
安定の、アタマ差。

10月29日、GⅠ・天皇賞(秋)、1着。
1番人気12連敗中のジンクスも、渋った重い馬場も、どこ吹く風。
完勝の、2馬身半差。

11月26日、GⅠ・ジャパンカップ、1着。
あのシンボリルドルフ以来の1番人気での勝利で、史上初の12億円ホースへ。
圧巻の、クビ差。

12月24日、GⅠ・有馬記念、1着。
4コーナーでの絶望的なポジションから、いったいどうやって追い込んできたのか。
最後は感動の、ハナ差。

この勝利で重賞8連勝、うちGⅠを5連勝。

前人未到の、古馬中長距離GⅠ完全制覇。

平成12年を8戦8勝、無敵の進軍のごとし。

前年のクラシックを「三強」の一角として走っていたテイエムオペラオーは、誰も想像し得なかった空前絶後の記録で、平成12年を駆け抜けた。

その「覇道」の始まりは、厳寒期の京都だった。


紀元前の中国、戦国時代に生きた儒家・孟子は、仁と徳よる政治を王者による「王道」と呼び、武力や権力を原理とした政治を覇者による「覇道」と峻別した。

平成11年のクラシック戦線は、テイエムオペラオー・アドマイヤベガ・ナリタトップロードがそれぞれ三冠を分け合い、一方の古馬戦線においては、スペシャルウィークとグラスワンダーが鎬を削った。

そのような魅力あふれるライバルたちの競演が競馬の「王道」であるならば、平成12年のミレニアムにテイエムオペラオーが歩んだのは「覇道」に見える。

孟子が前者を為政者の歩むべき道と考えたように、「王道」の方が支持されるのが常である。

さりとて、史上初めて中国全土を統一した秦は、武力すなわち「覇道」により統一を成し遂げた。

テイエムオペラオーの年間無敗・古馬中長距離GⅠ完全制覇という途方もない偉業も、どこかそれに似ているのかもしれない。

ものごとに始まりがあるように、平成12年の京都記念は、彼の「覇道」の端緒となったレースだった。

──ときは立春を過ぎ、雨水に向かう頃。

古都の厳しい寒さも、次第に緩みはじめ、眠っていたものたちも目を覚ます。

今年も、京都記念がやってくる。

写真:かず

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