2002年1月20日、私を競馬の虜にしてくれたステイゴールドが、京都競馬場で引退式を執り行った。ステイゴールドがターフを去ってからその産駒がデビューするまでの約3年半もの間、たくさんの名馬が私を競馬に繋ぎ止めてくれた。 私が夢中になるのはいつも、表舞台を彩るスターたちではなく、どこかもう一歩頂点に足りない──愛さずにい...
中央競馬ニュースの記事一覧
名種牡馬として活躍したボストンハーバーが、9日、老衰のため亡くなっていたことがわかった。27歳だった。 ボストンハーバーは現役時代はアメリカで競走生活を過ごし、ブリーダーズカップ・ジュヴェナイルなどを制覇。1996年のエクリプス賞最優秀2歳牡馬に選出された。 日本に種牡馬として輸入されてからは、イクスキューズ(クイーン...
2003年ダービー馬・ネオユニヴァースが、8日に種付け中の事故により亡くなった事がわかった。21歳だった。 ネオユニヴァースは、2003年に白梅賞(500万下)から5連勝で皐月賞・ダービーを制覇。菊花賞では3着に敗れ三冠を逃したものの、古馬になっても大阪杯を制する活躍を見せていた。 引退後は種牡馬としても活躍し、産駒か...
中山金杯ってどんなレース? 1952年に4歳以上のハンデキャップの重賞競走「金盃」として創設されたレースです。当初は中山競馬場の芝2600mで行われました。 その後、1954年に負担重量が別定に変更されましたが、1961年にはハンデキャップに戻され、芝2000mに距離が短縮されています。 また、同年より開催時期を1月の...
有馬記念ってどんなレース? 1955年まで、暮れの中山競馬といえば中山大障害が最大の呼び物でした。当時、JRAの理事長であった有馬頼寧(ありま よしやす)氏が、中山競馬場の新スタンド竣工を機に、暮れの中山競馬にも日本ダービーに匹敵する大レースをと提案。戦前に野球球団を所有していた有馬氏は野球のオールスターゲームから着想...
チャンピオンズカップってどんなレース? 「世界に通用する強い馬作り」を目指すべく、1981年に芝2400mの国際招待競走「ジャパンカップ」が誕生しました。ダート競走においては、1995年に中央競馬・地方競馬相互間の交流が飛躍的に拡大され、ダートグレード競走で活躍した馬がドバイやアメリカのダート競走に挑戦するようになりま...
ジャパンカップってどんなレース? 「世界に通用する強い馬作り」を目指すべく、外国から強豪馬を招待して日本のサラブレッドと競わせようという趣旨により、1981年に日本初の国際招待競走としてジャパンカップが創設されました。 1981年は北米とアジア地区から招待馬を選出し、アメリカ・カナダ・インド・トルコ(招待馬デルシムは来...
マイルチャンピオンシップってどんなレース? 日本の近代競馬は長い間、長距離の競走を重視していました。しかし、世界の競馬の潮流が「スタミナと共にスピード重視」の色合いが強くなってきました。その典型例が1981年に行われた第1回ジャパンカップです。ホウヨウボーイ、モンテプリンスと当時の日本競馬の実力馬が出走した中、必ずしも...
エリザベス女王杯ってどんなレース? 1970年に3歳牝馬三冠競走の最終戦として創設された「ビクトリアカップ」を前身とするレースです。 1975年にイギリスのエリザベス女王が来日されたのを記念して、翌1976年に「エリザベス女王杯」として新たに第1回の競走が開催されました。コース・条件はビクトリアカップを踏襲し、3歳牝馬...
アルゼンチン共和国杯ってどんなレース? アルゼンチン共和国杯は1963年に、日本とアルゼンチンの友好と親善の一環としてアルゼンチン・ジョッキークラブから優勝カップの寄贈を受け、「アルゼンチンジョッキークラブカップ」として創設されました。1974年にアルゼンチンの競馬がジョッキークラブから国の管轄に移管されたことに伴い、...
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語り継がれし「名馬」たち
レース回顧
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[重賞回顧]”バド”の雪辱を、”スタニング”が晴らす見事な勝利~2024年・エリザベス女王杯~
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[重賞回顧]夕暮れに映えた白き古豪、ハヤヤッコ~2024年・アルゼンチン共和国杯~
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[地方レース回顧]意地の連覇、意欲の挑戦~2024年・マイルチャンピオンシップ南部杯~
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[重賞回顧]いざ、逆襲のとき。武豊騎手とドウデュースが感動の後方一気!~2024年・天皇賞秋~
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[重賞回顧]夏を越して走りが洗練されたアーバンシックが菊の大輪を戴冠!~2024年・菊花賞~
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[重賞回顧]秋晴れに輝く2つ目のティアラ 盤石の競馬で突き抜けたチェルヴィニアが二冠達成~2024年・秋華賞~
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[重賞回顧]古馬相手でも適距離では負けられない! 混戦を断った3歳馬シックスペンスが、秋初戦を快勝~2024年・毎日王冠~