トウカイテイオー。
見るものを魅了する端正なルックスと父シンボリルドルフを彷彿とさせる強さで、現役生活を終えて30年、この世を去ってから10年経った今もなお人気の競走馬である。
G1は颯爽と駆け抜けた1991年の皐月賞&日本ダービーのクラシック二冠、古馬になってからは92年ジャパンカップ、そして結果的にラストランとなった93年有馬記念の4勝を挙げている。
一方で、トウカイテイオーの魅力として語られるのは「敗北からの復活」「不屈の闘志」の美しさであることが多い。勝利と敗北、栄光と挫折、一見相反する要素に見えるが、トウカイテイオーを語る上では、そのどちらも欠かせない要素である。
さて、皆様はトウカイテイオーの父、シンボリルドルフのJRA CMで使われたこの一言を覚えているだろうか。
『勝利より、たった三度の敗北を語りたくなる馬』。
奇しくも息子トウカイテイオーが敗れたレースもたった3度、92年の春秋天皇賞と有馬記念である。
新馬戦のその日からトウカイテイオーには父子日本ダービー制覇の期待がかけられ、陣営やファンの期待に無敗で応えた。骨折で父子クラシック三冠馬の夢は途絶えるが、古馬初戦の産経大阪杯では鞭も入れずに楽勝。
90年代を代表するステイヤー、メジロマックイーンとの戦いに1番人気を背負って挑むが、初めて挑んだ長距離戦でマックイーンに敗れ、初めての負けを経験する。
春の大一番の後に発覚した骨折の影響で、秋はぶっつけ本番で天皇賞から復帰するも、超ハイペースを先行したことで最後の直線で失速してしまう。これが2度目の敗北である。
そして1992年の有馬記念、ジャパンカップで復活勝利を挙げ、ファン投票で17万票以上を集め、第1位で選出。
ところがゲートを出たところで腰を捻ってしまい、メジロパーマーとダイタクヘリオスの逃げ合いを後方で追走したままレースを終えてしまう。
1993年春、3度目の敗北の後、引退も検討された中、陣営が出した結論は「再起」であった。
宝塚記念を目指したが三度目の骨折。それでも、前年に置いてきた勝利の栄光を取り戻すため、トウカイテイオーは364日ぶりに中山競馬場に戻ってきた。これだけでも素晴らしいことだが、トウカイテイオーは中山の直線でビワハヤヒデとの一騎打ちを制して、感動の名場面が生まれた。
競走馬生はシンボリルドルフ以上に故障や挫折を味わった。だからこそ、父以上の陰陽の差がより一層敗北からの逆転勝利をドラマチックに見せるのではないか。
若き日の他馬を置き去りにする父譲りの勝ち姿だけでなく、敗北から復活する姿も含めてかっこいいと評するならば、その前段として92年の春秋天皇賞と有馬記念でのたった3度の敗北こそが、必要なピースになる。
トウカイテイオーの伝説は、勝ちっぱなしでは成立しえない物語なのだ。
そして、現在。
大種牡馬サンデーサイレンスの後継者たちが全盛の日本競馬界の中で、ただ1頭トウカイテイオーのサイアーラインを残す戦いに挑む種牡馬がいる。
彼の名はクワイトファイン。競走成績は地方競馬6勝、中央で華々しい成績を残したルドルフ、テイオーには及ばないが、競走馬生8年間で142戦を走破したその身体には、確かに不屈の闘志を宿した血が流れている。
クワイトファインもまた、トウカイテイオー後継種牡馬プロジェクト主宰の原田さんを中心に、種牡馬入りに賛同した競馬ファン(私もその一人である)の期待を背負って、2020年に種牡馬入りを果たした。2023年、ついに待望の牡馬産駒が産まれ、一歩前進している。
勿論、父トウカイテイオーがそうであったように、クワイトファインのファンも可能性を信じている。
クワイトファインの日々の様子はトウカイテイオー後継種牡馬プロジェクトの記事をぜひ一読してほしい。
2023年、栄光の有馬記念から30年が過ぎた今も、トウカイテイオーの伝説は今もなお形を変えて続いている。
だからこそ、トウカイテイオーの伝説の続く限り、誰もが思いを余すことなく語り続けて欲しいと、切に願う。