2018年4月29日、天皇賞・春。
魂の走りで、レインボーラインはゴール板を先頭で駆け抜けた。
GⅠ挑戦10回目にして、遂に掴んだGⅠ馬の称号。
ウイニングランをするレインボーラインを多くの観衆が祝福の拍手で迎え入れる……はずだった。
しかし、ウイニングランだと思った矢先、1コーナー付近でレインボーラインが立ち止まった。騎乗していた岩田騎手が、すぐに下馬をする。そこには、前脚を気にして、痛々しい動きをするレインボーラインの姿があった。
何か良くないことが彼の身に起こっていることが、すぐにわかった。
悲願のGⅠ制覇による歓喜の声は、痛切な叫びに変わる。
一刻もはやく馬運車が来て欲しいと思った。
一方で、この悲痛なシーンから目を背けてはいけないとも思った。
悲しくても辛くても、これが、競馬の現実なのだ。
目を背けないから、だから。
レインボーライン、どうか無事でいて──。
2013年4月1日。
名門ノーザンファームにて、レインボーラインはこの世に生を受けた。
父ステイゴールド、母レーゲンボーゲン、母の父フレンチデピュティといった血統。半姉にはローズステークス(GⅡ)勝ち馬のアニメイトバイオがいる。母の血を辿っていくと、メジロライアンらを輩出したアンバーシャダイや、そのアンバーシャダイと戦ったホウヨウボーイの父であるファーストファミリーの名が並ぶ。
そして2015年8月2日、札幌競馬場。
迎えたデビュー戦は7頭立ての芝1800m戦で、レインボーラインは2番人気だった。
結果は1番人気に推された勝ち馬から2馬身差の2着。
そして続く2戦目も2番人気、2着。
またもや1番人気の馬に泣かされた。
初勝利を飾ったのはデビューから3戦目でのこと。
このとき、レインボーラインは1.9倍の圧倒的1番人気に支持された。
レースは中団後方を進んでいたが、3コーナーからぐんぐんと前に詰める。
直線半ばで前をいく馬を力強く追い抜かし、2馬身半差をつけての堂々たるゴールだった。
しかし、レインボーラインが1番人気となったのは、意外にもこの1度きり。
ファンも多く人気はあれど──しかし、主役は他にいる。
いつでも挑戦者、というのがレインボーラインだった。
初重賞制覇となったのは3度目の重賞挑戦の、2016年2月27日、アーリントンカップ。
レインボーラインは4番人気だった。
3コーナーから徐々に進出を開始すると、4コーナーでは大外を回って、いざ直線へ。
しかし他の馬も粘り強く、なかなか抜け出せず。
馬群がばらけることなく、横一線で、ゴールイン。
終わってみれば、5着までタイム差なしで、ハナ、ハナ、クビ、アタマという大接戦。
その激闘をレインボーラインはその勝負根性でハナ差、勝ち切ったのだ。
2016年8月21日の札幌記念では、ネオリアリズムの前に3着に敗れた。
しかも2着は、後のGⅠ6勝馬、モーリスである。
古馬相手、しかも上位2頭はともにその後、海を越えて香港でも勝利する名馬たち。
そのことを考えると、レインボーラインも能力の片鱗をみせていたと言っても過言ではないだろう。今回は相手が悪かった……と、そう感じた。
しかし、それは一度きりのことではなかった。レインボーラインの勝利を阻むのは、いつも高い壁。
悔しいことに、主役は他にいる。
そのことを誰よりも一番よくわかっていたのは、もしかしたらレインボーライン自身だったのではと、今となってはそう思う。
菊花賞は、後に最優秀3歳牡馬に選ばれたサトノダイヤモンドの前に届かず、2着。
2017年の天皇賞・春では12着と大敗を喫す。この時の勝者はキタサンブラックだった。
史上稀にみる不良馬場で行われた天皇賞・秋でも、王者・キタサンブラックに完敗の3着。
ジャパンカップはシュヴァルグランが勝ち、有馬記念はキタサンブラックが有終の美を飾った。
こうして見ると、キタサンブラックの影で泣いた馬は多いが、レインボーラインもそのうちの1頭だったということなのだろう。
しかし、どんなにレインボーラインが負けても、ファンである私は不思議と深く落ち込みはしなかった。
次こそは。
そう思わせる「希望」が、常にレインボーラインにはあった。
名は体を表すと言うが、多くのファンはいつかレインボーラインに勝利の虹が架かることを信じていたのだ。
年が明けて2018年3月18日、阪神大賞典。
1番人気は前年の菊花賞2着、京都記念を勝利して挑むクリンチャー。
レインボーラインは3番人気に支持された。
レースがスタートすると、いつものように中団後方あたりで折り合いをつける。
最終コーナーで外を回ると、直線に入り、内に大きく切れ込みながらもたった1頭抜け出した。
阪神3000mの舞台で、レインボーラインはついに1着でゴール板を駆け抜けた。
アーリントンカップ以来、約2年ぶりとなる重賞制覇だ。
このままの勢いで、更に大きな舞台でも。
そう、期待は否が応でも高まっていった。
そして迎えた天皇賞・春と、その勝利。
故障発生後、間もなくしてやってきた馬運車に乗せられ、レインボーラインはターフを後にした。
称えるべき馬が不在のまま、表彰式が行われる。鞍上の岩田騎手をはじめ、関係者の顔に笑顔はなかった。
レインボーラインは自らの競走能力と引き換えに、歴史ある盾の栄冠を勝ち取った。
──時が巻き戻せるのであれば、なかったことにしてしまえないだろうか。たとえ勝利が得られずとも、レインボーラインの故障はなかったことにならないだろうか。
一瞬、そんな思いがよぎる。
しかし、すぐに思い直す。
それは、渾身の走りをみせてくれたレインボーラインに対して、失礼極まりない気持ちなのだ。
レインボーラインの必死の激走は、勝利を欲していたからこそ。
あの勝利は、確かにレインボーラインが手にしたものだった。
ようやく辿り着いた、主役の座。
それは、称賛すべき出来事だ。
──けれどあの日、大事な言葉を、わたしは口にできていなかった。
2018年6月6日、関東地方の梅雨入りが発表された。
レインボーライン引退の報せが届いたのは、そんな雨の日だった。
1ヶ月以上ものあいだ続報を待ち続けていた身としては、正式な発表があっただけでもホッとした。
一方で、「引退」という事実にショックも受けていた。
病名である「右前繋部浅屈腱不全断裂」は目を背けたくなるような文字列だ。胸が痛む。
しかし引退と同時に、北海道新冠郡新冠町の優駿スタリオンステーションで種牡馬となる予定であることも判明した。
レインボーラインの夢は、まだ終わっていなかったのだ。
レインボーラインが、ターフに戻ることはない。
けれど、レインボーラインの血は確かに未来へと繋がっていく。
今度は産駒たちが、父レインボーラインの夢を乗せて、ターフを駆けていく。
その事実は、まるで雨上がりの空のようにキラキラと輝かしい光景に感じる。
『愛さずにいられない』
これはJRAポスター「ヒーロー列伝コレクション」における父ステイゴールドのキャッチコピーである。
オルフェーヴルやゴールドシップを輩出した偉大なる父ステイゴールド。
その生涯は多くのファンに愛されたものだった。
いや、愛さずにはいられなかったのだ。
レインボーラインも、どこかステイゴールドを彷彿とさせるようなところがある。
メンコから伸びた耳はいつでもピンと立っていて、その表情が愛くるしさを増す。
尻尾は先端にいくほど色素が薄く、光を浴びるとキラキラと輝いてみえる。
鹿毛の馬体がしなやかに伸びるさまは特別に美しく、見る者を惹きつけた。
マイルから長距離までこなし、なかなかキャラクターを掴めないところも。
最後の最後に悲願のGⅠ制覇というところまで、父に似ている。
ステイゴールドの後継種牡馬として、ドリームジャーニーやオルフェーヴル、ゴールドシップらとともに活躍して欲しい。
レインボーラインならきっと、それをやってのけるはずだ。
わたしたちはまた、夢の続きを見ることが出来る。
6月の梅雨空に、虹が架かった。
生きていてくれて、ありがとう。
夢を繋いでくれて、ありがとう。
頑張って走ってくれて、ありがとう。
出会ってくれて、ありがとう。
たくさんの「ありがとう」を未来に託して、レインボーラインとわたしたちの物語は続いていく。
そして、あの日言えなかった言葉を──今こそ声を大にして伝えたい。
「レインボーライン、天皇賞・春、優勝おめでとう」