競馬における"1998年世代"。それはまるで、漫画やドラマに描かれる脚本のような世代である。
産まれてすぐに母を亡くし、乳母に育てられた良血馬。
自身・鞍上、共に偉大過ぎる両親の宿命を背負う良血馬。
──そんな2頭のスターに立ち向かっていった、ある1頭の芦毛がいた。
父はデビュー時には既に消息不明。母も無名の繁殖牝馬。
周囲からの期待値などいざ知らず、ただ懸命に逃げ、走り抜けた2冠馬。
それが、セイウンスカイだ。
紛れもない、1998年クラシックの主役である。
父が残した"忘れ形見"。
父シェリフズスターが日本にやってきたのは1990年。
西山牧場の先代、西山正行氏がイギリスから買い取り同牧場の繁殖牝馬をこぞって種付けしたのだが、産駒が全く走らない。そのため種付け総数が一気に落ち込むと、1996年に息子の西山茂行氏に実権が変わった際、用途変更で種牡馬引退に追い込まれてしまう。
奇しくも輸入年度が一緒だった社台のサンデーサイレンスは、飛ぶ鳥を落とす勢いで産駒が活躍。明暗ははっきり分かれ、種牡馬引退後の消息は分からぬまま生涯を終えてしまった。
……が、彼は最後の最後、シスターミルとの間に大物を残す。
「セイウンスカイ」と名付けられた芦毛の幼駒は、開業したばかりの保田一隆師に預託。目立たぬ馬体にマイナー血統も相まって、大きな期待もされずにデビューを迎えた。
ところがデビュー戦は好位抜け出しから6馬身差の圧勝。続くジュニアCも逃げて、中山の急坂でバテるどころか直線で更に伸びて突き放し、5馬身差の圧勝劇を演じた。
あのゴールデンフェザントを下した父の競走能力をそのまま受け継いだかのような強さを見せ、マイナー血統の地味な競走馬が良血馬たちをなぎ倒し、クラシックの主役候補へと飛躍していく。
そしてそのままクラシックトライアル、弥生賞へ。
後にこの年のクラシックで鎬を削る事となる「3強」が、初めて顔を合わせた。
2倍台のスペシャルウィーク、キングヘイローと比べやや離された4.4倍の3番人気の支持だったが、直線に向いた時点で後続とは大きな差をつけセーフティリード。
ただ1頭追い込んできたスペシャルウィークには差されたものの、その着差は僅か2分の1馬身差の2着。3着キングヘイローには4馬身差。もはや実力は疑いようもなく、「3強」の一角に名を連ねることとなった。
迎えた、大一番となる1冠目・皐月賞。
陣営はこれまで手綱を取ってきた徳吉孝士騎手から、横山典弘騎手へのスイッチを決断した。
彼は初めて跨った相棒の手応えに「いつも武豊ばかりじゃ面白くないでしょう?」と、報道陣へ不敵な笑みをこぼしたと言う。その真意を我々が知るのは、皐月賞が終わってからだった。
戴冠、敗北、そして進化。
「最も速い馬が勝つ」とされる第1冠目の皐月賞。
セイウンスカイは2番人気とはいえ、5.4倍と少し1番人気から離された評価に落ち着いた。
その1番人気は、弥生賞を最後は流す余裕まで見せて完勝したスペシャルウィークと武豊騎手。さらに、6.8倍の3番人気に、人馬共に偉大なる親から産まれたキングヘイローと福永祐一騎手が続いた。
粛々と高まる「3強決戦」のムード。
コウエイテンカイチの逃げで始まった皐月賞は、無理に先頭を主張することなく2番手に控えたセイウンスカイが、満を持して4コーナーで先頭に立つ。その外から、キングヘイローが迫り、1完歩ずつ差を詰めてくる。
スペシャルウィークは外に持ち出し、末脚爆発に賭ける様相。4番手以降は坂の手前で既に遥か彼方──戦前の予想通り、3頭の争いに持ち込まれた。
柔らかいフォームと共に、1歩ずつ伸びたキングヘイロー。
大外枠、馬場悪化という2つの不利を背負いながらも、鋭く伸びたスペシャルウィーク。
しかしそれでも、良血2頭を従えてセイウンスカイは「最も速く」逃げ切った。
ゴールの瞬間横山典弘騎手は左手を突き上げ、吠え、表彰式で指を1本突き立てた。
もう誰も、彼を「安いマイナーな馬」とは呼ばない。「3強」の1角、そしてクラシック戦線の主役として、既にその目は次なる大舞台・日本ダービー……そして3冠へと向いていた。
しかし、日本ダービー本番はやや暴走気味になったキングヘイローが先頭に立ち、その鞍上福永祐一騎手の鞭が顔に当たったことで若干引っかかりスタミナを消耗。4コーナーで抜け出すも、スペシャルウィークの鬼気迫る強襲に屈する形で、4着に敗れた。制したスペシャルウィークの武豊騎手は後続をどれだけ離しても、鞭を落としてでも、追うのをやめなかった。まさに、執念の悲願成就だった。
悔しさを胸に夏を越えたセイウンスカイ。秋の始動戦には、なんと古馬混合の京都大賞典が選ばれた。
皐月賞馬とはいえ、春の天皇賞馬メジロブライトと有馬記念馬シルクジャスティスを筆頭に、G1戦線で好走を続けるローゼンカバリーやステイゴールドなど、小頭数ながら層の厚いメンバーが顔を合わせたこのレース。流石に厳しいと思われ、上位3頭から少し離れた4番人気の評価に落ち着いた。
スタートから快調に飛ばしていたセイウンスカイだったが、4コーナー手前で既に後続との差はなく、脚を溜めていたメジロブライトら後方待機勢が狙い通り怒涛の末脚を炸裂させ、セイウンスカイを捉えに出る。
──やはり流石に厳しかったか。
しかし私たちが、皐月賞馬の真価を目の当たりにするのは此処からだった。
交わされないのだ。
詰め寄られたはずのセイウンスカイが、もう一伸びしている。
一度は差を詰めたシルクジャスティスとステイゴールドが、更に突き放されていく。
そうはさせまいと、ただ1頭、古馬王者のプライドを賭けて最後までメジロブライトが追い詰めたが、セイウンスカイはクビ差踏ん張り通した。
現役トップクラスの牡馬たちの追撃を抑えての勝利、しかも彼らすら幻惑するその芸術的な立ち回り。
5分前に府中で、2頭の怪物を相手に逃げ切り勝ちを収めていたサイレンススズカとはまた違った意味で人々に衝撃を与え、最後の決戦へ歩を進めることとなった。
最速で、最強の戴冠。
「最も強い馬が勝つ」と言われる菊花賞。
セイウンスカイは古馬混合の京都大賞典を勝ちながらも4.3倍の2番人気という評価だった。
1番人気はやはりスペシャルウィーク。その単勝オッズは1.5倍。
前走の京都新聞杯で4コーナーからキングヘイローとマッチレースを繰り広げ、最後僅かにクビ差競り落とし勝利。王者にふさわしき堂々たる走りで最後の1冠に駒を進めてきた。
3番人気のキングヘイローが大きく離れた10.3倍のオッズだったように、3強の最終決戦というよりは、ダービー馬スペシャルウィークの差し切りか、皐月賞馬セイウンスカイの逃げ切りかという、2頭のG1馬の雌雄を決する最終決戦に注がれていた。
坂の頂上からゲートが開く。
気合をつけられるとセイウンスカイはいつも通り、自分から先頭を取りに行った。
2番手に2馬身、その後ろを更に離して芦毛の馬体が快調にかっ飛ばす。
一方、キングヘイローとスペシャルウィークは先頭を行くライバルの姿に焚きつけられたか、首を上げて行きたがるそぶりを見せ、セイウンスカイを追いかけようとしていた。
しかし、背中に跨る天才2人は先頭を行くライバルを無理に追いかけることはせず、手綱をがっちりと絞る。
その判断は正しかった。
案の定1000mを通過したところで、スタンドから悲鳴が上がる。1000mの通過タイムは59秒6。2000mのレースならまだしも、3000mの長丁場でこのラップは暴走に等しい。そんなペースを感じ取ったか2番手につけたレオリュウホウ以下、先頭を追いかけ、競り合う者はいない。
スペシャルウィークもキングヘイローも、直線での切れ勝負に徹するかのように息を潜める。
そんな後続の駆け引きなど素知らぬまま、セイウンスカイと横山典弘騎手は向こう正面でさらに後続に差をつけた。完全に暴走している。そう感じたファンも少なからずいたことだろう。
しかし、2周目の3コーナーで我々は自らの目を疑うこととなる。
快調に飛ばすセイウンスカイの手綱が、いつまで経っても動かない。後続との差も詰まるどころかさらに広がっている。
それもそのはずだ。1000m地点から2000mまでのセイウンスカイの通過タイムは64秒3。ハイペースから超スローペースへ、その走りを変え、一息も二息も入れていた。
いち早くその異変を感じ取ったであろう武豊騎手とスペシャルウィークが外を回して坂の下りから進出を開始し、先頭との差を詰めに行く。しかしさらにペースを上げていたセイウンスカイの走りは鈍るどころか、更に速度を増していく。直線に向いてなお、その差は詰まらない。
「逃げた、逃げた、逃げた! セイウンスカイが逃げた、逃げた、逃げた!」
杉本清アナウンサーの実況に合わせるように、粘る、粘る、粘る。
切れ味勝負に賭けた後続の作戦を、まるで嘲笑うかのように。
ダービー馬も、最後の意地を見せたかったライバルももう、届かない。
「まさに今日の京都競馬場の上空とおんなじ、青空!」
最も速く、そして強くゴール板を駆け抜けた。
『圧倒的なレースの支配』をまざまざと見せつけ、前週にスピードの向こう側へと駆け抜けて逝ったサイレンススズカに代わる、しかし全く別の『最強の逃げ馬』の誕生を確信させるような世界レコードの2冠戴冠。
それは距離不安も、マイナー血統の限界も、世間の評価もまとめて吹き飛ばし、その強さを我々の脳裏に強く刻み付ける勝ち方だった。
青空のフィナーレ
暮れの有馬で同世代の栗毛の怪物、グラスワンダーの復活に屈したセイウンスカイだったが、翌1999年の始動戦、日経賞で見事な逃げ切り勝ちを収める。2着セイウンエリアと共にシェリフズスター産駒ワンツーを決め、古馬の最高峰、春の天皇賞でスペシャルウィークと4度目の激突。しかし、菊花賞のようなレースはできずに並ぶ間もなく交わされると、前年の覇者メジロブライトにもあっさりと突き放され3着に敗れた。
夏の札幌記念で同世代の牝馬2冠を制したファレノプシスに中団からのまくりで勝利し、そのまま天皇賞秋へ直行したのだが……1番人気で迎えたこの舞台で、あろうことかゲート難が再発。
目隠しまでされ、嫌々ゲートに入るも、逃げずに中団からの競馬となる。
結局、直線でも伸びきれず、同期のダービー馬が京都大賞典7着から劇的な復活を遂げたのを、その後ろの5番手で見守るしかなかった。
更に悪夢は重なる。屈腱炎を発症し、このレースの後は長期休養。
次にターフに帰ってきたのは、スペシャルウィークが現役を引退し、テイエムオペラオーとメイショウドトウが鎬を削っていた2001年の天皇賞春。1年以上の長期休養で、復帰後初戦でG1を勝った馬など、トウカイテイオーしかいない。
それでもファンは、12頭立ての6番人気に支持した。
あのスペシャルウィークやキングヘイローすら引き立て役にさせた菊花賞のようなレースができたなら。
もしも、あの芸術的な逃げをしてくれたなら。
奇跡が起きるかもしれない——。
ファンは、そう感じていたのだろうか。
しかし、タガジョーノーブルにハナを叩かれ2番手からの追走となると、かつて差を広げた淀の3コーナーでズルズル後退。15秒8離れた最下位の走りに、最早余力は残っていなく、そのまま引退。
血統の悪さから後継種牡馬は出ないまま2011年に死亡してしまったが、ニシノフラワーとの間に産まれたニシノミライからニシノヒナギク、ニシノデイジーへとその血は受け継がれ、確かに血統表にその名は残されている。
逃げて、引き付けて、また引き離す——。
サイレンススズカのように圧倒的なスピードタイプでも、ツインターボのように自爆覚悟の大逃げでもなく、緩急を操った逃げ馬セイウンスカイ。
その走りは、あの日の快晴と共に我々の心に深く刻まれている。
写真:かず