スマートファルコン〜地方交流に現れた絶対王者〜

私が競馬というものをしっかりと認識し始めたのは、たしか、4歳か5歳くらいの頃だった。 競馬好きの父親に競馬場へ連れられて行き、そこで生の競馬に感動し、騎手になりたいと思ってからの事だ。
そしてその時期にデビューした1頭のサラブレッドのことを、鮮明に覚えている。
その馬は「勝って当たり前」という大きなプレッシャーをはねのける精神力と安定感を併せ持っていた。 逃げて、差す。 そのスタイルから「砂のサイレンスズカ」とも呼ばれた。
ダートグレード界の王者、スマートファルコン。

2007年10月末の東京。 ダートのマイル戦でデビューするスマートファルコンは、種牡馬デビューしたばかりのゴールドアリュールを父に持っていた。 鞍上は当時、兵庫県競馬から移籍2年目の岩田康誠騎手。 そして、見事に初戦を制する。 それ以降、2歳のうちにオープンクラスまで上がったものの、3歳春シーズンの前半戦に芝を使った事などもあり、本格化までは少し時間がかかった。
そして3歳秋。 初の遠征となった金沢の交流Jpn III白山大賞典で、スマートファルコンは見事に初重賞制覇を果たした。 この勝利は、その後多くの活躍馬を輩出する父ゴールドアリュールの産駒にとっても、初の重賞制覇であった。
JBCスプリントで惜しい2着の後、スマートファルコンは全国の各地方競馬場に遠征。門別から佐賀までを渡り歩き、怒涛のダートグレード競走6連勝を達成した。 そうして連勝を積み重ねていく過程を経て、スマートファルコンはファンからも「実力派」と評価されるようになっていったと思う。
そして、5歳になった2010年。 ダートグレードで6連勝したとは言え、まだG I級タイトルを獲得していなかったスマートファルコン。なんとしても、その称号が欲しい。
そうして迎えた春、かきつばた記念とさきたま杯を連勝して挑んだJpn I帝王賞は、まさかの6着。 ──まだ一線級が相手では分が悪いのか? そんな、歯痒さが残る一戦だった。
悔しさが残る秋、初戦に選ばれたのは日本テレビ盃。 改めてこの秋のG I級タイトルを狙いにいくスマートファルコンに跨ったのは、天才・武豊騎手。陣営は悲願を果たす為に、この年の春、毎日杯でザタイキの転倒により大怪我を負っていた名手を起用したのだ。 レースは、中団から直線での追い込みを見せるが、勝ったフリオーソと粘るトランセンドには届かず、惜しい3着。 しかし「本番は何かやってくれるはず」と感じさせる走りだった。
この年は船橋で行われたJBCクラシック。 1番人気は前哨戦の日本テレビ盃を勝ち、既に4度も交流G Iを制しているフリオーソだった。スマートファルコンは、日本テレビ盃からひとつ人気を落とした4番人気に甘んじる。
スマートファルコンはゲートが開くと絶好のスタートを決めた。そしてそのままハナを奪って、1コーナーへ。 名手・武豊騎手は前走とは違った作戦を選択し、少々オーバーペース気味で逃げた。 2番手には虎視眈々とフリオーソ。 4コーナーに入る。 ここから差し切ってしまうのか。
──そう思ったのも束の間。 直線に入り、2頭の差は縮まるどころか、スマートファルコンがグングン差を広げていく。JBCクラシックに集まった強豪馬が、一切ついて来られなかった。 スマートファルコンは、2着フリオーソに7馬身の差をつけ、ゴールへと飛び込んだ。 4番人気の評価を覆しての圧勝だった。
しかも、終始逃げながら上がり3ハロンがメンバー中最速という凄まじさには、多くのファンか驚かされた。まさに、誰もが想像しなかったような圧勝劇。ついに、待望の初G I制覇を果たしたのだ。
当時テレビで見ていた自分にとって、その衝撃的な強さだけが印象に残った。 ここまで強い馬だったのかと、呆気にとられた。 それほどの走りだった。
そして浦和記念での6馬身差圧勝を挟み、王者として挑んだ暮れの大一番・東京大賞典。 スタートから終始一人旅で従来のレコードを1.7秒上回る2分0秒4という驚異的なタイムで圧勝した。
誰も引き寄せない、完璧な競馬。 これこそがスマートファルコンの真の強さだったのだ。 翌年の2011年はなんと無敗で、地方ダート界を席巻した。
気がつけば重賞9連勝。 その内G I級が6勝。 圧倒的な数字だ。
2012年、ドバイワールドカップ挑戦(10着)のあとたな放牧されていたが、怪我が見つかり引退した。

スマートファルコンは地方のどのレース、どの条件でも勝ちまくったが、戦ってきた相手が弱かった訳では全くない。上述したフリオーソのほか、G I級競走で4勝を挙げ、ドバイWCでも2着に食い込んだトランセンド、同3勝のワンダーアキュートなど、あらゆる砂の実力者を破ってきた。
そんなスマートファルコンの単勝オッズが1.0倍になったのは合計5回。そしてそのすべての機会を、勝利している。
スマートファルコンは地方競馬の売り上げ低迷期に活躍したのもあって、一部の心無いファンからは「地方競馬荒らし」と揶揄されることもあった。 ただ、先行逃げ切りタイプが苦戦することの多い大井ダート2000mを楽勝してしまう強さを、現役時代にリアルタイムで見られたことに誇りを持っても良いのでは、と考えてしまう自分がいる。
そして、父ゴールドアリュールがこの世を去ったのち、スマートファルコンは後継種牡馬として活躍馬を送り出し始めている。
競馬というブラッドスポーツに於いて、血統の魅力というものは私たちを飽きさせない。 スマートファルコンは亡き父の血を引き継いで更にたくさんの活躍馬を送り出してくれるであろう。そしてその馬たちを、またリアルタイムで応援し続ける喜びを、強く感じるのだ。

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