[追悼・ワグネリアン]忘れない。 私の心に情熱の炎を灯してくれた、あのダービーを。

どのような生命も、肉体の終わりからは逃れられない。

けれども、生命の輝きは時間の長さにではなく、ある瞬間に宿る。
忘れさえしなければ、その瞬間は輝きを放ち続ける。

あなたとともに生きたあの瞬間を、その情熱を、忘れないでいようと思う。

サラブレッドが最も美しく輝く瞬間のひとつが、日本ダービーにはある。
かつて競馬に触れ始めたころ、一つ一つのレースが、ダービーを中心とした確たる体形の中にあると知った時、驚きとともに感動したことを覚えている。そして、ダービーとは毎年新緑の季節に訪れ、サラブレッドにかかわる人の夢が叶う特別なレースなのだと理解するのに、それほど時間はかからなかったように思う。

1998年のダービー・デー。私は実家のテレビの小さな画面に映し出される光景を、食い入るように見つめていた。馬場の真ん中を突き抜ける、スペシャルウィーク。鞍上の武豊騎手は、29歳でダービー・ジョッキーになるという夢を叶えた。

翻って、当時17歳だった私には、叶えたい夢が無かった。何者かにならなければいけないという思いはあったが、さりとてそれが何なのか、分からなかった。ただそれが、いまの自分ではない誰かなのだろうと思っていた。だからこそ、なのだろうか。スペシャルウィークと武豊騎手の栄光は、私には眩し過ぎた。
そのスペシャルウィークとともに、当時は三強と目されていた、セイウンスカイとキングヘイローといったライバルたちは、その栄誉に浴することなく、敗者としてダービーを終えた。多大な称賛を浴びる一頭の勝者と、それ以外の敗者という残酷なまでのコントラストは、それでいて私の心をとらえて離さなかった。

そのスペシャルウィークのダービーから、いくつもの季節が流れた。
橋田満調教師の悲願成就があり、カントリー牧場の復興があり、石橋守騎手の武骨なインタビューがあり、ウオッカによる64年ぶりの偉業があり、泥だらけの勝負服の横山典弘騎手の笑顔があった。気づけば、それから20頭を超えるダービー馬が誕生していた。それは同時に、残念ながら散っていった数えきれない夢があり、ダービーに敗れた幾多の優駿たちもまた、そこにいた。
夢を持ち、それに破れる人は、私にとってある種の羨望の対象だった。何者かになりたいと願ってはいたが、その何者かが何なのか、誰なのか、よく分からなかった。ずっと私は、誰にもなれなかった。

けれども肉親との突然の死別、大切な人との別れ、そして、いくつかの奇跡的な出会いを経て。いつしか私は、自分ではない誰かになることを諦めて、自分とは何かを探し始めた。

そんな道半ばにいたのが、2018年のダービー・デーだった。真夏のように暑かったその日、私は中京競馬場にいた。少しずつ自分を取り戻していく中で再開した競馬場通いだった。そういえば、書くことを始めたのも、この頃だった。


ダービーの発走時刻が近づくにつれて、胸が、高鳴る。
いつからか、この高鳴りを忘れていた。けれど観ようとさえすれば、誰にでも、どんな私にでも、ダービーの時間は平等に訪れる。その日、府中のスタンドを埋めた12万人と同じように、その瞬間を目撃しようと、新緑のターフを疾走するサラブレッド18頭に声援を送るのだ。その瞬間だけは、誰にもならなくていい。

ファンファーレが鳴り、飛び出す18頭。ほんの2分半にも満たない、夢舞台。新緑のターフの上で輝く人馬を観ながら、私は呼吸をすることを忘れてターフビジョンに見入っていた。

前々の位置につけていたあなたは、府中の長い直線、馬場の真ん中を伸びてきた。
ピンクの帽子に、黒、青袖、青鋸歯形の勝負服。白い手袋をした鞍上の福永祐一騎手に、あの日のダービーを想起した。大舞台で掛かってしまい逃げる形になり、馬群に沈んだキングヘイロー。それを小さなテレビで眺める、17歳の私がいた。

最内で粘るダノンプレミアムと、コズミックフォースを外からかわし、あなたは伸びた。
右拳を、無意識に握っていた。

その脚に、情熱が宿っていた。
難しい外枠から積極的に出してポジションを取りに行った、福永騎手の勇気が灯した、情熱だった。それは、引っかかって撃沈するリスクと引き換えに灯した、情熱だった。

絶望、蹉跌、屈辱、劣等、挫折、後悔、諦め、喪失……。
それが、何だというのだ。いま、この瞬間には、関係ない。ただひたすらに、走ればいい。

残り100mを切って、ついにあなたは先頭を行くエポカドーロを射程にとらえた。
その末脚が宿した情熱は、鬱屈していた私の心の澱を、粉々に砕いていった。
ただ、あなたの名を叫ぼうとしたが、そのたった六文字が言葉にならなかった。
視界が滲み、ゴールの瞬間を正視できなかった。

人目もはばからず、馬上で落涙する福永騎手が、ターフビジョンに映し出される。歴戦の名手をしても抑えきれない感情、そして、成し遂げたことの偉大さ。
それを感じてか、あなたは誇らしげに、スタンドへ向けて走り出した。輝くようなターフの緑が、ことさらに眩しく見えた。そしてそれ以上に、あなたの鹿毛の馬体は、眩いばかりの生命力に満ちあふれていた。

また一頭、新しいダービー馬が誕生した。
福永騎手が、ダービーを勝つという夢を叶えた。天才と称された父ですら、手にすることができなかった、ダービー・ジョッキーの称号を得た。
あのダービーを経て、福永騎手の手綱は確かな光を帯びた。コントレイルを無敗三冠に導き、そしてシャフリヤールでダービーを連覇し、次々と夢を叶える福永騎手の姿を見るにつけ、あなたの走ったダービーを私は思い出す。私にとっても、人生のターニングポイントとなった、ダービーだから。

結局、あのスペシャルウィークのダービーから20年が経っても、私は誰にもなれなかったし、何者にもなれなかった。
けれども、誰にもならなくてもよかった。ただ、あの日、あの瞬間。福永騎手がダービー・ジョッキーになり、あなたが第85代ダービー馬になったのを、目撃した一人になれたのだから。

ただ、それが嬉しかった。
誰かにならなくても、ただそれだけで、よかったんだ。

福永騎手は、あなたを「自分の人生を変えてくれた馬」だと言っていた。
私にとっても、そうだったよ。
あのダービーの、あなたの走りに情熱をもらって。やっと私は、自分の人生を歩き始めた気がする。

私は、忘れない。
私の心に情熱の炎を灯してくれた、あのダービーを。
あなたとともに在った、あの瞬間を。私は、ずっと忘れないでいようと思う。
そのために、書き続けようと思う。あなたや、縁あって同じ瞬間を生きた命たちを、書き続けようと思う。
それが、あなたに出逢えた幸運への、ほんのわずかばかりの、恩返しになっていると嬉しい。

けれども、ほんとうのところは。
忘れようとしても、季節がめぐりダービーが訪れる度に、私はあなたを思い出してしまうとは思うのだけれども。

いつか、「あちら」であなたと逢えたなら。一言だけでも、伝えさせてほしい。

ワグネリアン、ありがとう。
情熱を、ありがとう。

写真:かぼす

あなたにおすすめの記事